
学校で「なんでだろう禁止令」が出たことも…テツandトモ(52)が明かした「2003年の超多忙ぶり」 から続く
大学の同級生だったテツandトモは、1998年にコンビを結成。2003年には「なんでだろう」で大ブレイクを果たすが、人生山もあれば、谷もある。テレビの露出が減ってからは、週刊誌やバラエティ番組で「消えた一発芸人」扱いされることもあった。
ただしテレビでの露出は減っても、営業ではいつの時代も引っ張りだこだった。人々から愛され続ける2人の「魅力」はどこにあるのか?(全3回の2回目/#1、#3を読む)
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――2003年の大ブレイクとともに、紅白歌合戦出場という“最終目標”も達成。その後の仕事の状況と心境はいかがでしたか。
テツ テレビ出演は徐々に減りましたが、それは売れる前から予想していたこと。営業には呼んでいただけていたので、お客さんに必要としてもらえているという実感は保てました。
トモ 紅白後は一瞬燃え尽き症候群になりましたが、「今後どうしよう」という気持ちはゼロでした。僕たちは基本的に、生の舞台やイベントが好きなんです。テレビは自分たちを知ってもらえるとても大切なツールですが、冠番組を持つことを最終目標にしてなかったので不安にはなりませんでした。
テツandトモの仕事が途切れないワケ――営業本数は、年間どのぐらいですか。
トモ 2003~2005年頃はテレビが忙しくて、年間100本ほど。その後はコロナ禍を除き、多い時で年間約200本です。
――あちこちから営業に呼ばれ続ける理由は何でしょう?
トモ どこかのお祭りで見た、ライブで見て面白いと思ってくれたとか……。
テツ とにかく口コミですね。1度営業に行った会場のスタッフさんが、別の企業の方に「テツandトモ、盛り上がってたよ」と話してくださったり。
トモ ありがたかったのは、テレビで「一発屋」として定期的に取り上げてもらえたことです。「旬じゃない」ことがネタになったお陰で、その後生まれた僕たちを知らない子どもたちにも「なんでだろう」を知ってもらえました。その積み重ねもあり、営業でも需要があったのではないかと思います。
また2013年には、愛知県の町のお祭りでステージを観た方が、「テツandトモが規模に関わらず手を抜かずに頑張ってる」「お客さんも喜んでいた」といった記事を書いてくださったんです。記事が出た翌日から、またオファーが激増しました。
――2人を呼びたくなる理由の一つとして、「安心感」は大きなポイントかと思います。
トモ コンビ結成時、どういう芸を目指すか2人で話し合った際に、まず「下ネタはやらない」と決めました。目標は、子供からおじいちゃんおばあちゃんまで楽しめる芸をすること。ただ、ブレイクしても、当時は「毒がなくて面白くない」と散々言われましたけどね。
テツ 言われましたねえ。
トモ あと初期の頃は、ツッコミとしてテツの頭をはたくこともあったんです。でもある時、子供から「人の頭を叩いちゃダメなんだよ」と言われて、ハッとしました。「そうだよね、ごめんね」と謝って、以降は叩かないように心がけました。そういう路線が、もしかしたら安心感に繋がっているのかもしれません。
見向きもされなかった営業先で「学んだこと」――営業に行ったけど、見向きもされなかったといったことも?
テツ あります、あります!
トモ 立食パーティーなんかだと、もう全く相手にされない。30代のときは、そんな現場ばかりでした。
テツ 目の前で酒盛りが始まることもありましたよ(笑)。地獄です。
トモ 先輩方に相談しても「気にせず持ち時間やって帰ればいい」という返答が多かったのですが、それは絶対に嫌。僕たちを呼んでくださった人をがっかりさせたくないんです。
テツ 盛り上げるために呼んでいただいているんだから、それをやらないでどうすると。
トモ 辛かったのは、サプライズゲスト扱いが多いこと。そもそも誰も期待してないし、特にファンでもないわけです。何で僕たち呼んだんだろと思う時も正直ありましたが、そんな現場を盛り上げられたら最高だ!と考え直しました。「テツandトモを呼んで良かった」と思ってもらいたい一心で挑みましたね。
――むしろ腕の見せ所だと。そういった人たちを振り向かせるために、工夫したことはありますか?
トモ 最初は、とにかく大声を出していました。でも、そうしたらみんな僕たち以上に大きな声で喋るから、会場がうるさくなるだけ(笑)。それで、テツがアゴに企業さんにまつわるものを乗せるという芸を思いつきました。
ちくわの会社では、ちくわの大きいオブジェをお借りして、「さあ今日はこのちくわが顎の上に載るのか!?」とだけ声を張る。そうしたらお客さんの視線が集まったんです。今までやっていたことと真逆で、黙ったら見てくれました。
テツ それまではステージの上から一方的にネタを披露して、楽しんでもらうことばかりに頭を捉われていました。でも、営業では根本的に「喜んで」もらわなきゃいけないんですよね。
そのためにはまず自分をさらけ出して、みなさんのほうにもっと近寄らなければいけない。僕は大道芸が好きなんですが、あの場って一体感がすごいんですよ。芸だけじゃなく、お客さんが寄り添ってくださることでも引力が生まれるわけです。
そのことに気づいてからは、僕も頑張るから一緒にいる時間と空間をみんなで楽しみましょうよというスタンスに変わりました。それは、今もポリシーにしていますね。
トモがブチギレた「伝説のメイク落とし事件」――息ぴったりのテツandトモさんですが、喧嘩をすることはあるのでしょうか?
トモ 昔はよくしてましたね。原因はまあ……つまらないことです。
テツ 伝説のメイク落とし事件が。
トモ 僕は特に仕事に関して、先々のことを考えて行動してもらいたいんです。しっかり準備をしなければ良い仕事ができないし、全てが繋がると思うんですよね。メイク落としの件は些細なことですが、残りが少なくなってきたらそろそろ買い足しておこうって、わかると思うんです。
しかしテツは全部なくなってから「持ってない?」と言うわけです。あげることが嫌なのではなく「先のことを考えてよ」という積もり積もった思いが、たまたまそのタイミングで爆発したんです。
テツ 「メイク落とし貸して」って言ったら、すげえキレるんですよ(笑)。
――メイク落としが、思わぬ喧嘩に発展。
テツ (営業先の)愛媛県でね。
トモ テツが「部屋まで来い!」って言うから、「おお、行ってやろうじゃねえか」って部屋で朝まで喧嘩です。
――朝まで!?
テツ 朝には仲直りしましたけど。
トモ 眠くなってね、最後は握手しちゃったんですよ。
――あはは。芸やネタに関しての喧嘩はどうですか?
トモ ネタはお客様からどう見えているかにこだわっているのですが、テツは本番で予定と違う動きをしたりしますね。喧嘩にはなりませんが、心の中で「おい!」と思ってます。
テツ 感覚派なんです(笑)。
長続きの秘訣は「性格が正反対」――とはいえ、結成25年。コンビが長続きした秘訣、コツは何でしょう?
トモ 結局、2人の性格が全然違うことが良かったかなと思いますね。
テツ 真逆。正反対です。
トモ だから違う角度から、ものごとを見られる。あと、僕はテツの代わりは絶対にできない。テツの表現力は天才的だと尊敬しています。
テツ 実はトモの方が芸達者なんですよ。あえて自分を殺して、テツandトモをプロデュースしてくれているのがトモ。僕がお笑いをやろうと思ったのは相方がトモだったからで、自分1人ではこの世界にいられません。お互いを認め合う部分には、確固たるものがありますね。
「サザエさん」みたいな芸人になりたい――ところでコロナ禍では、営業も随分飛んだのでは。
トモ イベントは相当なくなりました。戻らなかったらどうしようという不安は少しありましたが、休む時期なのかなあとプラスに考えて。
テツ YouTubeを始めるきっかけにもなりましたね。
――YouTubeでは歌動画も多く、その歌唱力に感動したという声も多数。ファン層もまた広がったのでは?
トモ YouTubeを見て、営業に呼んでくださるところも増えました。
テツ 世代も、また次に繋がっているのを感じます。「なんでだろう」がテレビでブレイクしていた頃、子供だった方々が大人になってYouTubeを見て、そのお子さんもまた見てくださっている。僕たちはサザエさんみたいな芸人になれればいいなあと思っていたので、めちゃくちゃ嬉しいし、ありがたい限りです。
――新曲『愛しい人よ』の歌詞に、〈答えなんて 何処にもない〉というフレーズがあります。「なんでだろう」は、答えを作らなかったことが、時代を超えて愛される秘密でもあるのかなと。
テツ フリも偶然繋がってるんですよ。この手の動きをよーく見てみると……。
――あっ、無限大(∞)!
トモ それ、ドクター・中松さんに教えてもらったんだよ(笑)。
テツ (笑)。「なんでだろう」は答えを出さないで、永遠に続いていくんです。みんなそれぞれの答えでいいじゃんってね。
「どういうつもりだバカヤロー!」挨拶を忘れてしまい大激怒…テツandトモ(52)が凍りついた談志師匠の“衝撃の一言” へ続く
(吉河 未布)

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