2022年12月9日に「文藝春秋 100周年オンラインフェス!」の一つとして開催された、東浩紀さん、先崎彰容さん、中野信子さん、成田悠輔さん、三浦瑠麗さんによる大座談会「目覚めよ!日本」。その内容を記事化した「大座談会 これが日本の生きる道」を一部転載します。

(「文藝春秋2023年2月号、司会・新谷学編集長)

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時計の針が止まっている日本

 新谷 本日の座談会テーマは、「目覚めよ!日本」ということなんです。ここに私が込めた気持ちを簡単にご説明させていただくと、この30年間、日本は時計の針が止まっている状況が続いている。企業は成長しない、賃金は上がらない、政治も体たらく。しかもその低迷がまだ続きそうだと。なぜこのような「失われた30年」が続くのかと考えたときに、やはりこの国は厄介な問題や、面倒くさいけれど大事な問題を、正面から向き合わずに、みんな見て見ぬふりで先送りし続けてきた。その結果なのだと痛切に感じています。「目覚めよ!日本」というのは、もうこれ以上、問題の先送りをやめて、とにかくテーブルの上に乗せて、みんなで真面目に考えてみましょうと。どうすればこの国を守ることができるのか、どうすれば経済は上向くのか。賃金は上がるのか、政治はよくなるのか。文藝春秋がその一つの起点になりたいという思いを込めて、今日はこのテーマを議論していただくのに最適な方々にお集まりいただきました。ぜひ自由闊達に気兼ねなくご発言いただきたいと思います。

 まずは話題の「防衛費問題」を入口に始めましょうか。

 中野 これは、来ると思った。

 新谷 ロシアによるウクライナ侵攻は長期化の様相を呈していますし、我が国の周辺では中国の習近平国家主席が異例の三期目に突入し、台湾統一に意欲を示しています。「台湾有事は近い将来必ず起こる」という専門家の見方もあります。

 そこで岸田政権は来年度から5年間で、防衛費をこれまでの1.6倍の水準にあたる43兆円確保すると発表しました。国会ではさっそく財源問題が大きな争点になっていますが、まず東さんから、いかがですか。

防衛費の適正額とは?

 東 ウクライナ戦争が始まった直後からGDP比2パーセントに増やすんだということに関して、国民は結構合意していたわけだし、今でも賛成のほうが多数でしょう? だとすれば、誰かが税金で負担しなければいけない。みんなあのときに盛り上がって防衛費を増やそうと声を上げていたんだから、しょうがないんじゃないですか。まず大前提としてそういうふうに思っています。

 新谷 具体的な財源については?

 東 僕は防衛の専門家ではありませんが、結局のところ、GDP比何パーセントといった枠というのは、抽象的なものでしかないわけで、もっと本質的に、自衛隊というのを日本の国の中でどのように位置づけるべきかという根幹の議論を先にするべきだと思います。今回、防衛という問題に人々がちゃんと目を向けるようになったのはいいことです。ただ「防衛はしてほしい。けれどもお金は出したくない」というのは通らない話。ここに来て急に財源問題がまた政治イシュー化して、いろいろ議論がとっ散らかるのはよくないなと思います。

 三浦 それは本当によくないことです。結局どの税だったら次の衆院選を戦えるかという話になり、法人税が選ばれたわけですよね。理屈が合わないし、企業からすれば、そりゃあ腹が立ちますよね。そのいろんな人の怒りをなだめるために、金融所得課税を強化しますと言ったりする。これも情緒的で、ポピュリズム政治でまったくよろしくない。

 たとえば、北朝鮮という脅威と隣り合わせの韓国では、以前から防衛費はGDP比で2パーセントを超えていたわけです。中国の脅威に接している国として、日本も同水準の体制を求められてもおかしくはない。ただ、数字を一人歩きさせるのではなく、専守防衛まで含めて戦略レベルで現状を見直し、何にいくら使うのかを検討することが必要です。

 先崎 僕は防衛関係の人と勉強会をやっているんで、この問題については具体的な関心があります。まず2パーセントというのが象徴しているのは、敗戦以来、軍事力について正面から議論することを忌避してきた日本人が、初めて防衛について考えるようになったということです。安倍元総理が「戦後レジームからの脱却」と言いましたが、防衛政策の転換はその象徴とも言える。

 ただ、当然ながら防衛費増額と財源確保はセットになる。GDP比で1パーセント増額をするならば、約5兆円のコスト増になり、国民の1人当たりの負担はおよそ4万円増えることになります。僕は「安全保障税」みたいなものを入れたらどうですかというふうに提言したい。復興税と抱き合わせで「国土強靱化税」でもいい。政治家は税負担の話をできるだけ隠そうとしますが、安全保障の問題はわれわれ全員が考えざるを得ない問題です。それをわかってもらうには、究極、徴兵制にするか、あるいはお金の面から喚起するのが一番有効でしょう。

 成田 問題に直面させるシンボルとして、わかりやすく「安全保障税」を作るということですね。

 三浦 うちのシンクタンクでやっている意識調査で、社会保障のために消費税率をいくらまで許容できるかを調べたところ、平均で10.9パーセントだったんですね。これが自民党支持層に絞ると、12.9パーセントに上がる。たぶん国民はわかっているんです。口先だけの減税を公約したって、税収がなければ何にもできないことを。

 中野 私は先崎さんと同い年ですから、「戦争」という言葉を用いる議論が忌避されがちだったこれまでの時代の雰囲気は同じく感じてきました。そこで議論が止まる。自国の防衛について、全員が思考停止していたかのような時代と比べると、日本は良くも悪くも変わってきています。ただ、身近な国防という水準でいえば、イスラエルは人口1人当たりのシェルター普及率が100パーセントなのに対して、日本は1パーセントにも届かない状況でしょう?

 三浦 国民防護の議論はとても大事ですね。私は日本の防衛に必要なのは、抑止力強化と国民防護をセットで考えることだと思っています。抑止力を強化したとしても、抑止が破綻した時の国民防護がおろそかではいけない。さらに防衛費の議論に足りない視点は、生産的政府支出か否かです。国民防護のインフラ投資の経済効果は公共事業並みですが、防衛関連技術の育成は民生分野に大きな波及効果があります。

 先崎 防衛省は港湾整備や道路の修繕といったインフラ改善を防衛の観点からしたいはずですが、とても言い出せる雰囲気ではないですね。

 三浦 防衛省コミュニケーション能力が低いので、「無駄金を使うだけじゃないか」と思われてしまう。

 成田 ド素人の一市民からすると、防衛費を何兆円か増やしたとして、何がどう変わるのか絵が浮かばない。そのあたりのストーリーがまったく、少なくとも普通の人には一ミリも伝わってないと思うんです。これはメディアの問題なのか、それとも自民党政治家の人たちの問題なのかわからないんですけど。

 先崎 防衛関係者たちに言わせると、これだけ防衛が忌避されてきた中で、薄紙を剥ぐようにちょっとずつ、「僕たちも真面目にやってるんですけど」というのをアピールしてきた。でも国民の側からすれば、成田さんが言うように、全然聞こえてこない。隠しながら準備してきたんだから当然と言えば当然です。

 新谷 第二次安倍政権の平和安全法制の制定のときは「戦争のできる国になるのか」とか「アメリカの戦争に巻き込まれる」といった論調が大手新聞でも展開されていました。防衛の問題について、メディア思考停止している側面があります。

“正義”と“平和”は違う

 成田 むしろ政府は防衛に関する議論を国民に伝えないようにしているんじゃないですか。伝えてしまうと右にも左にもアレルギー反応を引き起こしてしまうかもしれない。だからできるだけ防衛の内実は語らない。なんとなく防衛費を増やすことは大事だという雰囲気だけで世論を誘導するのが正しい戦略だという判断なのではないでしょうか。

 三浦 今までの日本はそれでよかったのかもしれない。ただ、台湾有事の可能性が高まりつつある現在、なおそのアプローチを続けていいのかは疑問ですね。権威主義の大国、中国が目の前で現状変更を志向しているにもかかわらず、「このままでも大丈夫だろう」と思ってしまっているのがこの国の現状でしょう。

 中野 私が恐れるのは、有事に直面したときの国民の反応です。戦争について思考停止していた時間が長いほど、目立つ戦果があがったときに「日本はもっと戦える。やれるんだ」と大規模な熱狂が生まれてしまうかもしれない。それは我々に限らず、どこの国にもあった、いつか来た道なのでは? 少なくとも我が国の歴史でいえばたった80年で人間の本質が変わるとは思えません。

 東 これまでの議論を聞いて、ひとつ皆さんに伺いたいのは、中国が台湾に侵攻したら、日本はその戦いに巻き込まれるべきなのか。「価値観を共有する国が近隣の巨大な権威主義的国家によって蹂躙されているのだから、連帯し戦うべき」と思いますか。それとも、「私たちはまず自国の平和を守るべきだ」と反応するべきなのか。

日本は戦闘に巻き込まれるべきではない

 三浦 巻き込まれるべきではありません。ただ、米軍がもし正当化できるやり方で台湾を防衛するのであれば、日本は後方支援に限定して援助すべきです。

 東 僕はこうした議論を重ねることで「平和とは何か」を考えることこそ大事だと思うんです。

 ウクライナ戦争が始まってからずっと、僕が考えていることは平和は大事だということです。でもそれは単に抽象的な意味じゃなくて、日本という国にとって平和という価値は国際的なカードとしてすごく大事だということ。というのも、僕は最近取材でベトナムに行ってきたんですね。ベトナム戦争の大きな博物館ホーチミンにあるんですが、そこに行くと、日本人の戦場ジャーナリストなど、たくさんの日本人からの支援の記録がある。ベ平連などの左翼運動の記録とかですね。また、僕は何回かチェルノブイリチョルノービリ)に行ってますが、そこでも被爆の経験を生かして、これも左翼団体……今では左翼の市民運動というとそれだけで評判が悪いわけですが、彼らが国際的な支援をすごくやっていて、今でもウクライナの人たちはそのことを覚えている。

 そういう日本が持っていた国際的な草の根ネットワークを支えるものとして、私たちは第二次世界大戦で被爆国となり大空襲も受けていて、いろんな反省があって、平和を追求している国なんだという前提があり続けてきたと思うんです。それは失ってはいけないと思う。

 だから今、僕は2パーセントにしてもいいと思うし、もともと自衛隊を合憲化するべきだとも考えているのですが、何より大事なのは「平和を作るための防衛力なんだ」という根幹の認識を改めてもつことだと思います。日本人は平和という概念をより強いものとして彫琢すべきだと思うわけです。

 哲学的には平和という概念は自由や民主主義と比べるとあまり議論されていない。「平和ボケ」という言葉すらあります。けれど、例えば近くで戦争が起きても、ある戦略的判断によって味方を助けず、それによって平和を守ることもありえる。平和というのは本当は残酷で、暴力的な側面をも含む概念ですね。

 成田 平和と暴力は表裏一体と。

 東 それは「平和ボケ」と揶揄される思考停止とは真逆のものであるはずです。正義と平和は似ているようで異なる概念です。正義を追求すれば自動的に平和が生まれるわけではない。そういう残酷さを引き受けて考えないといけない。

東浩紀・先崎彰容・中野信子・成田悠輔・三浦瑠麗「大座談会 これが日本の生きる道」全文は、「文藝春秋2023年2月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

(東 浩紀,先崎 彰容,中野 信子,成田 悠輔,三浦 瑠麗/文藝春秋 2023年2月号)

東浩紀氏 ©文藝春秋