いわゆる「老後2,000万円問題」や「年金不安」が取り沙汰され、定年後の生活費に不安を抱えている人は多い。たしかに、定年後は仕事をしたとしても、現役時代のような高い収入を稼ぎだすのは難しい。しかし、家計の支出額は、その人のライフサイクルの段階に応じて変わる。そこで、まずは現実を見据えるべく、定年後には一体どのくらいの出費があるのか、客観的データをもとに家計支出の全体像を追う。

定年後は教育費から解放され、生活費がぐっと下がる

[図表1‐3]は、総務省「家計調査」から、二人以上世帯の一月当たりの平均支出額を年齢階級別に取ったものである。64歳までは勤労世帯の家計収支を、65歳以降は無職世帯の家計収支を取ることで、65歳で引退すると仮定した生涯の家計支出の全体像を分析していく。

家計支出額は34歳以下の月39.6万円から年齢を重ねるごとに増大し、ピークは50代前半の月57.9万円となる。人生の前半から中盤にかけての時期は、家族の食費に教育費、住宅費、税・社会保険料ととにかくお金がかかる。

その後は、50代後半まで家計支出は高い水準を維持しつつ、60代前半以降で減少していく。最も減少幅が大きいのは50代後半から60代前半にかけて。定年を境に、月57.0万円から43.6万円と支出額が減る。60代前半以降も家計支出は減少を続け、60代後半時点で月32.1万円、70代前半時点で29.9万円まで出費は少なくなる。それ以降も緩やかに家計支出は減少、70代後半以降は月26万円程度で安定して推移するようになる。

支出額の減少に最も大きく寄与しているのは、教育に関する費用である。家計調査では授業料や入学金、塾などの補助教育費などの「教育費」に、定期代、かばんや文房具、遊学中の仕送り金などの間接的な経費を合わせたものが「教育関係費」としてまとめられている。

教育関係費は、50代前半で月5.1万円だったものが、50代後半で月3.3万円、60代前半で月0.8万円まで減少し、それ以降はほぼゼロになる。これは定年前後以降の家計支出額減少分の大きな部分を占める。長年家計の悩みの種であった教育に関する費用から解放され、生活費がぐっと下がるのである。

持ち家比率が上昇し、住宅費負担がなくなる

そして、もう一つ定年後の生活水準に大きくかかわる項目に、住宅関連費用がある。

住居については、持ち家の購入が良いか、それとも借家住まいが良いかは、一概に甲乙つけがたい問題でもある。持ち家には住宅ローンさえ払い終えれば自身の資産になるというメリットがある一方、借家にもライフスタイルに合わせて自由に住居を変えることができるというメリットがあるなど、それぞれに一長一短がある。

ただ、こうした中、定年後の家計を展望してわかることは、結果的には人生の最終期に持ち家を所有していることは、概ね良い選択になるということである。

その根拠は、住居非保有者の家計支出の内訳をみるとわかる。[図表1‐3]では、住宅保有者を含む全世帯の支出の平均値を表しているため、家計支出に占める住居費の割合は小さい。しかし、借家の人に限定して家賃に関する費用を算出すると、65~74歳でその額は月5.1万円に上る。月5万円程度の支出というのは、高齢期の家計にとってはかなり大きい。高齢になって働けなくなる時を想定すれば、できる限り家賃はかからない状況にしておくことに越したことはない。

持ち家比率と住宅ローンの関係性

実際に、持ち家比率は年齢が上がるにつれて上昇する[図表1‐4]。34歳以下の年齢階層で51.1%であったものが、40代後半で80%、60代前半で90%を超える。そして、最終的には大半の家庭で家を保有するという選択をしていることがわかる。データからは、持ち家比率が住宅購入適齢期といわれる30代や40代を過ぎても年齢とともに緩やかに上昇する様子が見受けられる。

40代後半で80.8%だった持ち家比率が60代後半で92.3%まで上昇するように、住宅購入の判断が遅すぎるということはない。子育てがひと段落したのちに、身の丈に合った小さな住宅を購入するという選択も十分に合理的なのである。

住宅ローンの平均返済金額は、30代後半から40代前半の5万円程度をピークに下がっていく。住宅ローンの支払金額は定年後の減少が著しく、60代前半は月1.6万円、60代後半が同1.1万円、70代以降は住宅ローンを返済している人はほとんどいない。

現在のシニア世代は住宅バブルの真っ只中に住宅を購入した人も多く含まれる。それでもなんとか住宅ローンは払い終えている人がほとんどなのである。なお、この数値は住宅ローンがある人もない人も含めた平均金額である。

また、住宅に関係する費用は住んでいる地域の特性に大きく左右されるが、当然、数値には都市に住む人も地方に住む人も含まれている。

高齢期に住宅ローンの支払いが少ない理由は、多くの人は住宅ローンの早期返済を行っており、現役時代に債務を返し終わるからである。住宅金融支援機構「住宅ローン貸出動向調査」によれば、2019年度の住宅ローンの約定貸出期間は27.0年であるのに対し、完済債権の貸出後経過期間は16.0年であった。

近年は資産価格の高騰や金利の低下による影響などから、住宅ローンの返済期間は長くなる傾向にあるが、現状では多くの人が20年以内には借入金を返し終えていることがわかる。

高齢期に資産性のある住宅を所有しておくことは、自宅を担保に老後にかかる資金の借り入れを行う「リバースモーゲージ」による住宅資産の活用など、いざ高齢期に資金が足りなくなってしまった場合の保険にもなる。稼得収入があるうちに自身の経済状況と相談しながら、住居保有の是非を適切に判断することが必要だろう。

多くが心配する「医療費負担」は意外に小さい

これは気づかれにくいことであるが、実は定年後の家計支出の最も大きな変化は「非消費支出」に表れる。非消費支出とは税金や社会保険料など家計の自由にならない消費のことである。50代後半で月14.2万円の額が必要となるが、60代前半で8.8万円、60代後半で3.7万円まで急激に下がる。

もちろんこれは定年後に非就業になる世帯という前提があるからでもあるが、そもそも定年後の労働収入はほとんどの家計でそう大きくないため、就業世帯であっても非消費支出が大きく減るという事実は変わらない。

逆に言えば現役時代にはそれだけ大きな税・社会保障負担を強いられているともいえるのだが、高齢になれば収入が減ることで所得税や住民税が大幅に減額になり、年金保険についてはそもそも保険料を支払う側から年金給付を受け取る側になる。

さらに、教育費や住宅費以外の項目に関しても、支出額は定年前後以降に緩やかに減少する。[図表1‐3]では細かな支出項目は「そのほか」の項目にまとめて記載しているが、支出額の増減を小項目の内訳で探っていくと、外食費、洋服費、自動車等関係費、通信費、こづかいなどの項目で特に減少する。子供が独立し世帯人数が減少することなどから、幅広い項目で費用が縮減することがわかる。

高齢期の家計を展望したとき、多くの人が不安に駆られるのはなんといっても保健医療費である。

しかし、実際に高齢期の家計簿をみると、65歳から74歳において平均月1.7万円となっており、保健医療に関する支出はそれほど多くはない。

重度の生活習慣病を患い継続的に医療費が発生する場合や、突発的な病気の後遺症によって長期の介護を必要とする場合など、高齢期のリスクについてそのすべてに対応することは難しいが、多くの場合は高額療養費制度など日本の医療保険制度によって必要な医療は低負担で受けることができるようになっている。

最後に、ここまでのデータはすべて二人以上世帯に関するものであった。家計調査においては、データの制約上、単身世帯の家計支出は35歳以上60歳未満と、60歳以上の世帯でしかとれないが、これをみても、やはり現役時代の月18.9万円から60歳以上で月14.8万円へと減少し、定年後にはそこまでのお金はかからないことがわかる。

高齢になると家計支出額が大きく減少する。このことは多くの人がぼんやりと認識していると思われるが、実際にこれほどまでに支出が減るということを多くの人はあまりわかっていないのではないか。40代や50代で現在の支出水準がこれからも続いていくような感覚を持ち、将来への不安を募らせる人も少なくないが、実際には高齢期の家計に過度な不安を抱く必要はないと考えられる。

坂本 貴志

リクルートワークス研究所

研究員・アナリスト

(※写真はイメージです/PIXTA)