79年前の1944年1月8日、アメリカのジェット戦闘機F-80」が初飛行しました。

米国初のジェット戦闘機が失敗し急きょ誕生

今からおよそ80年前の1944年1月8日、アメリカ製のジェット戦闘機F-80「シューティングスター」が初飛行しました。

第2次世界大戦中、各国はより高性能な戦闘機を手に入れようと、それまでのレシプロエンジン(ガソリンエンジン)を搭載したプロペラ推進方式ではなく、より高性能なジェット機へとシフトしていきました。

そういったなか、アメリカ陸軍航空軍(のちのアメリカ空軍)ではイギリスの技術協力を得るなどして1941年春ごろよりジェット戦闘機の開発に着手します。最初に造られたのはベルが手掛けたP-59「エアラコメット戦闘機でしたが、運動性と速度性の両方でレシプロ戦闘機にも劣っていたため、30機製造されただけで終わりました。

事実上、失敗に終わったP-59に代わるジェット戦闘機を模索していたアメリカ陸軍航空軍は、ベル社に開発を依頼することを止め、極秘とされていたエンジンの図面と仕様書ロッキード社に公開、同社に新たなジェット戦闘機の開発を依頼することにしたのです。

こうして1943年6月から開発が始まったのが、プロトタイプXP-80、のちのP-80「シューティングスター」でした。ロッキードは名設計者クラレンス・L・ジョンソンケリー・ジョンソン)を中心にわずか1週間で設計図を完成させ、わずか5か月ほどで初飛行にこぎつけています。

XP-80はテスト飛行で最高速度808km/h(高度6140m)を記録するなど、ベルP-59とは異なる高性能ぶりを見せつけたことから、さっそく5000機もの大量生産が計画されます。しかし、1945年8月に日本の敗戦で第2次世界大戦が終結すると、戦闘機型と偵察機型合わせて917機で生産はストップとなり、残りはキャンセルとなりました。

その後、ドイツの航空機技術などを参考に開発されたノースアメリカンF-86セイバー」などの新型機が登場すると、直線翼のF-80は性能的に見劣りするようになります。ただ、完成度の高さから、胴体を延長し複座型にした練習機型T-33Aが開発されており、こちらは6500機を超える生産数を記録するほどのベストセラー機となっています。

派生型のT-33は、ボリビア空軍で2017年7月まで使われていたほどであり、その点ではジェット戦闘機の「完成形」を提示した存在として、歴史に名を残しています。

※一部修正しました(1月8日16時30分)

アメリカのジェット戦闘機F-80「シューティングスター」(画像:Insomnia Cured Here)。