昨年12月3日の公開以来、8週連続で全国映画動員ランキング(興行通信社)1位を記録し、間もなく興収100億円も見えてきた『THE FIRST SLAM DUNK』。快進撃を続ける本作は、これまで明かされなかった宮城リョータの過去を初めて描いたことでも話題を集めている。だが、魅力的な人物が多数登場する『SLAM DUNK』で気になるのは宮城の過去だけではない。そこで今回は、原作で描かれなかったものの、どうしても気になる未公開エピソードを取り上げて紹介する。

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■夢の対決「天才vsナンバーワン

 『SLAM DUNK』において「天才」とは誰か。主人公の自称天才・桜木花道はもちろん、流川楓三井寿など、作中で天才と呼ばれた選手は少なくないが、真っ先に浮かぶのは陵南のエース・仙道彰だろう。神奈川ナンバーワンと称される海南大附属の主将・牧紳一ともほぼ互角に渡り合うテクニックとセンス、カリスマ性と統率力、勝負強さと得点力。何より華のあるプレイに目を奪われる。

 残念ながら陵南は県大会で敗退してしまったが、たとえ湘北・海南のどちらかが脱落したとしても仙道が全国で活躍する姿を見たかったと思うほど魅了された。間違いなく作中最高峰のプレイヤーの1人だ。

 その仙道自身がただ1人、はっきり「勝てなかった」と明言する選手がいる。それは、中学時代に1度対戦した“北沢”という選手だ。これは、後の流川の回想シーンで日本高校バスケット界の王者である山王工業のエース・沢北栄治のこと(仙道の記憶違い)だと判明する。

 沢北は幼少期から父親とのバスケット勝負に負け続けた影響からか、強敵との対戦を望むハングリー精神と向上心が強く、山王では1年からエースの座を獲得。高校では攻守ともに最高の実力を持つナンバーワンプレイヤーとして君臨。今回の『THE FIRST SLAM DUNK』でも大きくフォーカスされたキャラクターだ。

 中学時代とはいえ、この2人の対決はよだれが出るほど魅力的。1on1だったのかチーム戦だったのかすら不明だが、実力の拮抗する名勝負だったのは間違いないはずだ。「天才vs全国ナンバーワン」、この夢のカードで仙道が沢北にどこまで食らいついたのか、ぜひ見てみたい。

■鬼から仏へ劇変 安西監督、空白の5年間

 湘北をおだやかに導く名将・安西光義監督。柔和な人柄と、そのふくよかな見た目から“白髪仏(ホワイトヘアードブッダ)”とあだ名されているが、以前は大学で“白髪鬼(ホワイトヘアードデビル)”と呼ばれるほど、恐怖のスパルタ監督だった。

 そんな安西が仏へと激変したきっかけは、約10年前の教え子・谷沢龍二の死がきっかけ。監督生活の最後に谷沢を日本一の選手に育てようとしたが、安西の厳しい練習に耐えかね、逃げるように渡米。そこから選手として成長しないまま、5年後に事故死してしまう。これにショックを受けた安西は、その年に大学の監督を引退している。

 原作では、「谷沢にかけた夢は宙ぶらりんのまま 今なおバスケット人生にピリオドを打てないでいる」という記述があるが、ここで気になるのは「安西はなぜ湘北の監督になったのか」ということ。安西が谷沢にかけた夢は「日本一の選手を育てる」で間違いないだろう。しかし、以前の弱小湘北バスケ部にはとても日本一の選手になり得る逸材がいたとは思えない。

 考えられるのは、谷沢の死をきっかけにモチベーションが下がったまま監督業を続けていたという説だ。原作では、安西監督は、主人公・桜木花道と流川が湘北に入部するまで、あまり部活に顔を出していなかったとも語られている。就任のタイミングや当時の様子などは描かれておらず、どんな指導をしていたのか気になるところだ。

 さらにその少し前、大学バスケ界から身を引いて以降、湘北バスケ部監督就任までの期間は何をしていたのか。そして、どのように鬼が仏へと移行していったのか。さすがに翌日から「ホッホッホ」と笑っていることはないはずで、高校生と向き合うことへの決意や葛藤などもあったはず。そんな安西の変化を間近で目の当たりにしていた安西夫人の反応も含めて気になるところだ。

■すごいはずなのに…何もしていない悲劇の選手

 魅力的なキャラクターが数多くいる『SLAM DUNK』だが、作中に1人、圧倒的に実力と活躍のバランスが悪い人物がいる。それが海南大附属のフォワード武藤正だ。

 海南は神奈川代表として17年連続でインターハイに出場し、ついに全国2位まで上り詰めた神奈川絶対王者である。そんな全国屈指の強豪校で3年の武藤はスタメンとして出場しているのだ。絶対にすごい選手だと断言できる。

 なのに、湘北戦では桜木のシュートミスをリバウンドするぐらいしか活躍の描写がなく、陵南戦では何もしていない。全国大会1回戦の馬宮西戦に至ってはその姿さえ見当たらない。テレビアニメ版では活躍の場が増やされたが、同時に性格に難のある人物として描かれてしまった。

 武藤の悲劇はこれだけではない。湘北戦の終盤、控えの宮益義範と交代させられた際は、高頭監督に「これで(海南に)もう小細工はない」と断言されてしまい、海南の選手がそろうコマでは、なぜか武藤だけが描かれていないことが多い。

 そんな武藤が最も存在感を感じさせたのは、湘北vs山王戦。山王の松本稔というプレイヤーに対し、「沢北がいなけりゃどこでもエース張れる男さ」と言うシーン。山王の選手層の厚さを物語るセリフではあるのだが、他人の試合に向けてのものであり、もはや活躍させられない理由でもあるのかと疑ってしまう。

 残念ながら漫画では不遇キャラで終わってしまったが、もし今後も新作が出るとするなら、少しでもいいから海南のスタメンたる所以を見せてほしいところである。

■湘北を圧倒した愛和学院も… 『SLAM DUNK』永遠の謎

 ファンの間で何度も議論されてきた『SLAM DUNK』最大にして永遠の謎。それが“あのインターハイで優勝したのはどこだったのか”である。これは原作ファンなら誰もが気になるところだろう。

 このインターハイ、初出場の湘北が最大の優勝候補・山王を破ったことで大会は波乱の展開を迎えたことは確かだ。しかし、続く3回戦で湘北は愛和学院との試合でボロ負けしている。インターハイの描写はこれが最後で、結局優勝校が語られることはなかった。

 原作第199話に掲載されたトーナメント表を見てみると、湘北に勝った愛和学院も決勝の前に“全国2位”になった海南と対戦しているため、優勝校ではないことが確定している。つまり、海南が勝ち上がった第1~第4ブロック(左側)ではなく、右側の第5~第8ブロックのどこかが優勝したことになる。

 そこで真っ先に思いつくのは、怪物・森重寛を擁する名朋工業。原作でも森重は圧倒的な存在であることを感じさせるにふさわしい描かれ方をしており、連載終了時も優勝は順当なところだろうという見方が強かった。

 しかしその後のインタビューで、原作者・井上雄彦自身が「自分の中で名朋はない」と断言してしまっているのである。さらに井上は「優勝校は作中に全く出てこない高校」とも語っているため、原作に少しだけ登場した大栄学園、堀も除外。富房、原口商業、町田三商も1回戦で敗退しているため、優勝はそれ以外のどこかということになる。シード枠の博多商大附属は気になる存在だ。

 果たしてインターハイ優勝校はどこだったのか。井上の発言によると、自身の中で優勝校が決まっているそう。この謎に答えが出る日は来るのだろうか。

(文・二タ子一)

『SLAM DUNK』気になる未公開エピソード (※画像はイメージ)