政治家の発言は時間をかけてみると興味深い。あのときの言葉の答え合わせではないか? という件が最近多いのだ。

適材適所」発言の謎

 たとえば岸田首相の「適材適所」という言葉。これは杉田水脈総務政務官の起用について批判が集まっていたときの言葉である。私は適材適所という表現がとても不思議で、なぜ杉田氏は差別発言をしながら「出世」できたのか? と当コラムで考えたこともある。

 しかし先日の荒井勝喜首相秘書官による性的少数者や同性婚をめぐっての差別発言をみると、首相が杉田氏の起用を「適材適所」と言った謎がとける。謎どころか当然の起用のように思えてくる。見事なチームだったのかもしれない。

 岸田内閣は「全ての人が生きがいを感じられる多様性のある社会」(官邸HP)と言っているが、政権中枢で政策立案に関わりスピーチライターでもあった荒井氏が言うには同性婚の法制化について「秘書官室は全員反対」であるという。言行不一致、政策不一致である。さらには酷い差別発言をする態度もあるなら、聞いた側はオフレコ解除をして世間に問うてみる必要もあっただろう。目の前の記者たちの中に当事者がいないと思い込んでいたところも酷い。あの振る舞いはオンレコ、オフレコ関係ない。

杉田水脈を起用した理由は

 さて一方で、岸田首相の人事についてはこれまで二重構造を考えていた。

 2000年代に激化したジェンダー平等や性教育への反動(バックラッシュ)があった。世間がバックラッシュに鈍いなか「これを言うとウケる(評価される)」と気づいた人間がバックラッシュ的な過激発言、いや、差別発言をまき散らして出世していった。杉田氏のような議員は「安倍首相におもねり、首相の思いを代弁すれば報奨があると期待している」「出世を目指す政治家たちにとり、差別発言を自制する理由はない」という識者の見立ても以前からあった(東京新聞2018年7月28日『自民・政府 「差別」「うそ」の感染爆発』)。

 偉い人にウケるために差別発言を積極的に言う人がいるのが一つ目の構造だとすると、二つ目はそんな発言にほくそ笑む人々や集団の支持を得るために、岸田首相は杉田氏を起用しているのでは? という構造が浮かんだのだ。

 しかし、今回の岸田首相同性婚を法制化すると「社会が変わってしまう」という答弁を聞くと考えてしまう。あれはアドリブだというから余計に気になる。「社会が変わってしまう」はコア保守層にウケるために言ったのか、そもそも首相の本心なのか。

 もしコア保守層にウケるために言ったなら岸田首相杉田水脈氏と同じようなキャラであることがわかる。中身が無さそうな人が首相を務めているという恐ろしい説が見えてきてしまう。

 そうではなく本心で言ったというなら「全ての人が生きがいを感じられる多様性のある社会」はずっと嘘を言っていたことになる。一体どっちなんだろう。記者の皆さんは今こそ「聞く力」をオンレコの場で発揮したほうがよいのでは。

丸川珠代「愚か者めが」と絶叫

 さてウケ狙いといえば、丸川珠代参院議員の「愚か者めが」という言葉も話題になった。2010年民主党政権が子ども手当法案を採決しているときに自民党の丸川氏が「愚か者めが」「このくだらん選択をした、馬鹿者どもを絶対に許しません」と叫んでいたことがあらためて注目されたのだ。罵倒も酷いが、言葉づかいがおじさんぽいのも気になった。ああいう言葉づかいをすることで身内のおじさん達にアピールする意味もあったのだろうか? それならここでもウケ狙いである。またしても。

 あらためて言うと政治家は罵倒はやめた方がいいと思う。政治家が本当に議論のプロであるなら、議論をすればするほど時には「あれ? もしかしたら自分の考えは間違っているかもしれない」と気づく瞬間だってあるだろうからだ。相手を罵倒してしまったら自分を追い込むだけ。意地が邪魔をして議論ができなくなるのはもったいない。

安倍元首相のトンデモ発言

 丸川氏の過去の罵倒が話題になったとき、同じく注目されたのが安倍晋三元首相の同時期の言葉だった。民主党政権の所得制限のない「子ども手当」に対して、

子ども手当によって民主党が目指しているのは子育てを家族から奪い取る子育ての国家化・社会化。これはポル・ポトやスターリンが行おうとしたことです》

 と雑誌で語っていたのだ。強烈すぎる表現だがこの時期のことを考えると興味深い。

 この頃は野党だった自民党が政権奪取を目指していた時期だ。そのために多くの保守的な団体の支持をより一層固めていたと言われる時期でもあり、「子育てを家族から奪い取る子育ての国家化・社会化」とか「ポル・ポトやスターリンが行おうとしたこと」と安倍氏が言うことで喜んだ人も多かったはずだ。昨年の安倍氏銃撃事件以降、旧統一教会問題にスポットが当たったが、あれは多くの団体のうちの一つの可視化だったとも言える。

ウケ狙いか、自画自賛か

 蛇足だが当時の「子ども手当」議論についてはこんな動きがある。

立憲民主党国対委員長・安住淳が調子に乗って「失われた10年政策検証チーム」を設置したのはどうかと思う。(略)さぞ留飲が下がる思いだろうが、民主党時代の失政も数知れずあることを忘れてはならない。》(日刊スポーツ2月3日「政界地獄耳」)

 安住氏の場合は誰かへのウケ狙いというよりは単なる自画自賛に思えた。

 政治家の言葉を長いスパンで見ると興味深い。誰が本気で言っていて、誰が思惑たっぷりのウケ狙いだったのか。それともただの自画自賛なのか。とても気になります。

(プチ鹿島)

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