序盤から注目されているNHK大河ドラマ『どうする家康』。第4回放送分では、今川氏に見切りをつけた徳川家康織田信長と清洲同盟を結ぶが、どうにも信長が怖すぎると話題を呼んでいる。第4回の見どころポイントや素朴な疑問について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。なお、言及するのはまだ家康が「元康」と名乗っていた頃だが、この記事では「家康」で統一する。(JBpress編集部)

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信長の恐ろしさが存分に発揮されている

 織田信長は日本人にとって最も有名な歴史人物の一人だといってよいだろう。短気で、その怒りに火がついたら最後、何をするかわからない。そんな激情型の暴君として知られる信長だが、その一方で、古い慣習にとらわれない型破りな言動で、周囲を魅了する革命児というイメージも強い。昨今は信長の保守的な一面も強調されているが、人物像が揺らぐほどの影響はなさそうである。

 よく知られている信長をどう演じるかは、役者の腕のみせどころ。2020年放送の大河ドラマ『麒麟がくる』では、男臭くて力強い信長の印象とは程遠い俳優である染谷将太が好演した。「非常にナイーブがゆえに狂気が発動する」という新たな信長像に挑戦し、視聴者の心を強く惹きつけたことは記憶に新しい。

 では、今回の『どうする家康』での岡田准一演じる信長はどうかといえば、これまでのイメージを振り切るほどの男臭さである。バイオレンス全開で「ここまでやるか」と、かえって新しさを感じるほどだ。人質時代に信長からボコボコにされた家康は、完全にトラウマになっているという設定である(家康が幼少時代に信長に会っていたのかどうかは、過去記事「『どうする家康』の疑問、諸説ある家康の生年、信長と家康は会っていたのか?」を参照)。

 第4回「清洲でどうする!」では、そんな信長の恐ろしさが存分に発揮された。信長の暴君ぶりを引き出すのに一役買ったのが、寺島進演じる水野信元である。

家康が伯父の信元を嫌っていたワケ

 ドラマでは、織田方の水野信元は、今川方だった家康のもとにやってきては「織田側につけ」と忠告してきた。態度がずいぶんと偉そうなのは、信元が家康の伯父にあたるからだ。家康の母である「於大の方」の兄が信元ということなる。

 第3回では、信元について家康は「水野信元なる男、わしは嫌いじゃ」と家臣の前で吐き捨てている。家康と信元の関係を考えれば無理もないだろう。

 信元の父である水野忠政は自身の娘「於大の方」を松平広忠に嫁がせた。二人の間に生まれたのが家康である。ところが、家康が生まれた翌年に忠政は病死。息子の信元は父の後を継ぐと、あろうことか織田方につく。

 そのことで、妹である於大の方は夫の松平広忠から離縁させられてしまう。広忠は今川氏の影響下にあっため、妻の兄が織田方についたとなると、婚姻関係を続けるわけにはいかなかったのである(松平広忠と於大の方が離縁した背景については諸説あり)。

 つまり、家康からみれば、伯父の信元は、母と生き別れになった元凶ともいえる人物だ。それにもかかわらず、平然と「織田方につけ」というのだから、不快感しかなかったに違いない。そんな背景を踏まえれば、ドラマで家康が信元に心を許していないのも腑に落ちるものがある。

信元の豹変ぶりで際立つ信長の「怖さ」

 そんなふうにドラマの序盤で「主人公の家康が嫌がる曲者」として描かれた信元だったが、家康は葛藤の末に、信長と手を組むことを決意。家康は今川方の駿府に妻子を残しているだけに苦渋の決断だったが、結果的には信元の意向に沿うかたちとなった。ドラマでは信元が家康に「ようやく、正しいほうに張ったな」と満足そうに語りかけている。

 第4回の冒頭では、まだ複雑な表情をしている家康を清洲城(別名:清須城)で迎え入れながら、信元はこう声をかけた。

「甥っ子、安心せい。俺と信長様は兄弟のようなもんだ。上手く取り持ってやるさ」

 しかし、このセリフは“振り”であり、信元は信長の前で口を開くことさえできなかった。ただ動揺してモジモジしているのだ。視聴者はこれまで信元の口達者ぶりを見せられているだけに、打って変わった態度に唖然としたことだろう。そう、信長の恐ろしさは、近しい家臣たちが一番よく知っている。信長と対峙して緊張するのは、何も家康だけではなかったのだ。

 緊迫感あふれる信長との対面を経て、家康らが清洲城から出ようとすると、何食わぬ顔で信元が現れて「いやあ、まぁこんなもんだ。俺は先帰る。お前らはゆっくりしていけ」といつものように軽口を叩いて帰路についている。一同はただ呆れるばかり。

 そんな癖の強い男だけに、信長の前での豹変ぶりがやたらと印象深く、信長の恐ろしさを際立たせることとなった。

宣教師フロイスが見た信長の暴君ぶり

 家臣たちが信長に畏怖する様は、荒唐無稽なドラマの演出ではない。宣教師のルイス・フロイスが自著『日本史』で次のように記述している。

「私が美濃国で目にしたすべての事物の中でもっとも驚いたのは、この国主が家臣より驚嘆すべき迅速さをもって奉仕され、外来の人々より異常なまでの畏敬の念をもって崇められていることである」

 フロイスが目を見張った、信長の家臣たちの態度とはどのようなものだったのか。具体的な説明が続いてなされている。

「すなわち、彼がわずかに手で立ち去るように合図をするだけで、彼らはあたかも眼前に世界の破滅を見たかのように互いに重なり合って走り去るのであり・・・」

 信長が手でちょっと合図しただけで、家臣たちはまるで世界の破滅を見たかのごとく、我先にとその場から立ち去ったのだという。少しでも動くのが遅れたら一体どうなってしまうのだろうか。生半可な恐ろしさではない。

 このフロイスの記述を読んでから、ドラマの清洲城でのシーンを見返してみてほしい。まさに家臣たちの雰囲気がこの通りだったことがわかるだろう。

史実よりも人生のターニングポイントを強調

 その一方で、今回のメイントピックスとなった「清洲同盟」について、ドラマの描写は史実とは異なる。

 確かに、江戸時代の中期や後期の史料には、家康が永禄5(1562)年の元旦に尾張の清洲城を訪れた・・・としている。『徳川実紀』でも「君は清洲城へお渡りになると信長は厚くもてなした」との記述が残されている。「君」とは家康のことだ。

 しかし、この頃、家康は東三河へと進軍。今川氏と何度となく衝突している。城を空ける余裕などなかったし、そもそも当時は、大名同士が顔を合わせて同盟を結ぶことは、ほとんどなかった。

 同時代の史料である『松平記』『三河物語』にも、清洲同盟についての記述はない。家康と信長は和睦していたものの、攻守同盟へと発展したのは永禄6(1563)年といわれている。この時点で、ドラマのように家康が清洲城にいる信長を訪れて、攻守同盟を結ぶことはなかったのである。

 とはいえ、史実を重視して、信長と家康の対面を描かなければ、ドラマとしてはつまらない。二人が手を組むという家康の人生におけるターニングポイントの重要性が伝わりづらくなるのだ。史実とは異なっても、あえて江戸時代の中期や後期の史料に基づいた「清洲同盟」をドラマに取り入れたのは、フィクションとしては成功していると感じたが、いかがだろうか。

家康目線でキャラの濃い「織田家臣団」を楽しむ

 史実と違い、清洲城で家康が信長と対面するということは、信長の家臣とも対面することにほかならない。視聴者は家康と同じく新鮮な視線で、織田家臣団を目の当たりにすることになる。

「猿」と自身を卑下しながらも目が笑っていないムロツヨシ演じる豊臣秀吉や、その秀吉のケツを蹴り上げた吉原光夫演じる柴田勝家らである。武闘派の柴田は、頭脳派の秀吉とは対照的であり、のちの対立を予感させるシーンとなっている。

 家臣だけではなく、信長の妹である市も登場。家康が織田方の人質となった幼少期に二人は出会っていたという設定だが、市の生年はよくわかっていない。信長が二人を結婚させようとしたことも含めて、フィクションである。

 注目すべきは、婚姻関係を結びそうになる市と家康の様子を、じっと見ていた柴田勝家である。それを観た秀吉は「ほら、ほら、ほら。あそこござる柴田様。あの方も昔からお市様にぞっこんだでのう。見てみ、ほら、あの悔しそうな、ほら、あのお顔」といって柴田をいじっている。

 山田裕貴演じる本多忠勝に「こやつを蹴りたくなる気持ちが分かってきた」と言わせて、秀吉のキャラを立たせている。柴田と市が今後、どんな絡みを見せるのか。史実を踏まえると、二人の関係性には注目したいところだ。

 これまでの放送回に比べると、フィクションの要素が強い第4回放送ではあったが、歴史の表舞台で活躍する織田方の家臣たちが登場した、という意味でも見応えがあった。家康を取り巻く人間関係の伏線を張るためにも、家康と信長を清州城で対面させて、お互いの家臣団の顔合わせを行う必要があったのかもしれない。

 次回となる第5回では、家康が駿府に置いてきた妻と子を奪還すべく、家康の家臣たちが活躍することだろう。今回の第4回が織田家臣団のターンだっただけに、次回は松平家臣団のどんな個性が発揮されるのか、楽しみである。


参考文献
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
中村孝也『徳川家康文書の研究』(吉川弘文館)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
柴裕之『青年家康 松平元康の実像』(角川選書)
大石泰史『今川義元』 (戎光祥出版)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  『どうする家康』の疑問、諸説ある家康の生年、信長と家康は会っていたのか?

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