
受け取ることのない保険金のために、保険料を払い続ける。基本的には損をするのに、宝くじを購入する…。私たちが時折「経済的には損をするのに、なぜやった?」という非合理的な行動をとってしまうのは、どうしてでしょうか。太宰北斗氏の著書『行動経済学ってそういうことだったのか! -世界一やさしい「使える経済学」5つの授業-』(ワニブックス)より一部を抜粋し、そのヒントとなる「行動経済学の代表的なアイデア」を紹介します。
ヒトの判断に関わる「2つの脳内システム」
さて、人は非合理な行動を取ることがあります。なぜ、そうなってしまうのでしょう? 私が思うに、これに対する行動経済学の考えは主に2つです。
●ヒトの情報処理能力は、割と簡単に限界を迎えるみたい
●(特にリスクがあるときには)選択がどうにも冷静にはできないみたい
本稿では情報処理の話を紹介していきましょう。ここで出てくるのが行動経済学の“発端となるアイデア”のひとつです。
それは、脳には何やら「システム1」「システム2」という2つの認知機能があって、この2つの並行処理によってヒトは判断をしているというものです。
システム1は、主に知覚や直感により動くもので、特に意識しなくても自動的に機能している情報処理システムです。「深く考えることなく、様々な情報を素早く判断できる」という特徴があります。
小学校で習った九九は、多くの人が考えずに答えられるでしょう。これは経験や訓練によって、九九がシステム1で処理できるようになっていることを意味します。
これに対して、「258×73は?」を解くときなど、意識しないと機能せず、情報処理も遅い脳内システムのことをシステム2と呼びます。
なんだか役立たずのシステムのようですが、システム1では処理できない、分析や推論などの思考を司(つかさど)ることができます。また、注意深く振る舞うべき場面で、システム1を制御して、慎重な判断を行なおうとする機能もシステム2に関わってきます。
こうして脳内では、「簡単で日常的な作業はシステム1」で、「複雑で注意を要する作業はシステム2」で処理しようという、効率的なデュアルシステムが組み上がっています。
さて、ここで気をつけてもらいたいのが、「いつどこで、どちらのシステムが使われるか“明確な区分けはない”」ということです。システム1は“自動で素早い”というのが特徴ですから、稼働してほしくない瞬間にも顔を出してきてしまい、脳内の処理に混乱をきたすこともあるのです。
特定の状況で起こる「システム1のエラー」
普段とても便利なシステム1ですが、実は、特定の状況で決まったかのようなエラーを起こすことが多くの研究でわかってきました。
システム1は頑張っても止められない自動発動型のシステムですから、結果、みなさんの意思決定は望ましくない方向、誤った方向に誘導されてしまいます。この問題を考えるため、システム1の特徴をもう少し確認してみましょう。
システム1の情報処理が速い理由のひとつは、経験を頼って類似のシチュエーションに当てはめることで、直感的に判断できることにあります。
この処理の仕方は「ヒューリスティクス」(経験則の意)と名付けられています。つまり、過去の経験などから“大体こんなものだろう”と判断しているわけです。大抵の物事に苦労せずザックリ対応できるのは、このシステム1のおかげです。
他にも、システム2を駆使しても解けなさそうな推論でも、わかりやすい状況に置き換えて結論を出そうとしてくれたりもします。たとえば、頭が痛ければ肩こりのせいかと考えたり、雨が続けばそろそろ梅雨入りかと考えたり。
でも、もともと簡単な処理を行なうためのシステムで強引に計算するわけですから、様々な非合理的な問題を私たちの意思決定にもたらします。
ただ多くの人が陥るミスについてはパターンが見つけられていて、比較的には予測が可能です。こうしたエラーは「バイアス」と呼ばれます。
4つのクイズでバイアスがあるか試してみよう
さて、みなさんの脳のシステムがどこまで適切に情報処理ができるか、まずは試していきましょう。いくつか「ヒトがハマると予想されている代表的なバイアス」に絞ってサクッと考えていきます(本気のクイズは4番目です)。
<クイズ1>
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【質問】図表2のうち、「か」で始まる単語と、「か」が3番目に来る単語と、どちらのほうが多いでしょうか?

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私の予想が正しければ、とりあえず途中で数えるのをやめて、この文章に戻って来ているはずです(私が挑戦したときはそうしました)。
ところで、これはいじわるな質問で、答えはどちらの単語も10個でした。
おそらく正確に数えた人は少ないはずですが、どうしてでしょう?
「システム2をわざわざ動かすのが面倒だったから」ですよね。そこで、システム1が勝手に動くわけですが、そうすると「か」で始まる単語が多いように感じたのではないでしょうか。
図表2の冒頭には「か」で始まる単語が多く配置してあります。また、「か」が3番目に来る単語を探すより、「か」で始まる単語を探すほうが、容易であったはずです。
この質問では、「か」で始まる単語がとにかく目につくように仕掛けられていました。こうした利用しやすい情報に飛びついて推論を進めてしまうために生じるエラーは、システム1の情報処理の特徴のひとつで、「利用可能性バイアス」と呼ばれます。
<クイズ2>
次はこの手の質問で世界一有名な女性の登場です。
「リンダは31歳の独身女性。社交的で聡明(そうめい)で、学生時代は哲学を専攻して差別の問題に高い関心を持っていた」
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【質問】リンダは次のどちらに該当する確率が高いでしょうか?
A…リンダは銀行員だ
B…リンダは慈善(じぜん)活動に積極的な銀行員だ
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正解はAです。単純に確率だけで考えれば、「リンダが銀行員であり、かつ、慈善活動に積極的である」確率は、単に「リンダが銀行員である」確率より小さいからです。
類似の質問で実験をした行動経済学者・カーネマン氏たちによると、Bを選ぶ人が多かったというのですが、みなさんはどうだったでしょうか。
ここで試されているのは、「物事のもっともらしい一面を捉(とら)えて、印象だけで推論を誤ってしまわないか」ということです。
Bを選んだとすれば、「哲学好きで差別問題に関心が高ければ、慈善活動にも興味の強い人」というストーリーを勝手につくり上げて冷静な推論を怠(おこた)ったわけです。
こうした、心の中で期待するストーリーに引っ張られることを「代表性バイアス」と呼びます。
<クイズ3>
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まずは、好きな数字を思い浮かべてください。
奇数を思い浮かべたのなら質問1と2を、偶数を思い浮かべたのなら質問3と4を読んで回答してください(可能であれば、読まなかったほうの質問を近くの誰かに見せて回答を比較してください)。
●奇数を思い浮かべた人はこちら↓
【質問1】私(筆者)の月給は20万円より低いでしょうか?
【質問2】国連加盟しているアフリカの国の数はいくつでしょうか?
●偶数を思い浮かべた人はこちら↓
【質問3】私(筆者)の月給は100万円より高いでしょうか?
【質問4】国連加盟しているアフリカの国の数はいくつでしょうか?
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給与の話はさておいて、2021年3月時点でアフリカの54ヵ国が国連に加盟しています。
さて、あなたの回答は給与の金額に引きずられていないでしょうか? 一般的に、質問2を答えた人は、質問4を答えた人より国の数を少なく見積もることが知られています。
仮にあなたの回答も引きずられていたとすると、そうした効果を「アンカリング」と呼びます。目に映った他の情報や、頭の中に残った情報に推論が歪められる効果を指した言葉です。
これの恐ろしいところは、私の月給がいくらかどうかは、国連加盟するアフリカの国数とは全く関係がない点にあります。つまり、もし、推論を引っ張られていたとしたら、なんでもかんでも情報に飛びついて無関係のものにまで、あなたの認知や判断が影響を受けているということになります。
いったん休憩して、話を整理しておきましょう。ここまでのどこかのクイズで不正解を出したり、推論を大きく歪めてしまっていたとしたら、マズかったことはなんでしょうか?
おそらく、その間違った情報処理を行なったのは脳のシステム1です。しかし、あなたの脳のシステム2が、それを統制できなかった点も問題と言えます。
いずれのバイアスにも関係しているのは、ヒトの認知や判断が、“目に見えたものがすべてとばかりに、結論を急ごうとする傾向にある”という点です。
印象的で記憶に残る情報や、目立つ情報に吸い寄せられるというわけです。結果、コンテクストに依存した意思決定にもつながってしまいます。
<クイズ4>
最後に、前稿で紹介した「サルたちが引っかけられた実験」に類似した問題を試してみましょう。一部のサルをバカにした人、注意してください。
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では、次の2つの質問の決定を同時に行なうとします。すべての選択肢に目を通してから、あなたの好きな組み合わせを選んでください。
【質問1】次の2つの選択肢のうち、あなたの好きなほうを選んでください。
A…確実に240万円もらえる
B…25%の確率で1000万円もらえるが、75%の確率で何ももらえない
【質問2】次の2つの選択肢のうち、あなたの好きなほうを選んでください。
C…確実に750万円を支払う
D…75%の確率で1000万円を支払い、25%の確率で何も支払わない
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さて、みなさんの回答はどうでしょう? おそらく一番人気はAとDの組み合わせのはずです。では、前稿のサルたちのときと同じように期待値計算をしてみましょう。
質問1では、Aが240万円で、Bが250万円ですから、Aを選ぶと期待値ベースでは10万円を稼げないことになります。
質問2ではCがマイナス750万円、Dがマイナス750万円で同額ですので、期待値的にはどちらでもいいはずです。
人は単純に賞金の期待値だけで行動を選択してはいません。ですから、2つの質問で確実なほうの選択肢を好んだり、リスクの高い選択肢を好んだりするのも、それ自体は人の好みを表しただけかもしれません。
ここでの問題は、質問の構造が変わった途端に、たぶん多くの人が(AとDを選んでいた場合)、明らかに損する選択を選んでしまっていることです。
どういうことだか質問をまとめてみましょう。2つの質問に同時に答えるということでしたから、あなたに突きつけられていた質問は、主には次の通りであったはずです。
●A&D…75%の確率で760万円支払い、25%の確率で240万円もらえる
●B&C…75%の確率で750万円支払い、25%の確率で250万円もらえる
AとDを選択した人にお聞きします。これならどちらを選びますか?
損失の状況も利得の状況も「A&D」より「B&C」のほうが有利な条件となっていますから、AとDを選ぶのは明らかに損だと言えます。
ここでカーネマン氏が指摘するのは、ヒトが物事を“広いフレーム”で捉えるのではなく“狭いフレーム”で捉えがちだという点です。
突きつけられたのは、4つの選択肢のどの組み合わせを選ぶかということでしたから、4パターンすべてを考慮して一番望ましいものを選択しようとするべきです。でも、大体誰もしません。「面倒なのでシステム1にお任せ!」というわけです。
つまり、複雑な組み合わせ問題は頭の隅に追いやって、目の前の選択をひとつずつ別々に処理しようとしたのです。
このように、選択の全体的な構造に注意せず、目の前に提示された問題の枠組みに応じて情報処理を簡素化させ、判断を歪めてしまうことを「フレーミング」と言います。
要は、脳の処理が限界だから「やりやすい流れで処理してしまおう」というわけです。
結果、明らかに損する選択を平然としてしまいましたよね? これがフレーミングの問題です。
「“損を避けた”はずなのに損をする」はよくある話
みなさんの脳の処理の特徴と、その限界についていろいろと試してみましたが、無事に選択・判断できましたか?
おそらく最後の質問でAやDに飛びついたのは「“損失”を避けたかったから」ですよね。これにはサルたちの実験(前稿)でお伝えした「損失回避」という特性が深く関わっています。
「損を避けたはずなのに損をする」
なんだか不思議ですが、世の中には数限りなくこうした話があるようです。
太宰 北斗
名古屋商科大学 商学部 准教授
慶應義塾大学卒業後、消費財メーカー勤務を経て、一橋大学大学院商学研究科博士後期課程修了。一橋大学大学院商学研究科特任講師を経て現職。専門は行動ファイナンス、コーポレートガバナンス。
第3回アサヒビール最優秀論文賞受賞。論文「競馬とプロスペクト理論:微小確率の過大評価の実証分析」により行動経済学会より表彰を受ける。
競馬や宝くじ、スポーツなど身近なトピックを交えたり、行動経済学で使われる実験を利用した投資ゲームなどを行ない、多くの学生が関心を持って取り組めるように心がけた授業を行う。

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