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 1912年にイタリアで発見された写本「ヴォイニッチ手稿」は、その謎めいた文字と奇妙かわいい挿絵が話題となり、世界各国の研究者AIが解読を試みているものの、いずれも決め手に欠けている。

 だが謎めいているのは、その内容だけではない。ヴォイニッチ手稿の起源や所有者といった、本の歴史もまた謎めいているのだ。

 今回いく人かの所有者が明らかになったことで、歴史の空白の一部が埋められたようだ。

【画像】 17世紀、チェコの錬金術師が所有していた

ヴォイニッチ手稿の全ページスキャン Voynich manuscript. All pages scanned (undeciphered language)

 ヴォイニッチ手稿が再発見されたのは、1912年のことだ。ポーランド系アメリカ人である古書収集家ウィルフリッド・ヴォイニッチ(Wilfrid Voynich)が、イタリアローマ近郊にあるイエズス会系大学で見つけた。

 放射性炭素年代測定法の分析によれば、1404年から1438年の間に書かれたものらしいが、この手稿の存在にふれた一番古い記録は1639年のものだ。

 それは、チェコの首都、プラハ錬金術師ゲオルグ・バレシュ(Georg Baresch)がイエズス会の言語学者アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher)に宛てた手紙だ。

 当時、バレシュは手稿の所有者で、その内容をどうにか読めないかとキルヒャーに相談したのだ。

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 キルヒャーもまた解読することはできなかったが、彼も本に大いに興味を惹かれ、譲ってもらえないかとバレシュに頼み、断られている。

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ヴォイニッチ手稿の見開きページ / image credit:Manuscript Library, Yale University, New Haven, Connecticut

ヴォイニッチ手稿の所有者の変遷を伝える貴重な手がかりを発見

 だが1665年、キルヒャーはついに本を手にする。バレシュは親友のヤン・マレク・マルチ(Jan Marek Marci)に手稿を譲り、そこからキルヒャーに渡ったのだ。

 マルチがキルヒャーに宛てた手紙には、この本の所有者の変遷を伝える貴重な手がかりが記されていた。

 マルチが記したところによると、神聖ローマ皇帝「ルドルフ2世(在位1576~1612年)」が600ドゥカート金貨という大金でヴォイニッチ手稿を購入したことがあるというのだ。

 ただこの事実を示す公式な文献は残されていない。

 当時、帝国の図書予算は3年間で1000フローリン金貨(ドゥカート金貨と同等の価値があったとされる)だったので、1冊の本に600ドゥカート金貨というのは常識的ではない。

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 帝国図書館や皇帝の私的な蔵書の目録にもヴォイニッチ手稿は記載されていないし、1648年以降(この年スウェーデン軍が皇帝の図書館を略奪)のスウェーデン王立図書館の記録にもない。

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ヴォイニッチ手稿とともに発見されたヤン・マレク・マルチがアタナシウス・キルヒャーに宛てた手紙 / image credit:Beinecke Rare Book and Manuscript Library, Yale University, New Haven, Connecticut

神聖ローマ皇帝がヴォイニッチ手稿を購入したという新たな証拠

 だがこのほどドイツブレーメン芸術大学のシュテファン・グジー教授が、ルドルフ2世が本当にヴォイニッチ手稿を購入していたらしきことを示す、新たな記録を発見したと報告している。宮廷の会計帳簿に、その事実を裏付ける記録があったのだという。

 グジー教授は、ウィーンプラハの”ご座所”でつけられた帳簿126冊に記されていた7000件の仕訳を詳しく調べてみた。すると、たった1件だけ金貨600枚で書籍を購入した記録があったのである。

 それは1599年当時のもので、医師のカール・ヴィーデマン(Carl Widemann)がルドルフ2世に写本のコレクションを500ターラー銀貨で売却したことを証明するものだ。

 別の記録によれば、金額は600フローリン金貨に相当するという。さらにまた別の記録では、このコレクションについて「注目すべき/珍しい本」と評し、小さな樽で運ばれたと記されていた。

 グジー教授によれば、当時の皇帝の取引はほとんどがフローリン金貨で、ターラー銀貨やドゥカート金貨はごくわずかだったのだという。

 仮にターラー銀貨やドゥカート金貨で取引されたとしても、最終的にはフローリン金貨が使われるのが普通だったのだそうだ。

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ヴォイニッチ手稿を所有していたとされるルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝) / image credit:public domain/wikimedia

皇帝以前の所有者たち

 この記録には、皇帝以前の所有者を知るヒントも残されていた。

 ヴォイニッチ手稿の売主であるヴィーデマンは、16世紀のドイツ人医師レオンハルト・ラウヴォルフ(Leonard Rauwolf)という人物の家に住んでいた。

 ラウヴォルフは植物学者でもあり、近代になって初めて近東の植物を収集・記録したことでも知られている。そのためヴィーデマンはラウヴォルフからヴォイニッチ手稿を譲り受けたのではと推測されるのだ。

 植物がたくさん描かれたヴォイニッチ手稿は、植物学者にとって興味深いものだったろう。

 この研究は、第1回ヴォイニッチ手稿国際会議(International Conference on the Voynich Manuscript)の議事録に掲載された。

References:Previous owner of Voynich Manuscript revealed – The History Blog / written by hiroching / edited by / parumo

 
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ヴォイニッチ手稿の知られざる歴史が明らかに。元所有者が判明する