その昔、岩井三郎という探偵がいた。

 彼は元警視庁警視で、司法主任として日清戦争当時にはスパイの摘発などで活躍していた。ところが担当事件の容疑者が管轄外北海道に逃げ込んだことで、強制的に捜査中止に。これ憤って退職したのだった。

 明治28年(1895年)、30歳で東京・日本橋に岩井三郎事務所を開いて、私立探偵業を始めたという。

 当時も私立探偵を自称する者はいたが、産業スパイや、知り得た情報を恐喝の材料にする犯罪者のような人物ばかりだった。小説や映画に登場するような本格的な私立探偵は、岩井が日本初といわれている。

 岩井は私立探偵として民事だけではなく、刑事事件や詐欺事件、政界を揺るがす案件まで幅広く扱った。「花王歯磨密造事件」「古河炭鉱詐欺事件」などの解決に貢献したが、最も有名なのは、大正3年(1914年)に起きた「シーメンス事件」である。

 ドイツの兵器会社シーメンス社の輸入戦艦「金剛」をめぐり、贈収賄で当時の第1次山本権兵衛内閣を総辞職に追い込む大事件だった。

 この日本最古の探偵事務所に紆余曲折の末に入社し、一時期働いていたのが、人気アニメ「名探偵コナン」の主人公・江戸川コナンに名前を取られた江戸川乱歩だ。乱歩はのちに日本の推理小説界の第一人者となり、あの誰もが知る名探偵・明智小五郎の生みの親となった。

 乱歩は大正14年(1925年)に発表した短編小説「D坂殺人事件」で、明智小五郎を初登場させている。この明智小五郎は岩井三郎の顔立ちや調査に対する姿勢を参考にして、生み出されたという。すなわち、明智小五郎には、実在するモデルがいたわけである。

 明智小五郎はその後、怪人二十面相シリーズでも活躍するが、シリーズで登場する少年探偵団の団長・小林少年は、乱歩自身が投映されたという説もある。

 実在する名探偵・岩井三郎の名前は、3代まで継承されたという。

(道嶋慶)

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