なぜフィリピンの収容所は「ゆるい」のか? “ルフィ事件”の犯人たちは、その腐敗体質につけ込んだ から続く

 フィリピンの汚職体質は、“ルフィ事件”でにわかに注目を集めたビクータン収容所だけにとどまらない。

刑務所の近くに深さ30メートルトンネルが掘られていた

 マニラ首都圏南部にあるフィリピン最大のモンテンルパ刑務所(受刑者約2万人)も、似たような状況だ。

 2011年には、殺人罪で禁錮6~12年の有罪判決を受けた元州知事が脱獄して再逮捕された事件が発生し、刑務官の買収疑惑が持ち上がった。ここでも同じく受刑者と刑務官の「馴れ合い」関係は存在し、所持が禁止されている携帯電話DVD機器、テレビや酒なども外部から手に入る。それらの所持品は、司法省による度々の抜き打ち検査で没収され、ほとぼりが冷めたらまた元に戻るといった「いたちごっこ」が繰り返されてきた。

 昨年11月には同刑務所の近くに深さ30メートル、奥行き200メートルトンネルが掘られていたのが見つかり、しかも受刑者たちから携帯電話や違法薬物、アルコール飲料などが多数押収された。このためトンネルは、刑務所と外部を繋ぐ「闇ルート」に使われたのではないかという話に発展し、さらには第2次世界大戦中に旧日本軍が隠したとされる「山下財宝」探しではないかとの憶測まで出たのだ。

 真相は不明のままだが、フィリピンでこうした摩訶不思議な出来事は特に珍しくない。ゆえに今回の“ルフィ事件”をめぐるビクータン収容所の腐敗ぶりは、在留日本人の間では「またか」といった程度の受け止め方で、それほどの驚きはなかったとみられる。それよりもむしろ、日本の報道陣がマニラに殺到したことのほうに、戸惑いが広がっている。

米国による植民地政策の影響か

 それではなぜ、こうした汚職体質や法の緩さがフィリピン国内には蔓延してしまうのか。フィリピン政治を専門にする東京外国語大学大学院の日下渉教授は、フィリピンが近代国家を形成する過程で、法を粛々と執行する官僚機構が育たなかったためだと指摘する。

アメリカ1898年からフィリピン植民地化する際、抵抗する現地エリートたちを武力で鎮圧するだけでなく、選挙制度を導入して彼らを植民地体制の中に取り込みました。しかし、強力な官僚制度は作らなかったため、選挙で当選したエリートが、自らに有利なように法を捻じ曲げることが常態化してしまったのです」

 こうした歴史的背景が、正直者がバカをみるような社会につながったのだ。ゆえに法律を守るという意識が芽生えず、コネとカネが優先されてしまうのである。それは貧困層にとっても好都合だった。たとえば警察や役人に賄賂を渡し、不法占拠地に家を建てたり、街頭を占拠して露店を営むなど、法に縛られない「グレーゾーン」で生活していたからだ。

 よく言われることであるが、フィリピンは「法治国家」というより、「人治国家」の側面が強い。

 その一方で、フィリピンは家族をとても大事にする国民である。陽気で明るく、特に高齢者に対する眼差しは温かい。日本のように孤独死を心配する必要もなく、老後は家族の誰かしらが面倒を見てくれるのである。仕事に対する考え方も異なり、フィリピン人は自身の生活や家族との時間を優先するが、日本人は職務のために家族や自分の命までをも犠牲にしてしまう時がある。

 フィリピンは「ゆるい」かもしれないが、人間の幸福度を考えた場合、日本の物差しが必ずしも「善」とは言えないのではないだろうか。

賄賂ではないが、私にもこんな経験がある

 フィリピンはその腐敗ぶりからかつて「アジアの病人」とまで揶揄された。

 大統領の汚職を挙げても、1960年代半ばから約20年独裁政権を続けたマルコ大統領の不正蓄財、エストラーダ大統領(1998~2001年)も違法賭博による不正蓄財で有罪判決を受け、その後のアロヨ大統領(20012010年)も宝くじ基金を不正に流用した疑いで逮捕された。

 国のトップによるこうした不祥事だけでなく、政府高官による汚職も度々、報じられている。中でも国家警察や国家捜査局(NBI)、入国管理局といった治安当局は、相手が先進国出身の外国人になると「本領」を発揮する。

 違法薬物で逮捕された日本人男性の中には、カネで解決したケースは少なくない。特にフィリピンは日本と異なり、違法薬物の罪は重く、一定量以上の所持者は終身刑に処される。起訴までいくと取り返しがつかなくなるため、送検前の早い段階でカネを積んで釈放してもらうのだ。

 賄賂ではないが、私にもこんな経験がある。

 ある日本人男性が射殺された事件で、犯人が見つからず捜査が難航していた時のことだ。捜査本部の幹部から、

「この写真を加工して血痕をつけてほしい。手伝ってくれないか?」

 という話を真顔で持ちかけられた。

 血痕をつけることで、事件を別の展開にでっち上げようとしたのだ。

 恐ろしくなった私は、丁重にお断りした。

アジアの病人」から脱出へ

 異国のこうした「特殊事情」の潮目が変わり始めたのは、2010年に就任したアキノ大統領以降だろう。約6%という安定した経済成長を維持し、特に汚職疑惑が指摘されることもなく、クリーンな政治を続けた。16年に就任したドゥテルテ大統領は、フィリピンのこうした腐敗ぶりに初めて真っ向から立ち向かった政治家だ。

 それを象徴する政策が「麻薬撲滅戦争」である。薬物常習者や売人ら約6000人が国家警察によって殺害され、欧米諸国を中心に国際的には批判を浴びた。だが、今回の入管の腐敗ぶりからも分かるように、取締りを徹底しなければ改善の余地がないほどに、フィリピンを取り巻く社会情勢や環境は危機的状況にあったのだ。

 人口約1億900万人の1割が海外へ働きに行く出稼ぎ大国ゆえ、渡航先の事情と自国を比較すれば、さすがに「おかしい」と気づくだろう。だからドゥテルテの強行姿勢は、「よくぞやってくれた」と胸のすくような思いを国民にもたらし、80%前後という驚異的な支持率を維持していたのだ。それはフィリピン在住が長い日本人にも、共感されていた。そのドゥテルテが2番目に力を入れたのが「汚職対策」で、国家警察と国軍の給与を2倍に引き上げた。

 もっとも歴史的、政治的に染み付いてきた腐敗体質が一朝一夕に改善するはずがない。それはたとえば、日本で2万人を超える自殺者数なかなか減らないのと同じような社会の病理かもしれない。

 昨年6月に就任したばかりのフェルディナンド・マルコス・ジュニア大統領も、ドゥテルテの政策を踏襲する方針を示しており、フィリピンにおける法と秩序の問題や汚職対策は現在、その過渡期にあるのだ。

 そのマルコ大統領2月8日に来日する。それに合わせて日本人容疑者4人の強制送還が調整されているが、うち2人は7日に実現する予定だ。残り2人も一緒に送還されるかどうかはまだ不透明で、フィリピン司法当局の判断に委ねられている。

写真=水谷竹秀

(水谷 竹秀)

モンテンルパ刑務所の正面玄関