日本人のノーベル賞受賞が決まると、メディアは大騒ぎし、連日報じます。一方、アメリカやイギリスではニュースの扱いはあっさりしているといいます。ジャーナリストの岡田豊氏が著書『自考 あなたの人生を取り戻す不可能を可能にする日本人の最後の切り札』(プレジデント社、2022年2月刊)で解説します。

ノーベル賞受賞で大騒ぎする日本

■なぜノーベル賞を喜ぶのか

毎年10月になると発表されるノーベル賞の話です。世界で最も名の知れた賞のひとつです。アメリカに赴任中、あれっと思ったのは、アメリカ人のノーベル賞受賞が決まっても、アメリカの報道があっさりしていることでした。

アメリカでは発表の直後、テレビはそれなりに取り上げ、翌日の新聞も1面などで展開します。ただ、1日程度でニュースは終わります。イギリスもニュースの扱いはあっさりしているようです。しかし、日本では、日本人の受賞が決まると、メディアは大騒ぎ。連日報じます。

その後、12月には、スウェーデンのストックホルムや、ノルウェーのオスロに、本人を招いて授賞式が開かれます。日本のメディアは現地に行き、喜びなどを伝えます。アメリカのメディアは授賞式までしっかり報じるところは多くありません。

そうした理由を知人のアメリカ人に聞くと次のように言います。

「他国が設けた賞なので、アメリカ人は大きな価値を見いだしていないのではないか。他の国がつくった賞より、アメリカがつくった賞の方を大事にしているかもしれない」

アメリカ人が「自主性を重んじる」「自己中心的だ」などと言われる所以はこんなところにあるのかもしれません。

アメリカ人はメジャーリーグの頂点を決める優勝決定戦を「ワールドシリーズ」と呼びます。アメリカのメジャーリーグでトップになったチームが世界の頂点だという意味合いです。アメリカ人は、自分の国が世界一だと思い込んでいる人が多いからでしょうか。

一見、おごりかもしれませんが、一方で、自分たちが決めることに価値を見いだそうという性質を読み取ることができます。それは、アメリカという国家そのものを自分たちが創り上げたという歴史的な経緯に起因する部分が大きいのではないでしょうか。

ノーベル賞の賞金は日本円で1億円余り。これを1人でもらうとなると大きな金額です。一方、賞金を拠出する側のスウェーデンノルウェーは、総額で見ても比較的小さな額で大きな“PR効果”を享受しているのではないかと思います。

「伝統あるノーベル賞を決める国」という価値は、世界においてある種の権威です。具体的な数字を把握することは難しいですが、経済効果や安全保障面の効果は一定程度あるだろうと推測します。国家の戦略として実に合理的で、上手な運営をしているなと。ただ、ノーベル賞の選考基準がいまひとつ明確でなく、しっくりしない部分があるのは確かです。

苦肉の策?「日本の3氏にノーベル賞」報道

こうしたノーベル賞に日本人は大きな価値を見いだしてきました。世界各国の価値を受け入れることは国際化にも通じ、必要なセンスかもしれません。しかし、他国が決める価値、権威に対し、どこまで傾倒する必要があるのか。そんな斜めの角度からの思考も必要かと思います。

同時に、ノーベル賞以外に、日本人自身が自考して決めた賞や評価に、もっと高い価値を見いだしてもいいのではないかと考えます。

ノーベル賞を受賞したのは「その人」か「日本人」か

2014年10月、日本人がノーベル物理学賞を受賞することになり、日本メディアは高い関心を持っていました。青色発光ダイオード(LED)を開発、実用化などに貢献した業績が評価された、赤崎勇・名城大学教授、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・米カリフォルニア大学教授の3人の同時受賞の発表です。

しかし、中村修二さんはアメリカ国籍を取得していたため、国籍の観点から厳密に言うと、「日本人」と表現しにくい部分もありました。日本国は複数の国籍を持つことを認めていないからです。

アメリカのニューヨークタイムズは「アメリカ人1人(中村氏)と日本人2人が受賞」と報じました。一方、日本のメディアは「日本の3氏にノーベル賞」などと報じました。「日本人」を避け、「日本」と表現しました。あくまでも「日本」にこだわった苦肉の策だったかもしれません。

日本人がノーベル賞を取れば嬉しいと思うのは、通常の感覚かもしれません。でも、称賛し、評価すべき対象は、本当は「日本人」でなく、中村修二さん、天野浩さん、赤崎勇さん、という「個人」なのではないでしょうか。

岡田 豊 ジャーナリスト

(※写真はイメージです/PIXTA)