伊能忠敬が生きた江戸時代平均寿命は30~40歳。50歳で隠居後、伊能は17年かけて日本全国をくまなく歩き『大日本沿海輿地全図』完成の礎を築きます。老人医療に詳しい精神科医の和田秀樹氏が著書『70歳からの老けない生き方』(リベラル社)で解説します。

壮年期にたどり着いたピークの風景とは違う

■人生は右肩上がりが幸せ「人生のピークを先に延ばす」

そうは言っても、定年前のファーストステージに比べて気力、体力ほか、さまざまなパワーが低下している70代、80代にとっては難題と思われるかもしれません。

しかし、ここでいうピークとは、壮年時代と同じ次元でのより高い到達点を言うのではありません。つまり「部長止まりだったけれども今度は役員になる」「これまでの最高額を上回る年収を得る」といった単純比較でのピークを言っているのではありません。

もちろん、「ゴルフで30代に出した最高スコアを塗り替える」「50メートル走の自己ベストを更新する」ということでもありません。

「70代、80代の自分の現実、制約を踏まえた上で、自分が実現したいさまざまなトライによって、これまで自分が経験した以上の達成感を得る」

これが「人生のピークを先に延ばす」ことの本質です。

70代、80代を生きながら、いまは実現できてはいないが「実現したいと願うこと」に対して実現に向けて動き出すこと。そして、それを実現してこれまでになかった達成感を味わうこと。それが「ピークを先に延ばす」ことなのです。

それは、壮年期にたどり着いたピークの風景とはまったく違うでしょう。

たとえてみましょう。

「昔からやってみたかったボランティア活動にトライしたい」とあなたが考えたとします。実際に行動して、自分自身でも「よくやった」と感じ、それが社会に貢献したと認められ、そのためにトライしたつもりはないにせよ、それが評価されて感謝状をもらったとしましょう。

そこで味わう達成感は、現役時代に得たさまざまな達成感よりも劣ったものになるでしょうか。

そんなことはけっしてありません。やり遂げた達成感、感謝状を授与される喜びは、もしかすると、現役時代の達成感はもとより、上司の賛辞、昇進の恩恵の喜びを上回るものかもしれません。

壮年期に年収1000万円にはじめて到達したときの達成感よりも、働き続けて70代で350万円を得る達成感が小さいはずはありません。

ゴルフで、70代、あるいは80代で30年ぶりにハーフ49のスコアを出したときのほうが、壮年期に42を出したときよりも達成感は大きいのではないでしょうか。

また、ピークは単純な数字面での優劣の問題ではありません。数字的に優れようが劣ろうが、死ぬまで新鮮な達成感を味わえるようなトライをすることなのです。

「壮年期とは違った70代、80代のフェーズ(局面)で達成感のレベルを再現、もしくは更新する」

テーマは人によって多種多様でしょう。改めて別の表現をすれば「人生のピークを先に延ばす」とは、そういうことなのです。

なぜ日本人は伊能忠敬の生き方を学ぶべきか

伊能忠敬は「凄い高齢者」のお手本

「人生のピークを先に延ばした人」がいます。

それは伊能忠敬です。ちょっと説明します。

伊能忠敬は婿入りした伊能家の家業経営を成功させたほか、名主などを務めた後、50歳で隠居します。それからのセカンドステージが、“凄い”としか言いようがありません。

彼が生きた江戸時代の1700年代半ばから1800年代初めの平均寿命は30歳から40歳とされています。現代と異なり、乳幼児の死亡率がきわめて高かったため、単純な比較は無意味ですが、それにしても当時の50歳といえば、「高齢者」であることは間違いありません。

にもかかわらず、彼はかねてより関心を抱いていた暦学(天文学)を学ぶために、郷里の佐原(現在の千葉県)を出て江戸に居を移します。セカンドステージの始まりです。

江戸で当時の暦学の第一人者の高橋至時に師事し暦学を学びます。当時、高橋は伊能よりも19歳年下の31歳。ご存じの方も多いでしょうが、その後、伊能は17年かけて日本全国をくまなく歩き『大日本沿海輿地全図』完成の礎を築きます。

地図の実際の完成は弟子たちの手によるもので、伊能自身は完成図を目にすることなくこの世を去りますが、10回近く全国各地への測量の旅にトライし、素晴らしい成果を積み上げました。

生前の彼が、人生のファーストステージで味わうことのなかった達成感を得たであろうことは想像にかたくありません。

江戸時代終盤、日本を訪れた欧米諸国の要人たちが、その地図の当時としての正確さに驚愕したことは有名です。

話が長くなってしまいました。

歴史的に考えれば、伊能忠敬セカンドステージのピークは、彼のファーストステージのそれを大きく超えたものと言っていいでしょう。

また彼の健康寿命の長さも特筆すべきでしょう。享年74歳ですが、当時としてはきわめて長寿です。その要因として日本全国を歩き回ったことで、年齢の割には筋肉量を維持していたことも挙げられるのではないでしょうか。

いずれにせよ、誰でも伊能忠敬のような歴史的偉業を果たすことはできませんが、70代、80代の生き方を考える上で、一つのお手本として覚えておいてもいいのではないでしょうか。

和田 秀樹 ルネクリニック東京院 院長

(※写真はイメージです/PIXTA)