第1次世界大戦の最中である1915年2月4日ドイツ海軍は潜水艦を用いた通商破壊を開始します。それまではあり得なかった前線ではない後方の海域を戦場へと変貌させたのは、同国の潜水艦であるUボートがきっかけでした。

潜水艦であるドイツUボートだからこそ行えた作戦内容

第1次世界大戦の最中である1915年2月4日ドイツ海軍は、海運などでの物資輸送を妨害する通商破壊潜水艦を用いて開始します。のちにこの作戦は、民需用や中立国船籍も含めた商船などについても攻撃目標とする、無制限潜水艦作戦に発展し、それまで戦場にならなかった後方を巻き込んだことで総力戦を象徴する一例となります。そして、この作戦を可能にしたのがドイツ潜水艦、通称「Uボート」でした。

そもそも潜水艦が大々的に戦争で用いられるようになったのは、1914年7月下旬に始まった第1次世界大戦が最初です。そして開戦から1か月半後の同年9月5日イギリス海軍が保有する偵察巡洋艦「パスファインダー」が北海で突如として爆発を起こし沈没します。原因はドイツ潜水艦U-21による雷撃。これにより「パスファインダー」は潜水艦の雷撃によって戦場で初めて沈められた艦船となりました。

第1次世界大戦以前にも、潜水艦は各国で研究されていましたが、外洋に出て任務をするには大きな問題を抱えていました。水上航行時と、水中潜航時に使うモーターの充電装置も兼ねる内燃機関がガソリンエンジンだったからです。

初期のガソリンエンジンは燃費が悪く、その影響で航続距離も短く、長期航海に向かない船でした。加えて、ガソリンは気化しやすいため、中毒や引火の危険性が高く、密閉空間である潜水艦には向かないという問題もありました。

それを解決したのが、19世紀末ドイツで発明された軽油・重油などの燃料を利用するディーゼルエンジンです。1913年6月から運用が開始されたU19は、初めてディーゼルエンジンを採用した潜水艦で、これにより航続距離が伸びたほか、安全性や信頼性も高まり、以降同艦を原型としてドイツ潜水艦開発が進みます。

弾道ミサイル攻撃も無制限潜水艦作戦のひとつか?

軍艦の数でイギリスに劣るドイツは、開戦直後からその海軍力を背景にしたイギリスの海上封鎖に悩まされていました。1914年11月頃には食料も含め、北海経由で運ばれてくるほとんど全ての物資がドイツに届かなくなります。それに対し、ドイツイギリスが海上封鎖を理由を北海全体が交戦地帯であるとしたことを根拠に、その報復としてグレートブリテン及びアイルランド島周辺を交戦地帯であると解釈し、潜水艦による史上初の通商破壊に乗り出したのです。

最初の無制限潜水艦作戦による戦果は1915年5月7日に出ます。このときは、アメリカ人が多数乗る客船「ルシタニア号」を撃沈したため、一時中断。アメリカ参戦の一因を作ったと言われますが、この戦法によりイギリスは大打撃をこうむりました。

ドイツが、無制限潜水艦戦を1917年2月に再開すると、多数の商船を撃沈され物資の輸送が完全に麻痺したイギリスは、慌てて護衛船団方式による輸送対策を講じるほどでした。このときイギリスが採用した護衛船団方式は、Uボートの被害を軽減することに成功しますが、結局、北海の制海権を完全に掌握しているはずのイギリスに終戦まで手痛いダメージを与え続けます。

結果、1918年11月の第1次世界大戦終戦までにイギリスが失った艦船は約5300隻、計1300万トンにものぼりました。この被害を恐れた連合軍により、敗戦したドイツヴェルサイユ条約で潜水艦の保有を禁止されたほどです。しかし、ドイツは様々な抜け道を駆使して、潜水艦の研究を続け、再軍備宣言とともにUボートを大量生産。第2次世界大戦の序盤では、再びイギリス軍を悩ませることになりました。

Uボートが猛威を振るった第1次世界大戦から約100年。現在、潜水艦は隠密行動による通商破壊のみならず、各種ミサイルによる地上攻撃まで担当するようになっています。海中からの弾道ミサイル攻撃などは無制限潜水艦作戦の極致と言えるもので、そう考えると、潜水艦の脅威は第1次世界大戦時に始まったと捉えることができるのではないでしょうか。

第1次世界大戦時のUボートのひとつUB型 (画像:南メソジスト大学)。