勲章は、長年の功績を対象にする側面が強く、褒章は、勲章の対象になりにくいものの、顕著な功績と認められるものに授与されるようです。ジャーナリストの岡田豊氏が著書『自考 あなたの人生を取り戻す/不可能を可能にする/日本人の最後の切り札』(プレジデント社、2022年2月刊)で解説します。

なぜか権威に依存する社会

■受賞を褒めてくれない先輩 「賞」「肩書」「看板」の意味

私が記者になりたてのころ、取材のイロハを学んだのは金融ジャーナリストの浪川攻さんでした。浪川さんは年齢がひと回り上にもかかわらず謙虚でした。未熟な私を一人前扱いしました。今から思うと、自分で考えるよう私に仕向けていました。

私が共同通信の山口支局で記者をしていた時、文化財と科学技術の分野でそれぞれ独自ネタをスクープ記事にし、会社から賞を2度もらいました。記者の基本を教えてくれた浪川さんに報告したら喜んでくれるだろうと思い、浪川さんにハガキで報告しました。

しかし、彼から返事がありません。その後も独自ネタをスクープ記事にし、再び会社から賞をもらいました。その受賞も浪川さんに報告しましたが、反応はもらえませんでした。

やがて、共同通信の東京本社に転勤となり、浪川さんと久しぶりに再会した時のことです。

「受賞を何度も報告したのに、どうして返事をくれなかったんですか」

私は突っかかりました。すると、浪川さんは一言。

「賞自体にどんな意味があるんだ。その記事は誰かの、何かの役に立ったのか」

私ははっとしました。確かに、私たち記者の仕事の意味は、その記事が社会の役に立ったのかどうか、誰かを救うことができたのかどうか、それだけです。会社の方を見て仕事をしていなかったか。見るべき先は読者と社会と現場の人間です。浪川さんは、私にそう伝えたかったのでしょう。

それから、いろいろ考えるようになりました。新聞協会賞にどんな意味があるのか。直木賞芥川賞にはどんな価値があるのか。ノーベル賞は、勲章は……。記者として私の自考が本格的に始まりました。それ以来、私は「賞」という“看板”に惑わされないようになりました。

世の中にはいろんな賞があふれています。賞をもらった人やモノの方が本当に優れているのか。むしろ賞をもらえなかった人の方に、本当の価値があるのではないか。その賞はどんな商業ベースに乗っているのか。大きな値が付くピカソの絵と、自分の愛おしい家族が描いた絵を比べたら、どちらに、どんな価値があるのか……。

そして、新型コロナウイルスと必死に闘う医療従事者、介護従事者。密なスーパーでレジを懸命に打つ従業員。見返りなど求めず、必死に子どもに向き合う教師。人々が寝静まった深夜、ハンマーを抱え線路を黙々と点検、整備する鉄道会社の作業員……。世の中は、賞や肩書や看板など気にも留めない人たちが起こす小さな“奇跡”に支えられています。そうした大勢の人たちが「不可能」を「可能」にしてくれているからこそ、社会がきちんと回っているのです。

賞を褒めてくれなかった浪川さんのおかげで、こうした思いを抱くようになりました。

叙勲は経済界をコントロールする狙い?

■あなたは勲章をもらいますか、国民を格付けする「生前叙勲」

勲章をもらう人は、すごいなと素直に思います。たくさんの汗をかき、たくさんの知恵を働かせて頑張ってきた人たち。形はいろいろあれど、国家のために、社会のために、人々のために、役に立ってくれているのでしょう。頭が下がります。

でも、忘れてはいけないことは、勲章をもらわない人でも、一生懸命に頑張って、人々の役に立っている人が大勢いるということです。勲章とは何なのか。考えてみたいと思います。

内閣府のホームページには、次のように書かれています。「栄典は、国家又は公共に対し功労のある方、社会の各分野における優れた行いのある方などを表彰するもので、勲章及び褒章があります」。勲章は憲法に根拠があって、候補者を各省庁が推薦し、内閣府が審査して原案をまとめ、閣議で決定。天皇が授与する形になっています。

勲章は、長年の功績を対象にする側面が強く、褒章は、勲章の対象になりにくいものの、顕著な功績と認められるものに授与されるようです。勲章には序列があり、実質的にランク付けされています。

生存者への勲章授与は、1946年5月の閣議決定で一時停止されていましたが、第2次池田内閣が、1963年7月の閣議決定で再開させました。民間人も多く対象とした、この生前叙勲をめぐっては「政府が、経済界をコントロールする狙いもあった」(民間企業中堅幹部)といった指摘があります。つまり、政府が、勲章をちらつかせ、企業経営者をある程度思い通りに動かそうという恣意的な力が働くのではないかという見方です。

実際、叙勲対象者の選考基準や選考の過程が分かりやすく公開されているとは言い切れないため、こうした疑念が出てきてしまいます。

そんな叙勲を、辞退あるいは拒んだと言われている人たちは、たくさんいます。次の人たちがその一部です。

福沢諭吉さん、市川房枝さん(婦人運動家 参議院議員)、宮澤喜一さん(首相)、土井たか子さん(日本社会党委員長 衆議院議長=女性初)、細川護熙さん(首相 日本新党代表)。

経済界では、石田禮助さん(三井物産社長 国鉄総裁)、木川田一隆さん(東京電力社長 経済同友会代表幹事)、中山素平さん(日本興業銀行頭取 経済同友会代表幹事)、相田雪雄さん(野村證券会長)、武井正直さん(北洋銀行頭取)、前川春雄さん(日銀総裁)。

『勲章 知られざる素顔』(栗原俊雄著、岩波新書)によれば、野村證券会長だった相田雪雄さんは「およそ人の功績にどうして等級をつけるのか。省庁の官僚が、小賢しくもポイントを付けている。毎年時期になると企業ではトップの受賞に向けて狂奔する有り様は見るに堪えない。各会社、それも一流と自称・他称する企業では先輩者の受賞のために狂奔するのであり、その為のエネルギーたるや大変なものである」(1996年)と語っていたといいます。

私は記者として相田さんを取材したことがあります。印象的だったのは、相田さんは「民」であることに誇りを持っている経営者でした。

北洋銀行の頭取だった武井正直さんは「人が人に対して『お前は勲何等だ』なんて格付けするのは失敬千万」(1998年)と言いました。

また共同通信の編集主幹だった原寿雄さんは1999年、『部落解放研究』で出した論文「人権とマスメディアのあり方」の中で、「典型的な人間差別に目をつぶり、受勲者の喜びの声をはじめニュースとして大きく扱うことに、メディアは何の疑問もないかのようである」と主張しました。

城山三郎氏が叙勲を辞退した理由とは?

作家の大江健三郎さんは1994年ノーベル文学賞を受賞しました。しかし、文化勲章は辞退しました。大江さんは「私が文化勲章の受章を辞退したのは、民主主義に勝る権威と価値観を認めないからだ。これは極めて単純だが、非常に重要なことだ」と語ったとされています。

受けたノーベル文学賞については「スウェーデン国民から贈られたと言える」と述べたといいます。文化勲章は日本国民から贈られるものではない、と言いたかったのでしょうか。

女優の杉村春子さんも文化勲章を辞退しました。『勲章 知られざる素顔』によれば、作家の城山三郎さんは、大江さんが文化勲章を辞退したことを支持し、「文化勲章は政府、文部省といった国家権力による査定機関となっている。言論、表現の自由に携わる者は、いつも権力に対して距離を置くべきだ」と言及しました。城山さん自身も紫綬褒章を辞退し、「おれには国家というものが最後のところで信じられない」と妻に言ったといいます。

こうした人たちは、私たちに大切なメッセージを伝えようとしています。

いかがでしょうか。勲章を喜ぶ人、良しとしない人、人は様々です。私は、人はみな平等だと考えているので、国家が国民を格付けするような仕組みには違和感を禁じ得ません。また、勲章・褒章の制度には、国家の論理を「個」に押し付けようとする力が働いているような気がしてなりません。勲章のために、自分の信念を曲げたり、閣僚や経済団体トップの椅子などに長く執着し、老害ぶりをまき散らしたりしている人がいるとすれば、本末転倒です。

そんな勲章だとしたら、社会を息苦しくしかねません。そんな勲章だとしたら、いらないかもしれません。国家、行政が気付かない巷では、叙勲される人に負けず劣らず、努力を重ね、人の痛みを受け止め、一生懸命人々の役に立っている人が大勢います。このことを忘れないようにしたいと思います。

勲章とは少し異なりますが、アメリカのメジャーリーグで記録と記憶に残る活躍をしたイチロー元選手は、国民栄誉賞を3回辞退しました。受賞の打診をした日本政府に対し、イチローさんは「人生の幕を下ろした時に頂けるよう励みます」と回答したということです。さらに、2019年には「4回目の国民栄誉賞の打診を辞退した」と一部のメディアが報じました。

自分の力で、自分の歴史を積み上げ、自分の時代を切り拓いてきたイチローさんは、こうした政府が与える「賞」についてどう考えているのか。いつか本音を聞いてみたいです。

岡田 豊 ジャーナリスト

旭日重光章(内閣府HPより)