(福島 香織:ジャーナリスト)

JBpressですべての写真や図表を見る

 中国・武漢で起きた退職工員たちによるデモがただごとではないと話題になっている。シュプレヒコールの中で「反動政府を打倒せよ」という言葉が叫ばれていたからだ。

 昨年(2022年)11月に南京の大学から始まった、若者が白紙を掲げてゼロコロナ政策などに抵抗した「白紙革命」では、「共産党下台(共産党は退陣しろ)」「習近平下台(習近平は退陣しろ)」という叫びがあった。今度は退職した老人たちが立ち上がる「白髪革命」で政府打倒の呼びかけが起きたのだ。しかも場所は武漢という「革命の聖地」である。

 習近平は第3期目総書記の任期継続を決め、新型コロナに対する決定的勝利を先日宣言し、3月の全人代に万全の体制で臨もうとしている。しかし、この社会の動揺はその足元をすくいかねない状況だ。

政府打倒を叫ぶ白髪交じりの退職者たち

 武漢で「白髪革命デモ」が起きたのは2月8日、そして15日。デモの目的は、中国で目下全国的に進められている医療保険改革を撤回させることだ。

 最初のデモは2月8日、国有企業である武漢鉄鋼の退職工員を中心とした元工場労働者たちによって行われた。彼らは市政府前に集まって、医療保険新政策(医保新政)反対のスローガンを掲げてデモを行った。その数はゆうに1万人を超えており、国内外の耳目を集めた。

 デモ参加者によれば、2月1日から始まった医保新政により、武漢市だけで200万人近くいる退職工が悪影響を受けているという。政府がこの政策を撤回するなりして問題を解決しなければ、15日にさらに大規模な抗議を起こす、と訴えた。8日は雨で、政府市庁舎前の広場には、退職工らが市庁舎の出入り口をふさぐように詰めかけていた。敷地内は警察が厳戒警備を敷き、緊張感が漂った。

 武漢政府は結局、手荒なことはほとんどせず「改革を一時的に緩和する」と譲歩の姿勢をみせ、その日の朝から始まったデモも夜には解散となった。だが、改革撤回を宣言をしなかったため、2月15日に再び武漢でデモが起きた。

 15日のデモは武漢市の中山公園が集合場所で、そこから市政府に向かった。そのルートは辛亥革命の始まりとなる武昌蜂起と同じだった。

 参加者は一時、数十万人に膨らんだという情報もある。高所からの映像がネットに上がっていたが、公園から市政府までの道が群衆であふれていた。参加者の多くが白髪交じりで、国内外でこのデモを「白髪革命」と呼ぶようになっていた。

 2月15日にこのデモが起きるとわかっていた当局は朝から地下鉄を封鎖し、退職者が暮らすコミュニティの門を封鎖した。だがそれでもこれだけの人が集まったということが国内外で衝撃を与えた。大勢のデモ参加者が警察に連行されたが、当局はその様子がメディアやSNSを通じて広がらないように幕で隠したりしていた。辛亥革命の始まりの土地で、デモの鎮圧には相当気を使ったようだ。

 このデモでやはり注目すべきは、警察と対峙した群衆から「反動政府を打倒せよ!」というシュプレヒコールが起きたことだ。途中、警官隊と小競り合いになり、デモ隊の老人が突き飛ばされたときに、「反動政府を打倒せよ!」という叫びが一斉にあがった。

 この武漢デモに呼応するように、同日、大連でも数千人の退職者デモが起きていた。大連のデモ鎮圧は注目されていなかった分、過激だった。参加者たちはスマートフォンを掲げながら革命歌の「インターナショナル」を歌い、それを警官隊が催涙スプレーなどを吹きかけて追い払っている様子がネット上の動画で拡散された。

社会保険制度は崩壊の危機

 実は2月初めから上海、広州、鞍鋼などの都市でも同様のデモが起きている。上海と広州では、デモを受けて地元政府が医療保険新政策の棚上げを約束したという。

 中国の医療保険は1998年から国有企業を中心に導入された。その仕組みはシンガポールの医療保険制度を参考にしているという。具体的には、医療保険料は月々の工員の賃金と工場側からそれぞれ徴収され、「個人口座」と「共通口座」に分けて積み立てられる。個人口座は、少額の外来診療や医薬品の購入などに比較的柔軟に使える。一方、共通口座の資金は社会保険基金の一部を構成し、保険加盟者が病院で入院、手術などの高額治療を受ける際の補助金となる。

 英BBCがその仕組みをわかりやすく説明している。たとえば月収1万元の従業員の場合、月収の2%にあたる200元の保険料を給与から天引きの形で納め、工場側が8%の800元を保険料として納める。保険会社(地方政府)は、あわせて1000元の保険料を受け取ることになる。そして、個人が納めた200元と、工場が納めた800元のうち380元を合わせた580元を個人口座に積み立てる。800元のうち残りの420元は共通口座に積み立てる。ちなみに、地方ごとにこの保険料の比率は異なる。

 個人口座の積み立ては目的が指定された強制貯金みたいなもので、共済機能はない。共済機能があるのは社会保険基金に組み込まれる共通口座のほうだ。

 武漢当局の話だと、全市の医療保険資金の6割が、若者や健康な人たちの個人口座に使われないまま貯められているという。現役の労働者はそんなに医療費を使わない。また、彼らは個人口座に振り込まれた医療保険積立金を貯蓄だとみなしており、病気になってもそれを使わないのだ。

 さらに、彼らはもしも「入院しても入院しなくてもどちらでもいい」という状況になった場合、共通口座から医療費を賄って入院しようとする。このため武漢の入院率は長年20%を超えており、共済に使われる社会保険基金の資金不足が深刻になっていた。

 2020年、中国で、労働者向け社会保険基金に余剰があるのはわずか6省だけ。事実上、中国の社会保険制度は崩壊の危機に直面していた。

 さらに病気にほとんどならない若い労働者が積み立ててきた大量の個人口座資金を一部企業が密かに米や小麦、油など非医療物資の購入に充てるなどの汚職が発覚する事件もあった。

 こうしたことから、中国政府は2021年に「全職工の基本医療保険外来共済保障メカニズムを健全にするための指導意見」を発布し、個人口座をなくし、共済保障に利する形で制度改革を行うようにと通達した。これを受けて、各省が今年に入って医療保険新政策を打ち出したのだった。武漢は、まさに段階的に個人口座に振り込む資金を減らしているところだった。

 武漢の改革では、個人口座への振り込みを減らす代わりに、本来個人口座から負担する外来診療費の50%を共済口座から還付するとした。たとえば現在働いていて月収1万元の人は、個人口座に医薬品購入補助金として毎月200元振り込まれる。企業が払う800元はすべて共済用の共通口座に入るが、外来診療のときの費用の50%はそこから還付される、というわけだ。

高齢者も若者も溜め込んでいる政府への不満と不信

 ここで納得いかないのが、武漢の退職労働者、退職工たちだ。

 退職工は、すでに払い終わった社会保険料から毎月260元あまりが個人口座に医療補助金として振り込まれていた。だが改革後は、これが80元ほどに減らされるという。

 ただ、病院での診療費補填率は60%に引き上げられる。当局側は、実際は退職工に向けられる医療費は現役労働者の4倍になり、退職工の方が得をするのだ、と説明する。だが、目に見える個人口座への振り込み金額が減ることで、退職工は政府に納めた医療保険費を政府に奪われた、と感じてしまうのだ。

 ちなみに診療補填を受ける場合、「指定の大病院に限る」「初診料を除く」といったいくつもの条件があり、実際は全体的に医療費は高くつくようになると多くの人たちは感じている。

 個人口座の積み立て資金で購入できる医薬品についても、安くて効果的なジェネリック薬を対象外にするなど、改悪されたという見方もある。ほかにも葬儀補填費として7万元支給されていたが、3万元に減額されている。

 建前は“医療保険制度の最適化”だが、実際はコロナ禍の3年間で多くの地方政府の財政がひっ迫し、社会保険基金が底をついてしまったため、老人向けの医療費削減策に迫られた、ということだろう。

 中国の一般市民は、中国の高齢社会化に伴って老人向けの社会保障制度がおそらく今後削減されていくことを予感しており、今回の医保新政に対する反応も激しいものになったといえる。

 日本では、高齢者の社会保障費用が若者の負担になっているとして、若い世代側から「高齢者の集団自決論」まで唱えられている。中国でそうした「高齢者 vs.若者」の分断の形にならないのは、若者だけではなく高齢者も政府に対する長年の不満と不信を溜め込んでいるからだろう。

 また、国家・地方公務員を含めて政府側の人間はもともと医療費を全額公費で賄われており、「政治家・官吏 vs.民衆」の分断の方が大きいという背景もある。問題は政府とその姿勢にあり、「我々は老いも若きも『剥奪される側』だ」という認識で共通しているのだ。

 なので、武漢の白髪革命では「団結こそパワー」というスローガンが掲げられ、退職した高齢者だけでなく現役労働者にも若者にも共感が広がっている。むしろ、若者の抗議運動「白紙革命」と高齢者「白髪革命」がリンクする可能性を指摘する人が多い。

革命もコロナも武漢から始まった

 この「白髪革命」の成り行きにチャイナウォッチャーたちがとりわけ注目しているのは、場所が「武漢」ということもある。

 武漢は辛亥革命が始まった武昌蜂起の起きた土地。そして2020年に最初に新型コロナの洗礼を浴び、その後も激しい感染と長いロックダウンを経験した。多くの死者を出し、その多くは高齢者だった。今回のデモ参加者はその厳しいコロナ禍を生き抜いた老人たちでもある。

 そして彼らの年代は、文革を経験し、その前の大躍進後に起きた3年大飢饉も生き残った人たち。つまり、中国人の中で最も中国共産党の政治に振り回されながらも、それに耐えて生き抜いてきた世代だ。そういう世代が、ついに立ち上がったというインパクトは大きい。彼らが我慢できないことに他の誰が耐えられようか。

 しかも、武漢は長江沿い五大都市、つまり上海、南京、武漢、重慶、成都の中心にある交通の要衝であり、武漢で起きたことは中国全土に広がりやすい。革命もコロナも武漢から始まり中国全土に広がった。

 中国は古来「易姓革命」の思想が根強い。徳を失った君主は天に見放される。自然災害が起き、民衆が蜂起し、王朝は交代させられる。習近平はすでに徳を失っている。民衆の敵意を腐敗官僚に向けさせようとしたり、巨大民営企業家に向けさせようとしたり、あるいは米国や西側先進国に向けさせようといろいろ画策しているが、結局、人民と正面から向き合わざるを得ないのではないか。禅譲か放伐か。民衆がそれを迫る日が意外に近いかもしれないと、この「白髪革命」を見て思う人もいるのである。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  金正恩が愛娘・主愛を猛プッシュし始めた背景に「3人の女の確執」

[関連記事]

中国人女性が「買った」沖縄の無人島、中国のネットユーザーは「中国のもの」

失踪し「自殺」遺体で見つかった進学校の少年、中国社会で噂される不穏な死因

中国・武漢を流れる揚子江(資料写真、2022年12月31日、写真:ロイター/アフロ)