光市母子殺人事件弁護団のひとりとしても知られ、弁護士と研究者の二足の草鞋を履く石塚伸一教授(龍谷大学法学部)が退任する。「検事になって、悪い奴をバンバン捕まえて、死刑にしてやろう」と思っていた中央大学法学部時代。各地の刑務所に足を運び、受刑者らの声に耳を傾け、研究活動を進めるうちにたどり着いたのは、死刑反対という結論だった。

1月13日龍谷大学京都市伏見区)でおこなわれた最終講義で語ったのは、犯罪や非行をした人も「甦る」というメッセージだった。

●「どんなに傷ついても、生きて目の前に立ってほしい」

石塚教授は、刑事政策のみを教える「専業刑事政策学者」として、1987年10月に北九州市立大学に就職後、1998年4月に龍谷大学に移籍し、約25年勤めた。受刑者の権利、死刑問題、薬物依存からの回復、宗教教誨などの研究に尽力してきた。

最終講義では、画家・レンブラントの作品「放蕩息子の帰還」を紹介。放蕩息子が父親の元に帰ってくるという聖書のエピソードを描いたものだ。息子が「悪い人」「いい人」になっているか否かは関係なく、父親は「一度死んだと思った人が生きて帰ってきたことを喜んでいる」と説明したうえで、「更生」について、次のように見解を述べた。

「『改善』は社会のためになるようになること、『更生』は社会に復帰すること、というふうに理解されています。社会のためになってくれるならば、受け入れてあげるというのが『改善更生』の考え方です。しかし、本当にそうでしょうか。

『更生』とは、『甦る』ということ。一度は死んだと思った人が私たちの前に立っている。だから、僕は死刑に反対です。弁護している人が死刑を執行されました。もう二度と会うことはできません。大きな失望です。どんな状況になっても、どんなに傷ついても、生きて目の前に立ってほしい。生きていてくれる。これが更生だと僕は思う」

●「教室を満杯にしたい」夢かなう

石塚教授は、席が埋まる教室を見て、北九州市立大学で教鞭をとる前に明治学院大学で非常勤講師をしていたころを振り返った。

当時、レジュメを用意して向かった教室には、学生がひとりもいなかった。翌週も、教室に学生が現れることはなかった。別の曜日の授業に参加した2人の学生を「神さまだと思った」。それ以来、「授業をおもしろくして、必修ではない科目で教室を満杯にしたいと思った」といい、最終講義で実現できたことに喜んだ。

今後は拠点を東京にうつし、市民のための刑事政策実現を目指して研究活動などをおこなう一般社団法人「刑事司法未来」で活動を続けるという。最終講義は、刑事司法未来のホームページからも視聴できる。

「罪を犯しても甦ることはできる」刑事政策研究ひとすじ、石塚伸一教授が最終講義で訴えたかったこと