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 どの時代のものであっても、誰のものであっても、熱烈な思いを綴ったラブレターの内容には、心を揺り動かされるものだ。

 今ならネットで簡単にやり取りできるが、紙がない大昔は、文字を1つ1つ、思いを込めて石に刻んでいったのだからなおさら感慨深いものがある。

 約2500年前の石棺に刻まれたこのラブレターは、古代ギリシャマケドニア王国のアレキサンダー大王に仕えた将軍で、のちに自らも王となった、アンティゴノス1世に向けて書かれたものだ。

 そして最も興味深いのは、誰がアンティゴノスにラブレターを書いたのか、誰も知らないということだ。

【画像】 石棺に刻まれたラブレターの内容

 このラブレターは、アレキサンダーに仕えた将軍で、その死後は後継者の一人となり、アンティゴノス朝を開き初代の王となった、アンティゴノス1世の死後書かれたもので、彼の石の棺に刻まれているのが発見された。

 他人のラブレターを読んでさらすなど、100%マナー違反で、絶対に行うべきではないが、この特別な手紙は、古代マケドニア王国の重要な置き土産だ。

 アレクサンダー大王と間接的に関係しているし、もっと重要なことは、ギリシャの歴史を学ぶ学生たちのためにも、その内容を知る価値はある。

 そこで、アンティゴノスの石棺に刻まれた古代の文章は英訳された。

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私、悲しみにくれたアレテは、アンティゴノスの墓から全身全霊で泣き叫んでいる。あまりの悲しみに髪を引っこ抜き、泣きわめくことで自分を表現している。

この悲劇、つまり死が、尊い男を解放する代わりに、私を捕らえたのだ

 手紙は、アンティゴノスの死後、体験した悲しみ、苦しみ、心の傷について表現している。

ラブレターは誰が刻んだのか?

 石棺には「アレテは...」とある。だが書いた人物がアレテであると判断するのは、ちょっと違う。

 アレテは、コリンズ辞典によると、実際にはギリシャ語で「とくに人の可能性を完全に実現する際の卓越性または美徳」という意味がある。「アレテ」という言葉は、人の名ではないのだ。

 なので実際には誰が書いたのかは明らかになっていない。

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イズニック博物館の石棺 / image credit:IHA

隻眼戦士、アンティゴノスの功績

 隻眼戦士とも呼ばれた、アンティゴノスは、フィリポス2世やその息子、アレクサンダー大王に仕えた貴族で戦士、将軍だった。

 アレクサンダー大王の治世では、初めてギリシャの歩兵部隊の指揮官になり、のちにフリギアの総督に任命された。

 アンティゴノスは、フリギアでペルシャ軍との戦いに勝利することで、アレクサンダー大王のペルシャ帝国制服において、重要な役割を果たした。

 紀元前323年、アレキサンダー大王が広大な領土を残したまま亡くなった。彼の死の時点で、マケドニア王国は517万平方キロメートルの面積の領土を3つの大陸にまたがって統治していた。

 すぐにこの王国は3つに分断され、アンティゴノスは、フリギア、パンフィリア、リシア(現在のトルコ)の王になった。

 彼は、アンティゴノイド帝国をつくり、その後数年間、息子と共にアレクサンダー王国を支配していたほかの王たちと何度か戦った。

 紀元前301年、80歳の隻眼戦士アンティノゴスは、イプソスの戦いで戦死した。しかし、アンティゴノス朝は、彼の死後20年たっても続いた。

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アンティゴノス1世の肖像が描かれたコイン / image credit:public domain/wikimedia

 アンティゴノスの墓に刻まれたラブレターは、妻のストラトニケの手によるものという可能性もあるが、今のところ、この説を証明する証拠はない。

追記:(2023/02/05)本文を一部訂正して再送します。

References:This ancient, 2,500-year-old love/grief letter is the most romantic thing / written by konohazuku / edited by / parumo

 
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2500年前の石棺に刻まれたラブレター。古代ギリシャの将軍に愛を綴る