「俺は野球選手になりたかった。でも、その夢はかなわなかったので、何としてでも子どもを野球選手にしたい」「子どもはサッカーをやりたがっているが、私が野球ファンだから野球を習わせたい」「私はアイドルになりたかった。でも芽が出なかった。だから娘に夢を託し、ステージママに徹して、毎日頑張っている」。

 これらの“親の思い”を、子どもはどう感じているでしょうか。もしかしたら心の中で、こう叫んでいるかもしれません。「お父さん、お母さん。私はあなたの期待に応えるために、この世に生まれてきたのではありません」と。

親の役目は「選択肢を増やす」こと

 同様に、次のような“親の思い”も一見すると、子どもの幸せを願っているように見えますが、実は“親の押し付け”ではないでしょうか。

低学歴で就職先にも恵まれず、安月給で働く夫の姿を見ている。だから、子どもには苦労をさせたくない。◯◯大学に何としてでも合格してほしい」

「結婚、出産を機に仕事を辞めてしまった。娘には、何の取り柄もない、ありふれた主婦である自分のようになってほしくない。手に職をつけて、バリバリ仕事をしてほしい」

 この世に生を受けたわが子が、自分で自分の未来を選べないとしたら、そこに子どもの人生は存在しないのではないでしょうか。

 例えば、田舎に住んでいる家族の娘が、「上京してアイドルになりたい」と言い出した場合。「かわいい娘を手元に置いておきたい」「怖い東京に一人で行かせるなんてとんでもない」「苦労して傷つくのは目に見えている。そんな道に進ませるわけにはいかない」。

 どれも、親としては当然の気持ちであり、分からなくもないですが、こうした理由で親が上京を許さなかったなら、子どもにしてみれば「夢を奪われた」と思っても不思議ではありません。本当に親が子を思うのなら、「もし、挫折して傷ついたら、いつでも田舎へ帰っておいで」と、オアシスを用意してあげるのがよいのではないでしょうか。

 一方で、わが子に何も期待せず、何も与えず、危険があるのに野放しにしているのはどうでしょう。これは「自由に伸び伸びと」と言いながら、放置・放任している状態かもしれません。

「子どもが選ぶ職業の選択肢を増やしてあげる」ことが子育てなのだと思います。でも、いよいよ職業選択をするとき、「ミュージシャンを夢見ていたが音感がない。だから諦めた」「医者になりたかったが低学力。医学部なんて夢のまた夢」「世界を股にかけた仕事がしたい。でも英語が話せない」「野球選手になりたい。でも運動神経がない」といったふうになってしまう人が大半ではないでしょうか。

 将来、子どもがどんな職業を選ぶかは、子どもの人生なので自由です。親の役目は、その選択肢を増やしてあげること。出た芽を引っ張って誘導するのではなく、肥料だけをせっせと与えているだけで十分です。親は、自然と芽が育っていくのを、ただ見守っていればいいのだと思います。

 子育ては諦めの連続です。期待や夢を求めても、それがかなわず、ふと「ああ、この子は私の遺伝子を持った子なんだ」と気付きます。諦めの連続の中で悲しんだり、思わぬ発見があったり、成長を垣間見て喜んだり……。それが子育てなのだと思います。皆さんはどうお感じになりますか。

子育て本著者・講演家 立石美津子

子どもの幸せを願っているように見えても…