(平井 敏晴:韓国・漢陽女子大学助教授

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 どうしてこうも、先を急いでしまうのか。韓国には「懲りる」という言葉がないのだろうか。

 韓国外交部は1月12日、徴用工問題を巡る公開討論会で解決案を公表し説明した。

 戦時中に日本に徴用された労働者やその遺族たちが複数の日本企業を相手に訴訟を起こし、日本の最高裁にあたる韓国大法院は被告に対して賠償を命じた。これに伴い、被告となっている日本企業の韓国資産が差し押さえられ、その現金化の期限が迫っている。もしも現金化が行われれば、戦後補償について「完全かつ最終的に解決した」として1965年に結ばれた日韓請求権協定を事実上破棄することになる。日韓関係は修復不可能になると言ってよいだろう。

 韓国の大学で日本について講義している身としては、もちろん日韓関係の改善を願っているし、協力することにやぶさかではない。だが、韓国・尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権のそうした動きは、諸手を挙げて歓迎することはできない。どうしても警戒心が付きまとってしまうのだ。

「日本側が何も負担しない案」解決策に怒る韓国人

 尹政権が提示した解決案とは、日本企業の韓国資産の現金化は行わず、これまで元徴用工を支援してきた財団が日本企業の賠償を肩代わりするというものだ。武藤正敏・元韓国大使もコメントしているように、非常に現実的な案である。おそらくこれ以外はないのだろう。日本政府にしてみれば、韓国政府のこうした努力を歓迎しない理由はない。

 公開討論会の翌日には、朴振(パクチン)外交部長菅が林外務大臣と電話で会談。懸案を解決して日韓関係を健全な関係に戻し発展させるため、外交当局間の緊密な意思疎通を継続するという点で一致した。

 しかし、それは韓国社会の総意ではない。討論会に登壇した原告側弁護士は、「日本側が何も負担しない案」だとして反対の立場を表明した。討論会後には解決案に反対する参席者が壇上に向けて怒鳴りつけたり、発言のために手にしていたマイクを投げつけたりするなど、会場は騒然とした。

 韓国に住んでいる私の肌感覚としては、韓国全体がそういう雰囲気である。

 そもそも「韓国人は日本が嫌いですしね」と、あっけらかんと言い放つ韓国人もいる。最近は日本以上に中国のことが大嫌いになっている韓国人も少なくないが、そういう人は「日本は嫌いだけど、中国よりはマシ」と口にする。日本も中国も嫌いだけど、日本のほうがまだ少しは評価できる、というわけだ。

 そうした日本への拭い切れない感情は、日韓の懸案事項にかかわると、抑えられないほどの勢いで表に現れてくる。

 それに、もしも尹政権が反対意見を封じ込め、「賠償金肩代わり」の解決案で乗り切ったとしても、政権が代われば事情は激変するだろう。慰安婦問題が今までそうだったではないか。今の段階では信用しない方がよい。

 さすがに日本政府も韓国側が今回提示した解決策については一歩も二歩も引いて眺めている。解決策公表を報じる時事通信の記事は、(解決策への)「韓国内の反応がどうなるかわからない」という外務省幹部のコメントを紹介している。

日本の防衛力強化に理解を示す尹大統領

 とはいえ、私は尹政権が大局を見誤っていると思っているわけではない。それどころか、大統領選挙を控えていたころの尹大統領は失言も多く、何とも頼りなさそうな候補者だと思っていたが、いざ大統領になってみると、とりわけ安保政策に関しては、私の予想に反してずいぶんと活躍している。

 尹氏は大統領就任直後から、文在寅ムン・ジェイン)前政権時代に冷え込んでいた米韓関係の改善に奔走した。これにより、アメリカを中心とする日米、米韓の関係が強固になった。

 日本も韓国も、ともに中国の軍事的脅威にさらされている。中国による台湾侵攻もにわかに現実味を帯びてきている。もしも台湾侵攻が現実のものとなれば、東アジア地域経済への影響は計り知れない。今のヨーロッパに見られるような急激なインフレが起こり、株式市場も大混乱となるだろう。

 そして、もしもそれが中国の思惑通りに進めば、中国政府はこれまで難色を示してきた北朝鮮核保有を認めるかもしれない。

 尹大統領1月11日、日本が防衛力を強化していることに関して「誰が文句を言うだろうか」と理解を示した。そのうえで、「頭上をミサイルが飛び交い、核(兵器)が来る可能性があるのに、それを阻止するのは容易ではない」との見解を述べている。

 この発言は、韓国社会にとって衝撃的である。なぜなら、日本の防衛費増額について韓国メディアは、日本が朝鮮半島自衛隊を送り込むのではないかと危惧し続けていたからだ。

 だが、現在の日本を取り囲む地政学的な状況を現実的に考慮すると、抑止力・防衛力の強化は不可欠だ。もちろん台湾の今後の対中国政策によっても変わっていくし、中国を刺激しすぎないよう、強化の度合いは議論が必要だろう。また、強化するだけで東アジアの平和が維持できるというわけではない。防衛費増額分の財源をめぐっては国内で様々な意見があるが、それはここではおいておき、有事の際のリスクを可能な限り抑える努力は絶対条件である。

 台湾有事の際に尹大統領が警戒しているのは、北朝鮮軍の南下ではない。「核が来る可能性」という言葉からわかるように、北朝鮮核保有を宣言し、それを中国が支持しかねない点である。これは地域経済を不安定化する大きな要因となる。

きわめて暗い韓国経済の見通し

 韓国では、文在寅政権下で不動産が高騰し、それにより急速なインフレが起こったにもかかわらず所得が増えず、庶民の生活は火の車である。そこにウクライナ戦争が勃発したことでインフレがさらに加速し、韓国経済の今後の見通しはきわめて悲観的と言わざるを得ない。

 こうした状況下に置かれた韓国社会にとって、日韓両国間の懸案事項は経済発展への冷や水になりかねない。差し押さえられた日本企業の韓国資産の現金化が実施されれば、日本企業の韓国離れはこれまで以上に進んでしまう。

 それを食い止めるような風潮が、韓国社会に広まるだろうか。国際情勢、経済状況などを総合的に考慮して判断できるかが、韓国社会に問われている。

 そのために、尹政権はこれからも日韓関係改善に向けてのメッセージを国民に発し、その演出に精を出すことだろう。韓国に住む一庶民の日本人として、それを見守っていきたい。

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