『オールド・ボーイ』『イノセント・ガーデン』『お嬢さん』など数々の傑作を手がけてきたパク・チャヌク監督の最新作『別れる決心』がいよいよ今週末17日(金)から公開になる。

本作は、“刑事と容疑者”として出会ったはずの男女が、少しずつ距離を縮めていく中で迷路のような状況に足を踏み入れていく様を描いた作品で、ふたつの殺人事件の行方を描くサスペンスと、男女の関係の変化が同時に描かれる。パク・チャヌク監督はこう語る。

「愛の物語というのは“大きなサスペンス”を含んでいる」

事件も、愛も、すべては謎に満ちていて、何が起こってもおかしくはない。

岩山の頂から転落した男の事件を追う刑事ヘジュンは、被害者の妻ソレを容疑者として監視する中で、次第に彼女に特別な感情を抱き始める。捜査を続けていく中で少しずつ距離を縮めていくふたり。やがて事件解決の糸口が見つかり、事件は解決したかに思えた。しかし、それはふたりの関係を大きく変える“最初の一歩”でしかなく、別れたはずのふたりはやがて意外な場所で再会する。

本作の前半は容疑者に対して“疑い”を抱いていなければならない刑事へジュンと、そんな刑事の追求を受ける容疑者ソレの駆け引きと、関係の微妙な変化が巧みな演出で描かれる。

「へジュンというのは刑事という職業上、ソレのことを疑わなければならない存在です。でも彼の心の中で『彼女は犯人ではないのかもしれない』と、気持ちが傾いていきます。へジュンのもっている美徳は、相手を先入観で見ないことです。しかし、ソレを相手にしたへジュンはバランスを失ってしまって、本来であれば疑うべき存在であるはずなのに、犯人ではないのではないかと思ってしまうわけです」

一方のソレも刑事の追求や疑いを晴そうと振る舞っていたはずなのに、自分の感情に疑問を抱きはじめる。

「ソレは刑事の疑いを解かなければならないと考えていたと思います。ところが、ソレもまた『私がこの男性の心を盗もうとしているのは、自分の疑いを晴そうとしているのか、それとも私がこの男性に惚れてしまったからなのか?』と考えはじめるわけです」

刑事と容疑者である男女は、それぞれの立場で自分の心の行きどころを失い、迷い、この感情は愛なのか? と自分に問いかける。取り調べが進み、捜査が進展する中で、次々に新事実が明らかになっていき、事件は解決へと向かっていく。でも、ふたりの感情には“出口”がない。

愛についての話をする上で、殺人事件と結びつけた理由は、愛の物語というのは“大きなサスペンス”を含んでいると思うからです。人は誰かを好きになると『私はあの人ことを想っているけど、あの人は私をどう思っているだろうか?』『私があの人にこんなことをしたら、あの人はどんな反応を見せるだろうか?』という緊張状態に置かれます。

あの人はいまどこで何をしているのだろう?とか、私とあの人の未来はどうなるのだろう?といった感情は、広い意味でのサスペンスだと思うのです」

パク・チャヌク監督が考える“優れた俳優”とは?

少しずつ距離を縮め、心安らぐ瞬間すら生まれているのに、相手に対しても、自分に対しても“疑い”が消えない刑事と容疑者。へジュンを演じたパク・ヘイルと、ソレ役のタン・ウェイは“ひとこと”では片付けられない複雑な感情を全編に渡って表現することになった。

「映画監督を始めた頃は、この仕事に対して間違ったイメージを抱いていました。まるでヒッチコックのように自分で指示を出して、俳優を思い通りに動かすことが映画を監督することだと思っていたのです。それは私がヒッチコックについて間違った学び方をしてしまったからでした。私はある時から、優れた俳優の知性を知ることになり、そのような演出は卒業しました。

そこから私は創造する上での自由を得ることができるようになりました。たとえば、普通の俳優さんと仕事をすると、俳優さんから『さっきのシーンではこのように言っていたのに、なぜ、この場面ではこのようなことを言うのでしょう? 一貫性がないのでは?』と質問されます。でも、ソン・ガンホさんのような優れた俳優と仕事をすると『人間なのだから、そのようなこともありえる。あの場面ではこう言ったけれど、この場面では条件が違うのだから心が変わって違うことを言ったのだ』と受け入れてくれます。そうすると私としては創造する上での自由を得ることができるわけです。

そのような知性を持ち、理解することも難しいのですが、さらに難しいのは、それを実践して身体で具現化することです。平凡な俳優であれば『さっきはあんな行動をとったのになぜ?』と思ってしまうのですが、有能な俳優はそこに矛盾がないように感じられ、その登場人物がそう行動することを信じられるような表現ができるのです。

そのような優れた能力を発揮するためには、人間の心理状態を理解し、多様性や変化、複雑さを信じる必要があります。そういった素晴らしい俳優を得ると、私たちは人間を相対的で、総合的で、複雑なものとして描写することが可能になります」

彼がこう語るのには理由がある。パク・チャヌク監督は常に「人間という存在を相対的に見たい」と思って作品をつくってきたからだ。

人間の存在や感情は単純ではない。様々な要素が混ざり合い、時には矛盾した行動も平気でする。説明のつかない想いが芽生え、時にはそんな感情に支配されたりもする。そして、その姿は深刻であり、同時にマヌケで、時には不条理に見える。

パク・チャヌク監督がキャリアの中で追求してきた“映画のつくりかた”と“世界の見方”は本作『別れる決心』でも貫かれており、本作は非常にシリアスだったり、ロマンティックなシーンが描かれたかと思えば、びっくりするタイミングで笑えたりする。深刻な状況を描いているはずなのに、急に“冷静に考えると、この状況、マヌケじゃないか?”と問いかけてくる。

「私は“深刻な状態”が長く続くことに耐えることができないんですよ(笑)。また、ひとつの感情だけ、ずっと甘いとか、ずっと幸せとか、ずっと悲しいとか……が長い時間、続くこともよくないと思っています。

私たちが映画をつくるのは、人間という存在を相対的に見たいと思っているからです。なのに単純な感情だけを描いてしまうと、私たちが映画をつくる目標に反してしまうことになります。人間を相対的に、そして総合的に見るためには、“距離をもって”見ることが重要になります。ある程度、客観的に見ることが必要だと思うのです。

そこで人間を少し距離をとって見ると、そこにはユーモアが生まれます。特に恋をしている人、誰かを愛している人、恋愛に陥っている人は他人から見ると、少し笑える存在だと思うのです。ですから、ロマンスやラブストーリーというのは、ユーモアが生まれる可能性のあるジャンルだと思います。

そのためには、私は映画は映画館で観ることが重要だと考えています。そこで私がイメージするのは、映画館に集まった人たちが一緒に笑っている光景です。同じ映画を観て一緒に笑うこと。これこそが幸せな体験だと思うのです。

日本の観客の方たちは、映画を観ている時にリアクションが大きくないと聞きました。“笑い”というものは周囲に伝わるものですし、大きな声で笑っている人がいると、自分も思い切り笑うことができます。ですから、日本のみなさんにも映画館で一緒に笑っていただけるとうれしいです」

監督が語る通り、『別れる決心』は思わず笑ってしまう場面がたくさん登場する。しかし、そのシーンでさえも多面的で、そこにはシリアスな状況や矛盾、愛のドラマが潜んでいるのだ。その空間は“迷宮”と呼ぶにふさわしい。美しくも残酷なラストシーンが提示するのは、迷宮の出口か? それとも?

「この世の中や人間の世界は不条理な条件の中にありますから、何が起こっても驚きではありません。“どんなことでも起こり得る”という認識の下で人々を見ると、非常に日常的なことでさえもサスペンス、ひいてはホラーも発生し得ると思います。黒沢清監督の『CURE』などの作品を観ていると、日常というものがホラーであるということがよくわかりますよね」

『別れる決心』
2月17日(金) TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
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パク・チャヌク監督