舞台芸術のアーカイブをオンラインで閲覧可能にし、舞台芸術をより身近に、そして未来へつなげる様々な活動を行っている「EPAD」。MOVIE WALKER PRESSはEPADの取り組みに賛同し、スペシャルサイトをオープン。「普段映画を観るように、気軽に舞台を楽しんでほしい!」という想いのもと「初心者におすすめの舞台作品は?」「どんなアーカイブがあるの?」など、舞台芸術の楽しみ方を提案します。

【写真を見る】「おんなのいえ」「サターンリターン」などの作者・鳥飼茜が早稲田大学で演劇鑑賞体験!

今回登場してくれたのは漫画家の鳥飼茜氏。舞台芸術作品のアーカイブ映像が多数保管されている通称“エンパク”こと「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館」にて取材を実施。ここでは学生だけでなく誰でも気軽に、無料で舞台芸術の映像を視聴することができる。また、演劇博物館は、舞台公演映像情報検索特設サイト(「Japan Digital Theatre Archives (JDTA)」)の運営にも携わっている。

「素敵な建物ですね」と笑みをこぼす鳥飼さんを、スペシャルシューティング!これまで「おんなのいえ」「先生の白い嘘」「地獄のガールフレンド」といった作品のほか、先月最終回を迎えたばかりの「サターンリターン」など、女性の生き方やジェンダーギャップ、性差別などを題材とした作品を数多く描いてきた。そんな鳥飼さんに、“ジェンダー”を題材とした演劇を3作品観てもらうことに。自身の作品づくりと共鳴する部分もあったようで、刺激的な鑑賞体験について、たっぷり語ってくれた。

――初めての演劇博物館での鑑賞体験はどうでしたか?

「今回観た作品は2時間ぐらいでしたが、画面も大きくて見やすかったです。欲を言えば、周りを暗くして見れたら、より没入感が得られていいかもしれませんね。貴重な映像も多いので、大きなスクリーンに映して、複数人で観られたらもっといいなと思いました」

――具体的な作品のご感想に入る前に、まずは鳥飼さんの演劇体験についてお聞きします。

「演劇を観るようになったのは、漫画家としてデビューしたあと、編集者や劇団の方に誘っていただく機会ができてからです。実は、映画や小説などほかのメディアに比べて、演劇に対して“苦手”という感覚もあります。生の舞台上で、役者たちがその場で演じるスリリングな空間に緊張してしまって(笑)。もちろん、実際はプロなので失敗することなく当たり前に演じていらっしゃって、毎回そのことに感激しています。なにが起こるかわからない空間で、みんながハラハラしながら同じ時間を共有するということ自体が、舞台の醍醐味なんだというのがだんだんわかってきました」

――今回は映像作品として、“ジェンダー”をテーマに選んだ3作品を観ていただきました。それぞれを観劇した印象や、テーマにちなんだ感想をお聞きできればと思います。

■■「わかろうとはおもっているけど」(贅沢貧乏)

劇団贅沢貧乏による2019年上演の作品。本作に登場するのは、テル(彼女)とこうちゃん(彼氏)という、どこにでもいるような普通のカップル。ある時「テルが妊娠した」という出来事から空気が変わり始め、彼女の友達や、なぜか家にいるメイドたちをも巻き込んで物語が展開していく。女性と男性の「わかりあえなさ」を「わかりあおうと」した先にあるものを問いかけ、2022年フェスティバル・ドートンヌ・パリでも上演された。

「こちらは、妊娠した妻とその不安を理解しきれない夫のすれ違いを描いた作品ですが、普段自分が見ているドラマや映画に一番近く、現代劇なのでとても見やすかったです。途中までお互いを理解して、平等で足並みを揃えていたのに、あるきっかけによってそれまで見えていたものが崩れるというのは、最初から無理解であることよりも心理的にしんどいんじゃないかと感じました。夫を演じた山本雅幸さんがとても上手だったからかもしれませんが、最初は妻に対して理解があるような雰囲気なのに、どんどんこの夫のことが嫌になっていきました(笑)」

――この作品では、物語の中心となる夫婦だけでなく、妻と女友達や、夫婦の家のメイドといった、最小単位の人間関係の機微をしっかり描いている印象がありました。鳥飼さんの作品でも、男女関係や同性同士の友情、親子など、一対一の関係が丁寧に描かれていますよね。

「一対一の関係における非対称性については、私もずっと意識的に描いてきたことなので、ベースに同じものを感じました。一番自分と距離が近いなと思ったのは、タイトルにも表れている、相手のことを『わかろうとは思っている』という気持ちですよね。それがはっきりする作中での仕掛けは、『こんなことをしているのよ、あなたは』と見せて、相手側に自分の立場をわかってほしい、という思いを表現している。もし物語のあとで2人が別れることになったとしても、希望が残っているようにも感じられる作品で、そういった意味でも、自分が描きたい方向性に一番近い作品かもしれません」

――女性同士の友情で言うと、主人公と女友達の友情は、温かく尊いものとして描かれていますが、ある種少し無力というか、夫婦がいる家の中に入ると、効力が下がっている感じもありましたね。

「少しいたたまれないような、女性が女性を救おうとする時のもどかしさも感じました。普段の生活のなかでも思いますが、やっぱり女同士って、連帯するとすごく力強く感じるけれど、それでも多くの人は夫やパートナーの元に帰っていきますよね。そこにちょっとした無力感を感じるというか。女友達は大切だけど、ずっと一緒にはいられないんだなというのがせつないですよね。それでも全体的にコミカルで笑えて、とても見やすい作品でした」

――たぶん3作品の中で一番笑いがありましたよね。鳥飼さんの作品、特に「サターンリターン」では、全然笑えないはずの状況なのにどこか変でおもしろい、という異様な場面がいくつもあって圧倒されますが、ご自身の創作のなかで“笑い”はどう扱っていますか。

「自分の漫画にはかなり意識的に入れるようにしているのと、単純に自分がそういうふうに生きている、というのもあります。すごいシリアスな局面でも『あ、いま誰かがおならしたな』みたいなことって起こり得るじゃないですか(笑)。よく言われていることですが、笑いと悲劇、希望と絶望、など相反するものは常にセットだと思っていて。『サターンリターン』で描こうとした“生と死”なども、常に同時進行のような感覚があります。物事は、見方によって幸か不幸かに変わりますが、それは救いだと思うんですよね。絶望が来ても、まだ笑いが残されていると思えることが、生きながらえるギリギリの手段だと感じていて。だから話が深刻になるほど、笑いは意識的に入れています」

■■「4.48サイコシス」(飴屋法水)

90年代イギリスで女性かつセクシュアルマイノリティが受ける抑圧を普遍的に書ききったサラ・ケインの遺作を、飴屋法水の演出で2009年に舞台化。明確な物語がないなか、強度のうつ状態で死の淵をさまよった作者の精神世界が描かれている。

「これは『ザ・舞台』というか、いわゆる私がいままで避けてきた“舞台の真髄”だと思ったので、真剣に見ました。一生懸命なにを言おうとしてるのか、その言葉に共感できるよう集中して観たんですけど、難しかった…(笑)」

――戯曲の段階からはっきりした物語展開やト書きもなく、断片的な場面やセリフから、書き手の精神状態や実際の体験が強く想起されるような作品になっていますよね。作家にとって、自分自身の体験や、特にネガティブな経験を作品に落とし込むことは、作っている間も心理的にかなり消耗することなんじゃないかと感じるのですが。

「意外とそんなことはなくって。例えば心理療法の一種で、トラウマ的な出来事をあえて再現して演じ直すというものがありますが、それに近いと思うんですよね。実際に体験した時には処理しきれなかった言葉や感情を、もう一度シチュエーションとして誰かに演じてもらうことによって、やっと自分と、辛い経験と距離が取れるというか。そういったことは自分の作品でも結構やってるので、少しシンパシーを感じます」

――辛い出来事を“再現する”ことで、自分の中でも受け止め方が変わってくるということでしょうか。

「再現すること自体は苦しいものというよりいっそ気持ちいいことだと思うんですよね。当時は自分がその出来事に支配されていた状態だったけれど、今度は自分が手綱を取ってコントロールできる。もちろん作品に落とし込む過程で、当時の辛かった心情には向き合わなくてはなりませんが、創作する過程で自分が癒されていくので、しんどいってことはないんだと思います」

■■「バッコスの信女 ─ ホルスタインの雌」(Q)

市原佐都子が主宰する劇団Qによる2019年の上演作品。ギリシャ悲劇「バッコスの信女」のテーマや構造を大胆に咀嚼し、現代版として書かれた音楽劇。一見普通の主婦、人工授精によって生まれた獣人、去勢された犬などが登場し、現代の複合的な差別を丸ごと取り上げ、突き抜けようとした記念碑的作品。第64回岸田國士戯曲賞。

「最初は『なんの話なんだろう?』と思いながら観ていましたが、だんだん筋書きのしっかりした話だとわかってきました。あとで調べたら、ギリシャ悲劇がベースになっているんですね。獣人役の川村美紀子さんの存在感が圧倒的で、どのシーンも目が釘付けになりました。彼女にしかできない役だと思いますし、そういう人がいるのも舞台のおもしろいところですね。『この人はものすごい才能がある』と感じる人が一作品に必ずいて、その人を見届けるのが楽しいです!」

――3作品の中で、この作品が一番ヘビーな鑑賞体験だったとおっしゃっていました。

「意図して作られていると思うので言葉を選ばずに言うと、あえて露悪的に、ともすれば下劣になるような表現や言葉回しを積極的に取り入れていて、作り手の“怒り”を強く感じました。わたしもよく『怒りで作品を描いているのでは?』と言われますが、衝動的なものは人をこんなにも巻き込んでエネルギーを消費させるし、逆に言うと、演劇の楽しみにはこういう『強い衝動に飲み込まれたい』『圧倒されたい』というものがあるんだな、と一番感じたのがこの作品でした」

――本作のように性差別やフェミニズム、不均衡な関係における暴力といったテーマで作品を描いていると「正解や正義の描き方」について、考えたり問われたりする機会も多いのではないでしょうか。

「作品の中で正解を避けるというのは、自分としてはちょっと不誠実だと思っているんです。やっぱり最後に自分なりの解を出さなければいけなくて、そこから逃げたら作品にならない。仮にそれが『悪い正解』であっても、フィクションとして『あなたはどう思いますか?』と問うことに意味があると思っています。

同時に、正解を『正義』のようには描かないようにしようとも意識しています。暴力やフェミニズムのようなテーマで作品を描くと、その作者が描いていることが正義のように取られてしまいがちだし、逆に『誰がどう考えてもそれは正義だ』ということはそう描かないと、最大公約数の読者に認められない。でも、それってなんの問題の解決にもならないんですよね。いろんな解があって、どれが自分にフィットするかを選べるというのが、こういう問題をフィクションにする意義だと思います。だからこんなふうに舞台で、あえて露悪的に表現できること、それを望んで見に来るお客さんがいること自体がうらやましくもあります」

――もう少しジェンダーの話を伺いたいのですが、この作品の中で女性性については過剰で露悪的に描かれる一方、作中で出てくる男性は顔が見えなかったり、スクリーンに映しだされる顔写真くらいで、存在感が薄いのも特徴かと思います。

「この作品は、あえて、いわゆる『女の人の世界観だ』とみなされるものに寄せて作っているのかもしれないと感じました。わざと女性性を強調させて描いて、そんな偏見や固定概念に対してあなたは怒らないんですか?と問うているんだけど、それに気付かない人もいて、おそらく、そのことへの怒りもあるのではないかと。男性中心社会に泥を投げつけるようなシーンも沢山あり、正直自分が作品を描く時には避けてきたやり方だと感じたんですが、逆に『なんでわたしは避けていたんだろう?』と考えるきっかけにもなりました。

自分が作品を描く時は、ここぞというシーン以外は、男の人の怒りを必要以上に買わないよう気にしている感覚があります。それは怖れからではなく、こちらが男性中心社会への怒りをぶつけるにしても、まず対象である男性に読んでもらわないとどうにもならないと考えているから。『この描き方だとちょっと下品かもしれない』と気にすること自体が『嫌だと思っていることを怒って言ったら誰も聞いてくれないよ、もっとユーモアを交えなきゃ』みたいなトーンポリシングなのかもしれない。その態度はいまでも必要なのかということも考えさせられました。こんなふうに同じテーマの演劇を一気に観ることって普段なかなかないので、すごくおもしろい体験でした」

現在MOVIE WALKER PRESSではEPADと連動したスペシャルサイトを展開中。初心者にもおすすめな上演時間の短い演劇や、映画ファンと親和性の高いヨーロッパ企画主宰の演劇なども多数紹介している。いずれもオンラインで無料視聴できるので、この機会にぜひ舞台芸術の魅力にどっぷり浸かってみてほしい。

取材・文/北原美那

漫画家の鳥飼茜にスペシャルインタビュー!/撮影/垂水佳菜