昨今の相次ぐ物価上昇は一向に収まる気配がありません。そんななか、重要性を増しているのが「値上げして、適正な価格で販売すること」です。本連載では「感性と行動の科学」に基づいたビジネス理論を研究するオラクルひと・しくみ研究所代表の小阪裕司氏が、著書『「価格上昇」時代のマーケティング なぜ、あの会社は値上げをしても売れ続けるのか』から、適正な「値上げ」をして、かつ売上を高める「戦略」について解説します。

商売人はかつて、「マスター」だった?

私がずっと以前から提唱しているコンセプトがある。それが「マスタービジネス」だ。最初にこのことを書いたのは、2001年刊の書籍『失われた「売り上げ」を探せ!』(フォレスト出版)だから、もう20年以上も前になる。

マスターとは「師匠」のことである。当時、「お客様は神様です」などということが盛んに言われていた。商売人はお客さんをそれくらいの気持ちで扱うべき、ということだが、少し間違えると「商売人は顧客より下の存在である」とも取られてしまう。

だが、それは違うのではないか。売る側と買う側とは本来、対等であり、むしろ商売人は自分の商売の分野においてお客さんよりずっと詳しい。一方、お客さんはお客さんで、自分の知るべきことを知らずに苦労していたり、もっと楽しい世界があるのを知らないまま過ごしている。

ならば商売人はそれを解決すべく、顧客に有益な価値を提供する「師匠」であるべきではないか。その意味においては、お客さんは「弟子」と呼ぶべき存在ではないか。そのような思いが込められたのが「マスタービジネス」というコンセプトだ。

実際、本来の商売の成り立ちとはそういうものであったのではないかと私は考えている。

商売は物々交換から始まったと言われているが、その最初の形は、海の近くに住む人に対して、山に住む人が「こんなにおいしいキノコがあるよ」と伝え、それに対して海の近くに住む人が「この魚はこうやって食べるとおいしいよ」などと、教え合いつつ交換が行われていたのではないだろうか。もちろん、それを実証するすべはないが、私はきっとそうだったのではないかと考えている。

マスタービジネスとは同様に、「お客さんがまだ知らない価値を教える」ことによって、お客さんから対価を得ること。「マスター」とは、言い換えると「価値の運び手」だ。

市場が6分の1に縮んでも……

マスターがいることで、お客さんはそれまで知らなかった世界を知り、それを楽しむようになり、「価値のわかる客」に育つ。するとおのずと、より高いものが売れるようになる。その典型的な例をお伝えしよう。会津若松の呉服店「庵 はづき」という店だ。

呉服市場は、1980年代の1兆8,000億円をピークに今や2,700億円ほどと、およそ6分の1にまで縮んだ。長年言われてきた「着物離れ」に加え、最近ではコロナ禍によって、成人式などただでさえ少なくなっていた呉服が売れる機会が減り、さらに苦境にある。

そんな中、同店は、平成13年に吉川恵美子氏が自らの呉服好きが高じて開業して以来、順調に売上を伸ばしてきた。

しかし同店に、たまたま着物好きや、暇とお金を持て余した方たちが集まっているのではない。それまで着物をまったく着ていなかった人や普通のOLも多い。吉川氏によると、お客さまからよく、「あなたに出会わなかったら、着物にこんなにのめり込むことはなかったわね」と、感謝交じりに言われるのだそうだ。

つまり彼女はマスターなのである。

そんな彼女は、「着物の楽しさを教えていくと、お客さんはどんどんのめり込み、目が肥えていきますね」と言う。とにかく良いものを見てもらうことが大事、と彼女は言うが、そこでは買うかどうかは二の次。「顧客を育てる」ことが重要なのだ。

その結果、より良いもの=高いものが売れていく店となる。

そんな同店を、着物作家や良い品を多く持つ有力問屋は強く支持し、それによりまた良い品が集まるようになる。そして顧客らはそれらを見て、時に作家から直接話を聞き、また目が肥えていく。

近年、同店では呉服だけでなく、お教室にも力を入れている。着付け教室はもちろん、茶道教室、香道教室、ピラティスの教室までと幅広い。

それも、「お客さんが、呉服とともにより美しく楽しく生きるために、必要なことを教えられるように」とのことだ。

どんどんと縮小している市場でも、人口が減っていく町でも、伸びていく店がある。

そこには「マスター」がいる。

そして、価値を運び、対価を得ながら、価値のわかる顧客を育てているのである。

小阪 裕司

オラクルひと・しくみ研究所

代表

(※写真はイメージです/PIXTA)