
「5分以内に爪を剥げ」7年間にわたり軟禁、虐待の限りを尽くし…17歳少女が捕らわれた “地獄のような共同生活” から続く
福岡県北九州市で日本の犯罪史上類を見ない凶悪事件が発覚したのは、2002年3月のことだった。逮捕されたのは、松永太(逮捕当時40歳)と内縁の妻である緒方純子(逮捕当時40歳)。
起訴された案件だけで7人が死亡。しかもその方法は、主犯の松永が命じるままに肉親同士で一人ずつ手を下していくという残酷極まりないものだった。
ここでは、ノンフィクション作家・小野一光氏の新刊『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)より一部抜粋して紹介する。松永が作り出した「死の連鎖」から、脱出を果たした少女・広田清美さん(仮名、当時17歳)。マンションの一室で営まれていた“地獄のような共同生活”の実態とは――。(全2回の2回目/最初から読む)
※本文中の松永太と緒方純子以外の固有名詞(建物名を含む)は、すべて仮名です。
◆◆◆
逮捕された中年の男女3月10日の夕刻、私は片野マンションの1階にあるスナックを前夜に続いて訪ねた。30代後半に見えるマスターがカウンターのなかで言う。
「女の子(清美さん)を見たんは去年の夏が最後やねえ。夕方頃に近所をウロウロしよるんを見たことがあるっちゃ。背はかなり小さめで、身長は150(センチメートル)ないくらいかね。痩せとって、服とかも最近のギャルとかとは全然違う、地味な格好やったね。暗い感じやけ、一度も笑った顔を見たことないんよね。なんかいつも俯いとる感じやったんよ」
「捕まった男女はどんな様子でしたか?」
「どんなって、女の方は普通のおばさんっちゅう感じよ。身長は150ちょっとで中肉中背。地味な格好で、髪の毛とかは肩につかんくらいの長さで普通やし……。男の方は髪が短めで、身長は170より少し低いくらい。中肉中背でトレーナーとかの格好が多かったね。なんの商売をやっとるかわからん雰囲気があったけど、見た目はサラリーマン風。警察が確認のために持ってきた写真はスーツ姿で七三分けの髪型の写真やったよ」
容疑者と少女の「共同生活」マスターは話を続ける。
「うちの店のママが平成11年(99年)にこの地域の組長になった時、30×号室の世帯表を見たらしいんやけど、そこには橋田由美と橋田清美っち名前が書かれとったみたいよ。由美の方がおばさんで、昭和35年(60年)生まれ。清美の方が女の子で、たしか昭和59年(84年)生まれやったと思う」
「その2人だけ?」
「そう。その頃に女の子が町内会費を持ってきたことがあったんよ。普通は1年分でいいのに、3年分をまとめてね。で、その子に誰と住んどるのか聞いたら、『おばさんと住んでます』っち。で、『2人で?』と聞いたら、『そうです』やら言いよったけね。ほんと、あんまり喋らん子なんよ。『なんか飲む?』って聞いても『いや、いいです』って言うしね」
「なにか他に容疑者や少女について憶えていることはないですか?」
「そうやねえ、おばさんの方はけっこういつもサングラスをかけとったよ。で、2階にある郵便受けを毎日チェックしよるんよ。そんなときに誰かが来ると背中を向けて、通り過ぎるまでは動かんのよね。やけ、あんまり顔を見た人は多くないと思うね」
「男の出入りは深夜しか見たことない」マスターは何度か昼間に少女とタクシーで出かける女を見たことはあるが、女はいつも顔を隠すように俯きがちだったという。
「男の出入りは深夜しか見たことないね。あ、そういえば女の子がまだ小5か小6くらいやった頃、赤帽の軽トラックが夜の10時から1時くらいまでの間にやってきて、おばさんと2人でダンボール箱を自分の部屋に何往復もして運び込むのを見たことがあるよ。だいたい5年くらい前やね。半年くらいの間に何回もそういうことがあって、荷物を運び込むだけやなくて、時には運び出すこともあったよ。そんときに男がおることもあったねえ」
「どんな大きさのダンボール箱でした?」
「けっこう大きいのとかあったよ。テレビが入っとるような。で、家宅捜索をした警察の人が言っとったんやけど、逮捕されたときはこの部屋から出る寸前やったみたいで、荷物は少なくて、残っとるもんはまとめてあったんやって。それから、うちのママがちょうど30×号室の真下に住んどるんやけど、あの部屋で物音を聞いたのは1カ月半くらい前が最後やっち言いよったねえ」
時期を逆算すると1月の後半あたりだ。後に判明したことだが、これは清美さんが最初に逃走していた時期にあたる。
マンションで起きていた「異音と異臭」「まあ、もうちょっとしたらママが来るけ、話を聞いたらいいよ。夜中にノコギリの音やら聞いとるみたいやし、異臭事件の話とかもしてくれると思うけ」
「なんですか、それ?」
「せやけね、何年か前に一時期ずっと夜中にノコギリで物を切るような音が続きよったことがあるんよ。それで死体でも切り刻みよるんやないかって話が出とったんよね。それで、やっぱり同じくらいの時期やったんやけど、夏場になると3階から上がものすごい臭いになっとったんよ。あれはほんとにすごかった。なんか物が腐っとるような臭い。で、たまらんっち話になっとったんやけ」
清美さんは父親がすでに死んでいることを警察に話していたが、警察はそのことを一切明かしていなかった。そのため、少女への監禁・傷害事件と、このマンションで起きていた異音や異臭の正体がここで結びつくことはなかった。
スナックのママが語った「当時の記憶」ビールを飲みながら待っていると、やがて50年配のママが店に現れた。前夜とは違い、カラオケの邪魔もない。いつ他の客が来るかわからないため、さっそく話を聞かせてもらうことにした。
最初に尋ねたのは、男女と清美さんがいた部屋の間取りについてだ。
「あそこは6畳が2部屋と、あと10畳のキッチンがあるリビングやね。それに風呂とトイレが別々についとるんよ」
「上の部屋の物音というのはよく聞こえるんですか?」
「夜中は水の音とか人の声は丸聞こえなんよ。でも、私は夜は店に出とるから、家におらんかったんやけどね」
「肉が腐ったような臭いがするようになった」私がマスターからノコギリらしき音のことや異臭事件について聞いたことを伝えると、ママは当時の記憶が蘇ったのか、顔をしかめた。
「もう、ほんと臭かったんよ……。でね、たしか5、6年前やったんやけど、深夜に1週間くらい、ギーコ、ギーコっち感じでノコギリみたいなのを挽く音が響きよったんよね。それで、なんの音かねえっち言いよったら、しばらくしてから、3階から上の階で肉が腐ったような臭いがするようになったの。もう、鼻が曲がるような臭い。その臭いが2、3年くらい続いたかねえ。とくに夏場になるとひどくなったんよね」
「2、3年?」
思わず驚きの声を上げた。
「それで誰も問題にしなかったんですか?」
「いや、同じ階の××さんが警察に言ったんよ。でも警察はとりあってくれんかったみたいやね」
「警察に届けたんですか? だってその頃って少女はもう男女と一緒にいたわけでしょ。もしもそのときに警察が踏み込んでいたら、監禁がそこまで長期化しなかったかもしれないのに……」
「そうなんよねえ。けど、まわりはみんな知らんかったけねえ。あの子は本物のおばさんと暮らしとるっち思いよったもん。今考えるとかわいそうよね」
マンションの階段に「人糞」この片野マンションの30×号室は、清美さんの伯母である橋田由美さんの名前で借りられていた。松永と緒方の逮捕によって明らかになったことだが、橋田さんの名義だけを借り、そこで緒方が清美さんの“おばさん”として振る舞い、松永らと一緒に住んでいたのである。
ママが思い出したように言った。
「なんですか、それ?」
「あのね、異臭がしよった時期の後やったと思うけど、このマンションの階段にウンコが置かれるようになったんよ。それも犬とかやない、絶対に人間のってわかるようなやつ。でね、まわりにオシッコなんかもあったりするんよ。うちの階段はリノリウムやけ水は吸わんし、いつまでも残るの。それがまた臭いんよ。もう、たまらんやろ。そういうことがしばらく続いたの」
「それは、逮捕された男女と関係あるんですか?」
「そうなんよ。いつやったかね、たしか1、2年前やったと思うけど、やっぱり階段の2階のところがオシッコでビショビショになっとる時があってね、そこから大人の男の足跡が上の階に向かっとるのよ。それでね、その足跡が30×号室まで続いとったわけ」
「注意とかはしたんですか?」
「もちろん。私が部屋に行ってドアをドンドン叩いたんよ。そしたらね、ドアが開いて、捕まった女が顔を出したの。で、『階段にされたオシッコから足跡がこの部屋にまで続いてるんですけど、いったいどういうことですか?』と問い詰めたわけ。その時よ、あの捕まった男が顔を隠してササーッとトイレに逃げ込んだんよね。
で、女は部屋の奥におった5歳くらいの男の子を呼んで、『あんたがしたんやろう』っち、頭をバーンと叩いたんよね。でも足跡は明らかに大人のもんで、私もほんとは納得いかんやったんやけど、さすがにそれ以上は言われんやない。やけ、それでこっちも引っ込んだんよ」
ママはいかにも腑に落ちないという顔をしている。これまでの話からは、捕まった男女のうち、男が廊下に糞尿を残し、女はそれを知りながら庇っていた様子が窺える。しかし、なぜそんなことをする必要があったのか。その理由に想像が及ぶようになるには、さらに数カ月の時間が必要だった。
さらに男児4人を保護この取材をした日、じつは男女に初めて当番弁護士が接見していた。後にわかることだが、男女は弁護士に対しては、これまでに使っていた「ミヤザキ」(男)や「モリ」(女)という偽名ではなく、本名を名乗っていた。また、警察も清美さんから彼らの名前を聞いていたが、その確認作業を行っていたために、男女の本名が発表されなかったのである。
またNHKが昼のニュースで、7日に北九州市小倉北区泉台にある泉台マンションにおいて、この事件に関連して男児4人が保護されていたことを報じ、他のメディアもその事実を知ることになった。
そこで取材を受けた捜査関係者は「子供たちだけで部屋におり、保護者がいなかったなどの理由から保護した。児童4人は元気。受け答えなどはっきりしている。虐待などはいまのところ見受けられない。4人のうち兄弟がいるようだ」と明かしており、男児が9歳と5歳の兄弟と、夫と別居した女性が逮捕された男女に預けた6歳の双子だったことを話している。
異例の「捜査本部」設置さらに翌11日に小倉北署で副署長が発した雑感により、児童たちが保護された際の様子がよりはっきりした。その内容は以下の通りだ。
「課長と係長、それに補導員の女性2人がドアの鍵を開けて4人を保護した。4児童はパジャマ姿で、6畳の部屋で一緒にテレビを見ながら遊んでいた。入ってきた捜査員に脅えたり、驚いた様子はまったくなかった。
部屋は1DK。室内はある程度整理整頓されており、洗濯物がたくさん干してあった。こたつ、冷蔵庫、洗濯機があり、長期間生活していたものと見られる。9歳児童はしっかり者で年下3人の統制をとっていた。彼は『NHKの教育テレビも見るよ。いろいろ知っている。地球も丸いよ』などと口にしている」
この日、福岡県警小倉北署は捜査本部を設置した。それは『北九州市小倉北区内における少女特異監禁等事件』との名称で、98人体制によるもの。容疑者が逮捕され、殺人が発覚していない段階で捜査本部が設置されるのは、極めて異例のことだった。
(小野 一光/週刊文春出版部)

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