韓国の鬼才パク・チャヌク監督の新作映画『別れる決心』が、17日に公開された。第69回カンヌ国際映画祭で芸術貢献賞を受賞した『お嬢さん』(2016)から約6年ぶりの新作となる本作は、礼儀正しく清廉な刑事チャン・ヘジュン(パク・ヘイル)と、ヘジュンが担当する殺人事件の容疑者ソン・ソレ(タン・ウェイ)が織りなすサスペンスロマンスだ。チャヌク監督の過去作と比べると、定評のある暴力的・性的描写が減り、テイストが異なるようにも感じられる本作。そのようなアプローチを取ったのはなぜなのか。チャヌク監督に話を聞いた。

【写真】触れていないのにドキドキさせる 『別れる決心』芸術センス光る場面カット

暴力的・性的描写を抑えた理由

 “復讐三部作”と呼ばれる『復讐者に憐れみを』(2002)、『オールド・ボーイ』(2003)、『親切なクムジャさん』(2005)などで知られるように、チャヌクは、巧みなストーリーテリングと、過激な暴力的・性的描写で魅せる監督として名をはせてきた。

 ところが、今回の『別れる決心』は、直接的な暴力的・性的描写を抑えながら、ヘジュンとソレの濃密で官能的な関係を映し出す。一見、方向転換したようにも見えるが、本作についてチャヌク監督は「今までもそうであったように、今回もまた新しい“愛の映画”を作りました」と話す。

 「本作が完成した後、『“愛の映画”を作りました』と言ったら、そこにいた皆さんが笑いました。でも、私は決して冗談で言ったわけではなく、『オールド・ボーイ』や、『渇き』(2009)、『リトル・ドラマー・ガール 愛を演じるスパイ』(2018)など、これまで作ってきた作品の大部分には、“いろんな形での愛情”が盛り込まれています」。

 「なぜ『愛の映画だ』と言ったら笑われるのか。それを数年前から考えてみたところ、私の作品は、暴力やエロティシズムなど肉体的な表現が強すぎて、観客は内面的な愛情やロマンスの部分を忘れてしまうのだろうという結論に至りました。だから今回の『別れる決心』は、肉体的な描写を抑えて作ってみたんです」。

 しかし、意図して過激な暴力的・性的描写を削いだにもかかわらず、ヘジュンとソレには、官能的なムードが漂っているのが、本作の不思議なところ。チャヌク監督は「『愛してる』や『I LOVE YOU』を発さないラブストーリーを作りたかった」そうで、話を聞くうちに、その絶妙なさじ加減が、さまざまな才能が重なり合って生まれたことがわかってきた。

“繊細さ”を生み出すプロセス

 ヘジュンとソレからは、独特なリズムと間が感じられる。肉体的な交わりがないのに、しっとりとした湿度をまとった、二人ならではの距離感が生まれているのだ。この表現は、本作のみならず、『渇き』、『お嬢さん』などでチャヌク監督と共同で脚本を執筆してきたチョン・ソギョンとの話し合いの中で作り上げられていったという。

 「露出や情事、暴力的なシーンをできるだけ排除し、繊細で優雅で深みがあり、少し隠し事があるような感覚の映画にしたいと思いました。そのためにも、刺激的な表現は避けたのですが、繊細さなどを観客に感じてもらえないと意味がないので、俳優の目の動きや揺らぎ、小さな表情、そして編集や撮影などの映画的な技法で補いながら表現する方法を試みました」。

 そして、ヘジュンを演じるパク・ヘイル、ソレを演じるタン・ウェイには、脚本が未完成の段階で、作品の方向性が伝えられた。チャヌク監督は「脚本が全部出来上がった後に、俳優に見せて、出演の承諾をもらうということをしたくなかった」そうで、二人には、口頭で本作がどんな映画になるのかを、長い時間をかけて説明したという。それが功を奏し、映画は構想通りに完成。役者もスタッフも同じ方向を見た映画づくりが行われていたようだが、そんな中で、チャヌク監督がヘイルの演技を見て、「情けないやつだ」と勘違いしてしまった出来事もあった。

 「死体安置室でヘジュンとソレが初めて会うシーンでは、ヘジュンをかなりのクロースアップで撮りました。ヘジュンが、ソレをじっと見つめた後、『暗証コードを教えてください』という場面です。もともとヘイルには、長めにウェイを見てからセリフを言ってほしいと伝えていたのですが、いざ撮影が始まると、ヘイルはじっと彼女を見つめたまま…。『きっとセリフを忘れたんだ。長くもないのに、こんなのを忘れたのか情けないやつだな』って内心思っていたら、その間は彼なりに計算した上での表現でした」。

 一方、ソレを演じるタン・ウェイの役作りもすごい。ウェイは、中国・浙江省出身で、香港の市民権を獲得している女優。驚くことに、韓国語が全くできないところから、ソレという役に向き合った。

2人がかりで韓国語を指導

 チャヌク監督によると、俳優が外国語で演技をする時、まず音としてセリフを覚え、それを発して演技をするという方法をとるという。しかし、ウェイは、そのやり方では納得せず、文法を一から学んで、単語そのものの意味まで知りたいと考えた。さらに、自分のセリフだけではなく、相手のセリフもちゃんと理解してから、演技に挑むタイプだったそうで、チャヌク監督は「ある意味、愚直すぎる」と少し笑いながら彼女の役作りを話す。

 「私は彼女に2人の先生をつけました。1人は文法を指導する先生、そしてもう1人は演技ができる韓国語の先生です。演じながらどう言葉を発すればいいのかを、理解できるようにするためでした。さらに、演劇俳優である女性に、私が演技指導した上で、ソレのセリフを録音してもらい、ウェイさんに渡しました。あと、どうして必要なのかわからなかったんですけど、僕の声でも欲しいと言われ、男ではあるんですけど、ウェイさんが言うべきセリフを録音して渡しました。ヘジュンのものも必要だということで、ヘイルの音声も渡しています。ウェイさんは、それらをずっと聞きながら練習していました。きっと嫌になってしまうほど時間もかかるし、大変な作業だったと思いますが、彼女はやり遂げてくれたのです」。

 ソレを作り上げるためにこれだけの労力をかけたほか、企画、事前打ち合わせ、撮影現場、どの段階でも真摯(しんし)に作品と向き合うチャヌク監督からは、骨が折れるようなプロセスが透けて見える。その一方で、チャヌク監督は、映画業界における労働環境の改善に取り組んできた監督でもあり、前作『お嬢さん』の段階で、1日12時間、週52時間労働を厳守し、女性同士のベッドシーンは女性のスタッフで固めるなど、撮影に関わる人たちを守る環境づくりを行ってきた。あれから6年以上たった今、現在の韓国映画業界の労働環境は過去より改善されているとチャヌク監督は語る。

 「韓国では、『お嬢さん』の時のような働き方が完全に定着して、週52時間労働を守らなければならないようになりました。一昔前の『渇き』の時は、徹夜作業が多かったので苦労して帰っていましたし、他の作品も同じような環境で作っていました。今はもう時代が変わり、ルールを厳守しなければいけないので、昔に比べると、同じ分量でも撮影回数は増えていますが、望ましい方に変わっているなと思います」。

 作品を支える人々の働く環境を守り続けた上で、美的感覚が光るショットや、甘美で危険な香りすらする役者の演技を引き出すチャヌク監督。そんな彼は、今後について「仮に『オールド・ボーイ』のような作品を撮ったとしても、『パク・チャヌクが愛の映画を作ったんだな』って言ってもらえるようにしたい。今は、それを楽しみにしています」と話す。過激描写ももちろん目を見張るが、このような映画づくりの姿勢を見ると、やはり彼は“愛の人”だということを再確認させられる。(取材・文・写真:阿部桜子)

 映画『別れる決心』は全国公開中。

パク・チャヌク監督  クランクイン!