
受験シーズンが本格到来した。昨年1月、東京大学前の路上で大学入学共通テストの受験生など3人を高校生が切りつけた事件は記憶に新しい。
学歴社会の象徴的な存在となっている東京大学。女性リーダーの育成などをうたう一方で、学生の比率が男性8:女性2という歪んだジェンダーバランスは2020年代も維持されている。1989年東京生まれの文筆家・ひらりさ氏の新刊エッセイ『それでも女をやっていく』より、東京大学で過ごした4年間を綴った「『ほとんど男子校』だった大学で」を紹介する。
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大学に入って「男」に囲まれてから「女」であることが嫌いではなかった。ピンクが好きだし少女漫画が好きだし、レースやフリルにうっとりする。中学・高校は女子校を選んだ。じゃあ、いつからこんなに身体が重たいのだろう? そうだ、大学に入って「男」に囲まれてからだ。
女子大に通っておけばよかったな、という気もする。ただ別に女子校が天国だと思っていたわけではないし、大学を出たあとの衝撃が大きくなっていた可能性もあるだろう。自分の学力で行けるところまで行きたいという、野心があると言えばあるし、中身がないと言えば中身がない理由で、国立大学しか視野になかった。高校時代に両親が離婚して母親に引き取られた家計の都合もあった。
そうして入ってしまったのだ。「2020年までに学生の女性比率30パーセントを目指す」と平成に宣言しながらいまだに達成していない大学、東京大学に。
男女比5対1の世界東京大学では、1~2年生はみな教養学部に所属して一般教養科目を学び、3年に上がる前に「進学振り分け」を受ける。それまでの成績に応じて、専攻の希望・決定が行われるシステムだ。とはいえ全員が平等に成績を審査されるのではなく、科類によって、学部・学科に対する進学枠が多少制限されている。理科三類入学イコール医学部医学科と言ってよいのは、そのためだ。教養学部の段階でも、科類から想定される専攻につながる科目を受けることが多いため、学生たちは、科類が近い人々と授業を受ける。特に第二外国語については、科類ごとのクラス分けが行われ、以後オリエンテーションや飲み会も、このクラスを基準として開催される。
わたしは文科一類に合格していた。6年ぶりの共学ライフということで、初々しく緊張していたのだが……振り分けられた自分のクラスは、想像以上に未知のコミュニティだった。文科一・二類合同の中国語クラスの男女比は、5対1だったのだ。30人のクラスに、女子学生はわずか5人。「東京男子大学」という揶揄を聞いたことはあったが、まさか「ほとんど男子校」な世界を過ごすことになるとまでは、当時のわたしは覚悟していなかった。
女性が1人というクラスもあった女性比率20パーセント以下の大学に入ったんだから当然の数字だろう、と思うかもしれない。厄介なことにこの女性比率、科類ごとになかなか偏りがある。例えば文三フランス語は男女同数のクラスが多く、逆に男性が多い科類のマイナー選択である理一ロシア語には、女性が1人というクラスもあった。
同数であれば、役割を担いたい人だけが“男子”“女子”をやればいいし、むしろ女が1人ならば、他の人たちは彼女を彼女個人として見るのではないか。勝手な推測に過ぎないが、当時のわたしは自分のいる男女比5対1の世界が、一番生きづらく感じた。完全に無視されることはないが、時々忘れられる存在。おそるおそる扱われるかと思えば、その見返りを求められる存在。大枠のノリが“男子”によって決められているときは大人しく黙っていることを望まれるのに、飲み会の頭数だったり、文化祭の店番シフトだったり、会話においての受け役だったりというときには、“女子”の役割をまっとうすることを期待されるのが嫌だった。
クラス飲み会での“ビンゴ大会”入学してまもなくの頃、クラス飲み会の最中で行われたあのビンゴ大会は、生涯最悪の瞬間ランキング上位に今でも君臨している。
「5位の景品は……ボックスティッシュ! って、おい~(笑)」
ティッシュが当たったことの、何がそんなに面白いというのか。一瞬怪訝に思ってから、クラスの中でも、同じ中高一貫男子校出身の人間が数人爆笑しだしている意味、中には女子のほうを見遣って忍び笑いしている者がいることに思いをめぐらせたわたしは、やっと理由に思い至り、愕然とした。上品な読者のために念のため説明しておくと、男性のマスターベーション用という意味合いでボックスティッシュが景品に選ばれて、ギャグとして騒がれていたのであった。「わかるかな~」「いや~」と声を潜めている彼らを尻目に、その場を去れたならどんなによかっただろう。他の女子とアイコンタクトでそうした機微を共有しあうほどにはまだ仲良くなくて、彼女たちがわかっているのかわかっていないのかも判別できなかった。
わかっていてもわかっていなくても、その素振りをはっきり見せたら、彼らにとって格好のエンターテイメントとなったことだろう。下ネタで笑う空気も嫌だったが、そこに多分にあった、男だけの内輪感、その内輪を盛り上げる装置として使われている外野としての自分、という状況が嫌だった。深夜終電で降り立った地元駅でドロドロの吐瀉物をうっかり踏んでしまったときの気分だった。吐いた奴が悪いのだが、回避できずにこんな目にあっている自分という存在が悪い、という気がしてくるあれ。そんな世界への行き場がない怒りに支配された。
金輪際クラスの飲み会に参加するまい、と固く誓ったし、実際彼らもノリが悪くてもっさりしたほうの東大女子には本当は興味がなかったと思うのだが、「今度の飲み会、他の女子来られないらしいんだけど、どう?」というお伺いはたまに来るのだった。マイノリティへの気遣いではあっただろうが、お互い不幸なコミュニケーションだった。
彼らはたぶん、全然みんな、悪い奴らではなかった。「そういうふうに育っちゃった」からそうだったのだろう。当時のわたしも不快なときに何が不快かを言わなかったのは、悪かったのかもしれない。しかし、どのテニスサークルにかわいい子が多いかというような話ばかりしていて、クラスの女子にもうっすらアリとナシの線引きをしている人たちと、何かをわかりあいたいとも思っていなかった。大学は、わたしに「女子」を貼り付けて、「わたし」を奪う透明な嵐が吹き荒れる場所だった。わたしは、女子学生比率が高い上智大学に行った友人のところに頻繁に遊びに行き、上智の女の子たちと学生食堂でごはんを食べ、上智の学食で中国語の宿題に取り組んでその嵐をやり過ごした。
クラスで楽しく過ごすことは諦めたが、学生団体・サークル活動に精を出したら、苦痛はだいぶ和らいだ。所属していた学生新聞団体も女性はさほど多くなかったものの、とにかく毎週4ページの新聞を作り販売するという業務に全員が目まぐるしく追われていたから、性別なんて気にしている場合ではなかった。デスクを務める男女2人が編集会議で一歩も引かない本気の喧嘩をしていることもあったし、ボロボロと人がやめていった同学年でたまの飲み会をやるときは、まるで村の寄り合いのような鄙びた空気があった。
逆に、文科三類さながら、男女比がほぼ1対1で保たれている茶道サークルにも所属していた。女の存在が当然のソサエティだったから、誰も殊更にわたしにそれを求めてこなかった。サークル内での交際は当然盛んだったし、なんなら茶道というのは他校との交流ありきだったので、他校の女子学生との浮名を存分に流している人もいたが、それは個人個人の振る舞いであり、サークル全体の風潮として押し付けられるものではなかった。おかげでなんとか4年間を生き延びられた。
法学部に正式に進学したあとの“生涯最悪の瞬間”法学部に正式に進学したあとも、「吐瀉物踏んで自己嫌悪」は都度あった。大体は心を無にしてやり過ごしたが、一度、そこに隠れていたナイフの刃先が刺さって精神的に致命傷ぎりぎり、みたいなことが起きた。
大学4年のはじめ、ある日のゼミに、美容院で髪をボブカットにしてから行ったときのことだ。そのゼミのメンバーは概ね勉強熱心で、余計な雑談も少なかったのだが、1人非常に、わたしからすると“男子校出身”的な男子、つまり、テニスサークルに所属しそこで彼女を作り、司法試験に通ったら当然渉外事務所で初年度年収1000万円をゲットするぞと息巻いている、常に他者をジャッジすることにためらいがない男子がいた。彼はテニサーに難なく溶け込んでいるタイプで、すでに彼女もいるし、ゼミの中でアリ/ナシをジャッジをするほど浅ましい人間ではない、とわたしは思っていた。だから油断していたのだ。
「髪切ったの?」と彼が話しかけてきた「髪切ったの?」と彼が話しかけてきたとき、わたしは「うん、そうー」と答え、あまつさえ「ちょっと後ろ向いてくれる?」という要求に対しても、素直に応じてしまった。まさかそのあと、全身にゲロをぶちまけられるとは思わずに。
「ねえねえ、みんな見てよ。後ろから見ると、タカハシさんとそっくりじゃない?」
タカハシさんとは、ゼミに所属している、学年でも人気の美人の名前だった。
たぶん、彼にはわたしを馬鹿にする意図はなかったのだろう。ただ、女の見た目を自由に品評できると思っていて、前から見たら似ても似つかない2人が、髪型一つで同じになることが面白くなってしまっただけなのだろう。それは別にそれほど面白いことではなく、かといって目くじら立てて抗議するようなハラスメント発言にも聞こえないものだった。同意を求められた他の男子たちも曖昧に笑って流し、その時間はすぐに過ぎ去って、いつの間にか他の女子たちも教室に来ていて、先生も来て、ゼミはいつも通りに終わったはずだ。わたし自身、曖昧に笑って、席について、みんなと議論をして、家に帰った。でも、生涯最悪の瞬間ランキングにおいて、この出来事は、飲み会ボックスティッシュ事件よりもはるか上位に君臨している。こんなにも恥ずかしげもなく、意地悪さもなく、「男は女の顔をジャッジしていい」というゲロを浴びせられたのが、むしろショックだった。わたし個人に対する敵意や悪意ならまだ許せた。彼は単に思ったこととしてそれを言う権利が、自分にあると思っているだけだった。そういう人間と同じ空間にいるのが、やるせなかった。
怒れなかった本当の理由本当はあのとき、わたしは怒らなければならなかった。それができなかったのは、あまりにもショックだったのもあるが、きっとわたし自身が、心の中で自分も含めた人間をアリ/ナシに分けていたからだとも思う。彼がわたしをナシとするのは客観的に正しいがその言い方はないだろう、と感じていただけなのだ。思っているのと口に出すのには果てしない差があるとしても、わたしと彼が同種の人間ではない、とまでは思えない。男だったら同じように、アリ/ナシで笑っていたと思う。女の自分も曖昧に笑っていれば、女としてナシだとしても彼らの仲間に入れるような気すらしていたのだろう。「男」のできそこないとして。
しかし、やはりわたしは男ではない。
常に正しく振る舞えているわけはないだろうし、取りこぼしてしまっている部分はたくさんあるだろう。正直、自分が苦しんできたくせに美やかわいさが正義というルッキズムの価値観に縛られている自覚はある。それでも、いわゆる名誉男性として彼らの仲間に加わることはなく、傷つく側としてこの人生をやってきたと言える。それは不幸だけれど、とてもしあわせなことだと思う。大学にいた頃はたしかに、“東大男子”になりたいという気持ちはあった。ゲロを踏んだり道端の石ころ扱いされたりするよりは、どんちゃん騒いで酔っ払って嘔吐して爆笑している側でいるほうが自由だと思っていた。馬鹿にしていたけど、羨ましくもあった。
でも、今はそうではない。無知なまま、たとえ時代の流れにより何かを知っても、多大な努力を払わない限りは本当には理解できず年をとっていくであろう彼のような人のことを考えると、気の毒にすら思う。
「っていうかどうしてあの人と付き合ってたの?」その後彼は、学部生の頃から付き合っていた法学部の彼女を、司法試験合格の翌日に振ったと聞いた。彼は、さらに自分に見合ったアリを手に入れるために取捨選択をしたのだろうか。彼には卒業後一度も会っていないが、実はわたしはその彼女とは、やはり別のゼミでいっしょになったのをきっかけに友達になり、卒業後もTwitterでほそぼそと交流をしている。先日、8年越しにお茶をした際に、「っていうかどうしてあの人と付き合ってたの?」と聞いたら「いや、それがわたしもわからなくて……。気の迷いかな?」と本当になんでもないという口調で言われて、ちょっと笑ってしまった。
余談だが、吐瀉物は大学卒業の夜にも降り注いだ。オフィシャルな式典と学部の卒業パーティーのあとにキャンパスそばの白木屋でクラスでの二次会があった。これで最後だろうし……と、クラス飲み会不参加の誓いを破って参加したら、恋愛事情を根掘り葉掘り聞かれ「え~本当はあいつと付き合ってんじゃないの~?」とゼミで仲がよかった男友達との関係を囃し立てられる事件が発生したのだ。
1年のときと違い、そのときのわたしは飲み会を退出する判断をした。そうしてその足で東京メトロ丸ノ内線、副都心線直通みなとみらい線を乗りつぎ、横浜へと向かった。その日は高校時代の友人の大学も卒業式で、彼女が、Facebookに「今日横浜ベイホテル東急の部屋とってるから、来れる人教えてください~」と自主開催の卒業パーティーの告知をしていた。飲み会中にそれを見かけたわたしはすかさず、「わたしも行っていい?」とメッセしたのだった。「いいけど……うちの大学の人想定してた(笑)。大丈夫?」と若干引かれたものの、大丈夫、大丈夫と言い張って参加した。大学時代楽しかったことベストテンには入る思い出だ。インターネットのか細い糸があったおかげで、わたしは「女」のラベルに窒息することなく、社会人になることができたのだった。

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