脳科学者・茂木健一郎氏が感銘を受けた、「地図よりコンパスが大事」という言葉。成長しない企業は、この言葉を実行できていないといいます。「地図よりコンパスが大事」とは、どのような意味なのでしょうか。みていきます。※本連載は、茂木健一郎氏の著書『「本当の頭のよさ」を磨く脳の使い方 いま必要な、4つの力を手に入れる思考実験「モギシケン」』(日本実業出版)から一部を抜粋し、幻冬舎ゴールドオンライン編集部が本文を一部改変しております。

多くの日本企業が見落とす「コンパス」の重要性

元MITメディア・ラボ所長が語った「地図よりコンパスが大事」の意味

「地図よりコンパスが大事」こう語ったのは、僕が親しくしている、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディア・ラボの所長を務めていた伊藤穰一(いとうじょういち)さんです。伊藤さんは、少年時代をアメリカで過ごし、シカゴ大学などで物理学を学び、日本に帰国してからはインターネット技術の普及に尽力し、これまでにTwitterなど数々のネットベンチャー企業の事業支援をして、日本人としてはじめてMITのメディア・ラボの所長に就任した方です。

さて、「地図よりコンパスが大事」とはいったいどういう意味なのか? 伊藤さんは、このように解説しています。

「複雑かつスピードの速い世界では、すぐに書き換わってしまう地図を持つよりも、優れたコンパスを持つことが大切です。強い企業はすでにコンパスを持ち、現場で素早く物事を決めていますが、多くの日本企業はいまだに地図をつくるために膨大な時間とコストをかけています。見通せない未来という地図を懸命に描こうとしているのです」

障害のある作家のアートをプロダクトに…成長する企業の考え方

たとえば、日本に「ヘラルボニー」という企業があります。「異彩を、放て。」をミッションに、福祉施設に在籍する知的障害のある作家とアートライセンス契約を結び、洋服、日用雑貨などいろいろなプロダクトを世に送り出しています。

「ヘラルボニー」の創業者は双子の兄弟で(僕は直接の面識はありませんが)、彼らのお兄さんに知的障害があり、彼らのミッションの根底には、「知的障害のある人のさまざまな個性を可能性として社会に送り出す」という強い意志が感じられます。

従来、福祉施設に在籍する障害のある方の仕事といえば、たとえば何かの袋詰めをする単純作業だったり、パンやクッキーを焼いて安く売ったりという、職業体験が目的のような軽作業が一般的でした。単に、障害のある方に職を用意するのなら、従来のやり方での展開を考えてもよかったでしょう。福祉の業界で、これまでのやり方に沿って展開する。これがいわゆる従来の「地図」の考え方です。

しかし、それでは障害のある方の孤立や、金銭的な問題など、真の課題は解決されない。だからこそ、大きく舵を切って、彼らの個性を才能と定義し直し、彼らのさまざまな表現をアートにして世に送り出す。

この、障害を個性・可能性ととらえてマネタイズするという方向性、「地図を書き換える力」に必要になるツールこそが、伊藤さんの言う「コンパス」です。

「仮説力」を高めるための2つのポイント

これは、「仮説力」とも言い換えることができます。「仮説を立てる」と一言に言っても、不確実な現代社会を生き抜くためには仮説の精度が問われます。緻密な仮説を立てれば、それが荒海をゆくコンパスになり、結果として地図を書き換えられるのです。

コンパスが必要なのは、たとえば大企業やそのトップ、政治的なリーダーたちだけに限りません。いまからの時代、僕たち個人個人もコンパスが必要です。僕たち1人1人のコンパスは、「自分の人生をどのように生きていくか」という指針です。

では、どのようにすればコンパスを、しかも精度の高いコンパスを持てるようになるでしょうか? 精度の高いコンパス=緻密な仮説を立て、地図を書き換えるためには、何より情報が必要です。まずはたくさんの情報をインプットする。ただ、それだけでは仮説は立てられません。

たくさんの情報を組み立て、仮説を立てるには、抽象化する能力が必要になってきます。何かを分析することになってデータを集めた。データ量に不足はなかった。でも「分析」が間違えていた、ということがあります。この「分析が間違えていたようだ」を掘り下げると、データを抽象化する力が足りなかったという場合が多いのです。

たとえば「雨の日は晴れの日に比べて傘が5倍売れる」というデータがあったとして、「じゃあ長靴も売れるはずだ」と仮説を立てるのは間違いではないかもしれないけど、傘ほど売れない気がしませんか? 傘は雨が一定量を超えるとどうしたって必要ですが、長靴はなくてもなんとかなる場合のほうが多いからです。

「雨の日は晴れの日に比べて傘が5倍売れる」なら、「傘を忘れたり、なくしたりする人は意外と多い」とも読み取れます。だったら「買うより安い値段で傘を貸し出して、どこかで回収するシステムをつくれば人の役に立つし儲かりそうだ」と考えるのが、抽象度の高い仮説を立てるということです。

最新の脳科学の研究で、抽象化思考においては、価値判断に関わる脳領域が優先的に使われていることがわかっています。

また、この研究では、視覚情報が抽象化の鍵になることも明らかにされています。この研究では、抽象化思考を促進する要因を見ているときの脳活動にだけ報酬を与えるトレーニングを行なったそうです。その後、同じ実験を再度行なったところ、報酬が与えられたときと同じ視覚情報を得た場合に、抽象化思考の際と同じ活動が増加したそうです。

つまり、仮説力を高めるには、次の2つが重要です。

・情報をたくさん手に入れること ・抽象化の能力を鍛えること

そして、抽象化のトレーニングには、「目で見て選ぶ」という訓練が有効なのです。

茂木 健一郎

理学博士/脳科学

(※写真はイメージです/PIXTA)