2000年代、IT企業家たちがしのぎを削った、インターネット激動の時代。04年にフジテレビを買収しようとして世間を騒がせ、05年には政界進出に失敗したライブドアの元社長・堀江貴文氏が、06年1月に証券取引法違反の疑いで逮捕された「ライブドア事件」の衝撃を色濃く覚えている人も多いだろう。

 ここでは、日本経済新聞編集委員の杉本貴司さんが、ネット革命時代を歩んだ人々の「知られざる」ドラマを紐解いた『ネット興亡記: ②敗れざる者たち』(日経ビジネス人文庫)より一部を抜粋。粉飾決算の責任を問われ逮捕される直前の堀江氏の行動とは——。(全2回の1回目/LINE編を読む

◆◆◆

破滅の足音

 年が明けた2006年。堀江は盟友の藤田晋を誘ってラスベガスに旅行に向かった。ともにインターネット産業の黎明期からここまで駆け抜けてきた二人だが、プライベートで一緒に旅行するのは、これが初めてだったという。

 ラスベガスと言えばカジノの街である。カジノの街というより、街のような巨大なカジノが、いくつも連なっていると言った方が正確かもしれない。もともとは砂漠の中にある小さなオアシスだったが19世紀中ごろにゴールドラッシュに沸く西海岸に向かう中継地点として人が増え始めた。1929年にニューヨークでの株価暴落に端を発する世界恐慌が起きると、手っ取り早く金を稼ぎたい者が増えて賭博が合法化されたという。

 堀江と藤田も当然のようにカジノに向かった。どのカジノにもあるのがブラックジャックテーブルだ。マジシャンのような慣れた手つきでディーラーカードを配り、プラスチック製のコインを奪い合う。

 テーブルに並んだ堀江と藤田。しばらくすると藤田は堀江の異変に気づいた。このシーンは著書『起業家』で次のように描いている。一部を省略して引用する。

〈 熱くならないよう堅実に賭けている私の隣で、堀江さんは時間を惜しむかのように私の何倍かの額を一気に賭けていました。

 

 驚いて振り向いた私の顔を見て、

 

リスクを取らないとリターンはないんだよ」

 

 そう堀江さんが言っていたのが印象的でした。

 

(堀江さん、賭け方が変わったな)

 

 以前の堀江さんは臆病なタイプでした。その性格は企業経営や買収にも表れていたのですが、賭け方がすっかり荒っぽくなっているのに驚きました。〉

 改めてこのシーンのことを藤田に聞いてみると、実は違和感は、もう少し前から感じていたという。特に気になったのがフジテレビ買収のためにMSCBで調達した800億円だったと言う。

「堀江さんはもともと、すごく臆病で手堅く慎重な人だった。年間の売上高を大きく超えるような調達をやるような人ではなかった」

 ちなみにフジテレビの買収に乗り出す直前の2004年9月期の売上高は308億円である。「ホリエモン」となった堀江の異変は、メディアへの露出とともに一気に加速していったように見えた。

「常に軸足を経営に置きながら(テレビ出演で)宣伝をやっていたのに、政治にいったあたりからなんだかよく分からないようになっていましたね。まるで糸が切れた凧みたいに」

 藤田はこの頃の堀江に対して「堀江さんは同世代で初めて焦りと嫉妬を感じた相手でした」と認めている。従来の企業経営者の枠に収まりきらない破天荒な言動で常に世間の耳目を集める堀江流の経営スタイルを目の当たりにして「引き離されてしまった」という感覚を覚えたというのだ。

 そこに垣間見えた、言い様のない違和感――。導火線にともされた火はジリジリと燃えながら堀江に近づいていた。誰にも気づかれることなく、静かに、だが着実に。

 ラスベガスへは堀江のプライベートジェットに同乗したが、帰路は別々だった。日本に着いた頃には、すでに正月気分も抜けつつある。

 その頃――。霞が関の東京地検特捜部では、「獲物」を追い込むための作業が大詰めを迎えていた。

「迷惑なんだよね」電話口で突然の豹変

 その時は突然やって来た。1月16日午後。誤報かと思われたNHKによる「東京地検特捜部がライブドアを家宅捜索した」という一報が、現実のものとなった時には、すでに日が暮れていた。

 六本木ヒルズ38階のオフィス。机の上の資料やパソコンが次々と段ボール箱に詰められて持ち去られていく。当初はわけが分からず係官にかみついていた堀江も、なすすべがなくその光景を目の前で見ているしかない。

 中国・大連に出張中だった宮内(編注:宮内亮治。当時のライブドア取締役)のもとに断続的に届く情報も、いまいち要領を得ない。部下の携帯電話も押収されたのか、次第に東京とは連絡がつかなくなってしまった。ただ、「過去の赤字会社に関するM&Aで疑いが持たれている」「風説の流布や偽計取引の疑いがかけられている」といったことが断続的に伝わってきた。

 当初は堀江がまた何かやらかしたのかと思っていたが、どうやら疑惑の視線は宮内自身が管轄するファイナンス部門に向けられているらしい。そこで宮内には気がかりな人物がいた。

 野口英昭だ。

 野口はオン・ザ・エッヂ(編注:ライブドアの前身となった会社)時代に上場作業を進めるため、宮内が証券会社から引き抜いた人物だ。オン・ザ・エッヂに入る条件として野口が投資ファンドの設立を提示し、宮内のゴリ押しで堀江が渋々ながら追認した。

 野口は投資ファンド「キャピタリスタ」の社長となったが、堀江とソリが合わず、すぐに退職してしまった。ただ、その後にエイチ・エス証券に転じてからも自らが代表を務める「HSインベストメント」を通じてライブドアの複雑なM&Aに深く関わっていた。

 やはり、というべきか野口の会社にも捜査の手は伸びており、携帯電話はつながらない。ようやく連絡が取れたのは強制捜査が入った翌日の17日になってからのことだ。

 ファンドによる取引に何か問題があったのか。

 そう問う宮内に、野口は「ファンドの件は全然問題ないよ」と答えたという。宮内は少しほっとすると、そのまま帰国の途に就いた。

 その日の夕方、帰国した宮内は再度、野口に電話を入れている。すると、野口の口調が一変していた。

「迷惑なんだよね。あなた方が……」

 普段は丁寧な話し方の野口のあまりの豹変(ひょうへん)ぶりに驚いた宮内は、このひと言がずっと頭に残っていたという。

朝に自宅のチャイムを鳴らしたのは…

 強制捜査が入ってからというもの、堀江と宮内は24時間態勢でマスコミに追われることになった。二人は職場のすぐ隣に立つ高層マンションの六本木ヒルズレジデンスに住んでいたが、歩けば5分ほどのオフィス棟まで、二つのビルの地下駐車場から車で行き来することになった。もちろん、マスコミの目を逃れるためだ。

 取引先などからはひっきりなしに説明を求める連絡が入る。ただ、この時点では東京地検特捜部の狙いがどこにあるのか、いまいち判然としない。当然、仕事にならないが、事後対応に忙殺されるうちに一日が終わる。テレビをつければ延々とライブドアに関する情報が飛び交っている。

 強制捜査から2日後の2005年1月18日。今度は株式市場が大揺れに揺れていた。この日は朝から株式市場で全面的に売りが殺到し、午後になると東京証券取引所はシステム処理の能力が限界を迎えつつあった。

 東証は全銘柄の売買停止という異例の処置に出た。日本の株式市場の中枢が突如としてストップした、いわゆる「ライブドアショック」だ。

 東証が異例の決断を迫られていた、ちょうどその頃――。

 場所は変わって六本木ヒルズ38階。平松庚三はライブドア本社が入るフロアの一室に呼び出されていた。平松は2004年ライブドアが買収した会計ソフトの「弥生」の社長で、買収後はライブドアの上級副社長も兼ねていたが、その部屋へのアクセス権がなかったため、足を踏み入れたのはこの日が初めてだった。

 通称「容疑者ルーム」。平松を呼んだ堀江自らが招き入れたその部屋は、社内でこんな名で呼ばれていた。堀江や宮内が捜査を進める検察への対応を練るために使っていたからだ。

 部屋の真ん中に置かれたテーブルの上にはバケツが置かれている。中には山盛りのタバコ。堀江はタバコを吸わないが、宮内が愛煙家だったのだ。部屋の「主人」である堀江が、いつになく改まった口調で平松に告げた。

「万が一の時はライブドアをお願いします」

 平松にとっては、青天の霹靂だった。

 早朝に宮内の自宅のチャイムが鳴ったのは、その翌朝のことだった。宮内が玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは堀江だった。前述の通り、宮内と堀江はともに六本木ヒルズレジデンスに住んでいたが、堀江が宮内の自宅に来ることなど皆無だった。しかも早朝のことである。

「落ち着いて聞いてください。野口さんが亡くなりました」

「え、どういうこと?」

 堀江の口から聞かされたのは、宮内にとっても驚きの事実だった。野口が沖縄で遺体で見つかったのだという。遺体の手首には複数の切り傷があったという。

「ということは……、自殺ですか」

「そうみたいですね」

 どうやら堀江は、宮内も自殺していまいかと思って自宅にやって来たようだった。宮内の頭をよぎったのが、あの電話の声だった。

「迷惑なんだよね。あなた方が……」

 今でもはっきりと覚えている。ただ、野口が何を言いたかったのか……。その後は少しだけ話したが、これといった会話もなく、すぐに電話を切ってしまったという。

 野口の死には謎が多い。宮内と電話で話した日は自宅に帰らず、翌18日早朝に飛行機で沖縄へと向かっていた。沖縄に着くと、昼前に那覇市内のカプセルホテルチェックインしていた。

 ここまでの足取りがすでに不可解である。なぜ沖縄なのか。そしてエイチ・エス証券副社長でもある野口が宿に選んだのが、なぜ24時間営業のカプセルホテルなのか。しかも偽名でチェックインされていた。

 さらに謎は深まる。

 午後2時35分頃に非常ベルの音に気づいた従業員が3階にある野口の個室を開けようとしたが、内側からカギがかかっていて開けられない。合鍵で開けたところ、サウナ着に血まみれの野口が発見されたという。ベッドには血の付いた包丁が落ちていた。病院に運び込まれたが、発見から1時間後に出血多量で死亡が確認された。

 沖縄県警は早々に自殺と判断したが、左右の手首を切った痕があるほか、首を切った痕も残されていた。死を決意していたとしても、果たしてそこまで自分で自分の身を傷つけられるものなのか。そして、それならなぜ非常ベルを鳴らしたのか――。

 野口の死には他殺を疑う声も根強く残ったため、翌2月には国会でも国家公安委員長が他殺説を問われる一幕があった。

 いずれにせよ、野口の死の真相は今も謎が多く残るままである。

虫の良いお願い

 話を六本木ヒルズの「容疑者ルーム」に戻そう。

 堀江から見れば強制捜査の理由と目された証券取引法違反の疑いが、どこまで連鎖するか分からない。つまり、誰まで捜査の手が及ぶのか、見当が付かない。仮に捜査令状に名前が明記されている自分や宮内らが逮捕された場合、誰にライブドアを託せばよいのか――。そして担当の弁護士によると、堀江と宮内が逮捕されることはほぼ間違いなさそうだった。

 翻って平松は過去の買収案件に全く関わっておらず、何があってもシロと言える。それが平松に後任を託した理由だった。ただ、堀江は自分で後継を願い出ておきながら後に刊行した著書『徹底抗戦』の中で、「あくまでリリーフだと考えていた」と述べ、平松が意中の人物ではないものの、他に選択肢がなかったと回想している。さらに「彼はネットのこともファイナンスのこともほとんど分かっていない人だった。周りが推したのかもしれないが、辞退すべきだったのではないかと思う」とまで述べている。

 まことに虫の良いお願いとしか言えないが、平松はこの申し出を受けることにした。この日から5日後の23日、堀江と宮内が逮捕されてライブドアを去らざるを得なくなったからだ。

きっかけは“東日本大震災”? 電話がなかなかつながらず…日本で最もよく使われるアプリ「LINE」誕生のヒミツ へ続く

(杉本 貴司/Webオリジナル(外部転載))

堀江貴文氏 ©文藝春秋