太平洋戦争中、航空母艦が戦闘の主役となることが、多く見られました。ただそれに載せられた艦載機やそのパイロットらは、いろいろ苦労しています。

他の空母で燃料補給、それを十数往復

日米が激突した太平洋戦争は、歴史上において航空母艦(空母)とその艦載機が主力として運用され続けた戦いでもありました。国家の方針としては基地航空隊に重点が置かれてはいたものの、空母の存在感は大きなものだったと言えるでしょう。

戦争は4年近く続いたため、空母や艦載機の運用にまつわるエピソードは無数にありますが、そのなかでも他とは毛色の異なるトリビア的なものを紹介します。

1942(昭和17)年のミッドウェー海戦時、旧日本海軍は同時並行で北太平洋アラスカ沖に連なるアリューシャン列島の攻略も進めていました。このとき同方面の攻撃を命じられたのが、小型空母「龍驤」と中型空母「隼鷹」の2隻です。連日の作戦で、小型空母「龍驤」は航空燃料が尽きてしまいます。

艦隊にはタンカーが随伴していましたが、これらは空母自体が動くための石油を補給するためのもので、航空燃料は搭載していなかったのです。そのため、航空作戦を遂行するのが困難な状況となってしまいました。

困り果てた「龍驤」では、搭載していた九七式艦上攻撃機(九七式艦攻)に最低限の燃料を搭載して発艦させ、「隼鷹」に着艦して燃料を補給。満タンになったら「隼鷹」から「龍驤」に戻り、機内タンクに満載した燃料を「龍驤」の船内タンクに戻して、また最低限の航空燃料だけで「隼鷹」へと飛んでいき、燃料を貰ってくるという解決策を取ったのです。

九七式艦攻が2隻の空母を行き来する作業は、10数回も行われたそう。ただ、艦載機を発艦させるためには、空母自体が全速力で直進航行する必要があるため、2隻が交互にそんなことを行い続けたのでしょう。実施には神経を使ったようです。

ちなみに戦闘中、他の空母に着艦して、そこで補給を受けてから出撃するということは、ミッドウェー海戦で孤軍奮闘した「飛龍」や、南太平洋海戦での「隼鷹」など、普通に行われていました。

一方、アメリカ海軍では、軽空母より小さな護衛空母に付与された任務のひとつに「戦闘で失われた艦載機の補充」も含まれています。これもまた、アメリカ空母機動部隊の戦力維持に貢献した施策のひとつと言えるでしょう。

「誰か気付いて!」マスト折られて通信できなくなった悲劇

空母の性能とは搭載機数や速力だけではありません。南太平洋海戦時にアメリカ空母を攻撃した後の九七式艦攻が、味方艦隊の位置を見失って「空母の位置を知らせてほしい」と電報を打ったことがあります。

このとき日本空母艦隊の旗艦を務めていた「翔鶴」はアメリカ側の攻撃によってマストを失っており、艦隊司令部は通信能力で劣る駆逐艦に移乗していました。ゆえに、通信が届かなかったのです。

なお、ミッドウェー海戦の際にも同じことが起きていました。この海戦では日本の空母機動部隊(南雲機動部隊)が主力空母4隻を一挙に失うという大打撃を受けていますが、戦闘が起こる前に、マストの高い戦艦「大和」は敵であるアメリカ空母の呼び出し符合を傍受し、近くにアメリカ艦隊がいることを察知していたのに、南雲機動部隊の旗艦である空母「赤城」には届かなかったということがありました。このように、通信能力の高低は戦局を左右するほど重要なものだと言えるでしょう。

なお、日本空母の艦載機は対潜哨戒任務も度々行っています。これは複数名が乗り込む艦上爆撃機(艦爆)や艦上攻撃機(艦攻)といった航空機を発進させ、目視で潜望鏡を見つけるというものです。ただ、これらは磁気探知機やレーダーを搭載しているわけではないので、探すといっても大変な任務だったようです。実際、味方機が敵潜水艦を発見できず、結果として空母が雷撃されているのは、やむを得ないように思います。

陸軍機の着艦要求に空母「隼鷹」断固拒否!

航空機で潜水艦から船舶を守るという構想は、旧日本陸軍の特務船「神洲丸」でも試みられました。「神州丸」は1932(昭和7)年の第一次上海事変をきっかけに誕生した陸軍船です。

「神洲丸」は、船内の格納庫に上陸用舟艇を収納し、敵前上陸を行う輸送船であり、かつ艦載機を搭載して、対潜哨戒や上陸部隊の支援を行うというコンセプトを持つ特殊な船でした。事実上、世界最初の「強襲揚陸艦」とも言える船だったのです。

ただ、艦載機の運用はフラットな飛行甲板ではなくカタパルトで射出するやり方。当初は陸軍の九一式戦闘機6機、九七式軽爆撃機6機を搭載していましたが、着艦できないため使いにくく(海軍から水上機を融通してもらうというプランもあったものの頓挫したとか)、後継船の「あきつ丸」では全通飛行甲板を備えた、空母型特務船に改められました。

なお「あきつ丸」には、艦載機として対潜哨戒を主目的とする三式連絡機が搭載されていました。これらは陸軍の独立飛行第一中隊に所属しており、広島湾で訓練を行っていましたが、あるとき所属機がエンジン故障を起こします。そこで、近くにいた海軍の空母「隼鷹」に緊急着艦要請を行いました。しかし、陸軍機に対応していない「隼鷹」はこの要請を拒否。結果、当該機はやむなく「隼鷹」の横に不時着水したというエピソードも残っています。

事故機は「隼鷹」のクレーンで引き上げられましたが、主翼が折れていたため破棄されたようです。

艦載機は、陸地で運用される陸上機と比較して、洋上で小さな空母を基準に運用されるため、様々な制約・使いにくさはありつつも、それに適合するように開発されています。だからこそ、陸上機とは別の面白エピソードも生みやすいと言えるでしょう。

とはいえ、このようなトリビアネタを楽しめるのも平和な証拠。筆者(安藤昌季:乗りものライター)も、戦争が起こらない世の中になることを願ってやみません。

旧日本海軍の九七式艦上攻撃機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。