4月8日に任期満了となる黒田東彦・日本銀行総裁の後任として、植田和男氏(経済学者、元日銀審議委員)の起用が報じられた。足元では消費者物価の上昇率が4%台に達するなど、黒田執行部が目標としてきた2%を超えているが、逆に異次元緩和によるインフレ懸念や債券市場のゆがみといった側面も強く意識されるようになった。本来、我々は金融政策という手段にどこまで期待すべきだったのか。日銀で要職を歴任し、現在は日本証券アナリスト協会の専務理事を務める神津多可思氏の論考をお届けする(JBpress編集部)

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(神津 多可思:日本証券アナリスト協会専務理事)

1つの政策目標には1つの政策手段が必要だが・・・

 日本銀行の正副総裁が変わる時期ということもあってか、過去10年間の金融政策を振り返る評論がたくさん出ている。

 いまさらながらだが、できないことを金融政策に期待したのではないかという見方もある。一方、財政政策についても、本当に生産性の改善に資するような支出内容となっているのかという問題提起がある。

 そもそも理屈の世界では、金融政策、財政政策に何を期待することができるのか。そして、その理屈は実践の世界ではどう活かせば良いのだろうか。

 ティンバーゲンという20世紀のオランダ経済学者がいる。第1回のノーベル経済学賞を受賞した人だ。彼の名を冠した「ティンバーゲンの定理」というのがあるが、これは、独立した政策目標を達成するためには、同じ数だけ独立した政策手段が必要というものだ。

 例えば、消費者物価でみたインフレ率を安定させるというのは、1つの独立した政策目標だ。そして、伝統的な金融政策である短期金利の操作は、1つの独立した政策手段だ。

 この2つを対応させると、金融政策はインフレ率の安定以外の政策目標の達成に割り当てることができないというのがティンバーゲンの定理の言っていることである。

賃金の変化とインフレ率、連関あるが別の事象

 賃金が上がらないインフレは本来目指したインフレでないというのは、それはそれで分かる。しかし、賃金の変化とインフレ率は、一定の連関をもった経済指標ではあるが、全く同じ事象ではない。

 したがって、ティンバーゲンの定理によれば、1つの政策手段、例えば金融政策で両方を同時に望ましい状態に持っていくことは、元来できないことになる。

 もう一つ「マンデルの定理」というのもある。マンデルは2021年に亡くなったカナダ経済学者で、彼もまたノーベル経済学賞を受賞している。

 この定理は、ある政策目標を達成する政策手段が複数ある場合、最も強い影響を与える手段をその目標と組み合わせることが望ましいということを言っている。

 賃金上昇、とりわけ実質賃金の上昇に対しては、金融政策が最も強い影響を与える手段かどうか、定説があるとは言えない。さらに、実質賃金の改善のためには生産性の上昇が不可欠だという議論になると、それに対して金融政策がどう影響を与えるのかということは、ますますはっきりしない。

 マンデルの定理からは、金融政策をそういう政策目標に割り当てることにも疑義が生じる。

「脱デフレ」とは何を意味していたのか?

 ところで、過去10年間の果敢な金融緩和が、「脱デフレ」を目指したものだという点はあまり異論ないだろう。脱デフレという政策目標の達成に金融政策を割り当てたのだとして、その脱デフレとは本質的に何であったか。

 日本経済は、1990年代後半以降、マイルドデフレに繰り返し陥ってきた。そうした状況から脱することが脱デフレであるとすると、本来的には、まずマクロ経済の需給ギャップが需要不足/供給超過の方向に振れた場合でも、消費者物価でみたインフレ率がマイナスにならないようにすることが目指されたはずだ。

 そして、インフレ目標が2%であるとすると、少なくとも、景気循環を通した平均インフレ率がそうならないと、政策目標を達成したことにはならないだろう。

 そういう脱デフレの議論に、賃金や生産性の議論までが入ってきているのが現状だが、そうなってくると、本当であれば金融政策によってそれらの経済指標がどこまで制御できるのかの整理をもっとちゃんとすべきであったことになる。

 金融政策のあり方とインフレ率の関係は、理屈の上ではある種の共有された整理がある。例えばフィリップス曲線がそれだ。しかし、金融政策と賃金あるいは生産性の関係となると、インフレ率ほど確立された関係があるとは言えない。

 大学で教鞭をとってきた身として、こうした脱デフレの本質にまで分け入って議論をしてこなかったことを反省している。若い人々に考える材料を中立的に与えるという意味で、インフレ目標が何故2%なのかといった技術論ばかりではなく、根源的な問題提起をもっと早い段階ですべきであった。

 脱デフレが、結局のところ実質賃金や生産性にまで及ぶ議論であったならば、理屈上は、金融政策にその改善の主たる責任を負わせるのは行き過ぎということにならざるを得ないように思う。

 そもそも実質賃金については、具体的にどう定義するかも難しい。

賃金の決定要因は多岐にわたる

 高齢化・人口減少が速いスピードで進んでいるのだから、合計値や平均で考えたのでは、その人口動態の面からのバイアスがかなり強くかかる。

 さらに、これまでのグローバル化は、特に2000年代以降、典型的には中国経済との競争というかたちで、日本国内の賃金に大きな下押し圧力を加えてきた。その影響は、そもそも金融政策でどこまで中立化できるのか。

 また、賃金の決定には労働分配率も重要な要素となる。そこでは組合の交渉力も問題になるが、それは金融政策からはかなり距離がある。

 そうしたことを勘案した上で実質賃金の定義を明確にしても、さらにそれがどの程度改善していれば日本経済の実力が発揮されたことになるのかを考えなくてはならない。

 このように今、改めて整理をしてみると、賃金が上昇しないインフレでは不十分だという議論や、さらには生産性の改善を背景とした実質賃金の上昇こそが求められているという話になると、少なくとも理屈の面からは、金融政策だけでは政策目標が実現できないように思われる。

「これからは財政政策」とはならない

 一方、財政政策になると、賃金や生産性に影響を及ぼす政策の波及経路を、金融政策よりは直截に思い浮かべることができる。しかし、財政政策という括りでは、政策目的を1つには特定できない。需給ギャップへの影響という面からみれば、財政支出の規模を拡大すれば、金融緩和と同様に総需要の刺激になるが、財政政策に期待されているのはそれだけではない。

 そもそも、これまでの財政赤字の主因は、年金、健康保険、介護保険といった社会保障制度において、歳入と歳出が制度的に見合っていないため、国費を投入せざるを得なかったところにある。赤字を賄うための国債発行に関係する費用がさらに赤字を拡大させてきた。

 これまでの財政政策は、必ずしも日本経済の生産性を改善させ、成長率を底上げすることを主眼に運営されてきた訳ではないのである。

 このように、金融政策では駄目だからこれからは財政政策でという話にはすぐはならない。生産性の改善があり、その成果が応分に労働に配分されて初めて実質賃金も上昇するのであろうから、そのプロセス全体に1つの政策手段を割り当てるということ自体、なかなか難しいのであろう。

 それでは、繰り返しマイルドデフレに陥り、なかなか将来展望が拓けない経済において、少なくとも働く者1人当たりの1時間当たり賃金が実質でみて持続的に上昇するような経済にするためには何をすれば良かったのだろうか。

 理屈の世界の議論を整理すれば、以上で考えてきたように、金融政策や財政政策を1つ選んでそれを割り当てるという結論にはならなそうだ。

 生活者の立場からすれば、マクロ経済が不振に陥っている時、政府が何の政策も打ち出さないというのはおかしい。しかし、だからといって主たる政策手段を金融政策として、2%のインフレが傾向的に実現すれば、生産性が改善し、それが実質賃金の上昇に結び付くと言われても、それはどういうロジックでのことなのかという疑問が残る。

 以上のように、実践的にどうすれば良かったかということになると、結局、金融政策、財政政策のあり方を変えて、もっと生産性改善に結び付くようなパターンにすべきだったということになるが、それはどのようなものだろうか。

金融政策は本来、景気の山谷を均すためのもの

 まず金融政策に関しては、緩和を強化すればするほど生産性の改善が実現するということではないようだという雰囲気も最近では出てきている。これは予想に過ぎないが、低金利が一定以上の長期にわたると、経済活動全般におけるリスクテイクが抑制され、その結果、将来の成長に繋がるような経済活動も不十分となり、生産性も改善しないということがあるのではないだろうか。

 金融政策は、本来、景気循環の山と谷を均(なら)す機能を持つものであり、その景気循環のサイクルを超えて、極めて緩和的な金融環境を維持し続けると、結局、デメリットの方が大きくなるというような仮説である。

 もちろん、これから検証されるべきことだが、低金利がゾンビ企業を増やし、経済成長を阻害するというようなストーリーは、こうしたダイナミズムの中で考える必要があるように思われる。

政府がリスクをとらなければ成果はない

 一方、財政政策については、赤字は問題ないといった主張もあり、かつ未来のことは本当のところは分からないのだが、どんどんこれまで以上のスピードで財政赤字が拡大するのは不安だという実感を持つ人が多いのではないか。

 そうだとすれば、社会保障制度から生まれる赤字を食い止め、その分、生産性の改善に結び付くような歳出を増やしていくというアイディアもある。

 どういう分野でお金を使うかという判断にはリスクがあるが、それは会社経営と同じで、政府がリスクをとらなければいつまで経っても成果は得られない。そのリスクテイクの責任は、議員内閣制の下では、結局のところ政権与党の国会議員が負うことになる。

 要するに、金融政策にしろ、財政政策にしろ、生産性の改善を最終的に目指すのであれば、ある種のバランス論が考えられるということである。それが崩れていると、いくら政策を強化しても、どこからか先は逆効果になってしまうということを、日本経済の現状が教えてくれているのではないだろうか。

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