かつて江東区江戸川区に小さな私鉄が走っていました。その名を城東電気軌道といいますが、現在ではほとんど知られていません。いったいどのように生まれ、人々の生活の足となったのでしょうか。

「都電」ではない「東京の路面電車」

かつて江東区江戸川区に小さな私鉄が走っていました。その名を城東電気軌道といいますが、現在ではほとんど知られていません。筆者(枝久保達也)は5年前から城東電車の歴史を調べ、創立の経緯や計画、路線の変遷など解き明かしてきました。そんな観点から城東電車の歴史を振り返ってみたいと思います。

城東電車は1917(大正6)年12月30日錦糸町~小松川間で開業し、次いで砂町支線、江戸川線、洲崎線を開業しました。1930年後半の交通再編期に他社と合併した後、1942(昭和17)年に東京市電(後の都電)へ吸収され、路面電車ネットワークに組み込まれました。

戦後、錦糸堀~西荒川間は小松川線(25・29・38系統)、水神森~洲崎間(29・38系統)は砂町線、東荒川~今井橋間(26系統)は一之江線となりました。一之江線は1952(昭和27)年にトロリーバスへ転換し、一足早く廃止。小松川線 水神森~西荒川間は1968(昭和43)年に廃止されましたが、残る区間は荒川線(三ノ輪橋~早稲田)以外の全区間が一斉に廃止された都電最後の日、1972(昭和47)年11月12日まで生き延びました。

同じく都心郊外を走る私鉄「王子電気軌道」にルーツを持つ荒川線は、現在でも唯一存続する都電です。これは道路とは別に線路が敷かれる「専用軌道」が多く、道路交通に影響を受けにくかったことが理由として挙げられます。しかし、城東電車だった区間もまた、都電らしからぬ専用軌道区間を有していました。

地下鉄開業前にあった江東・江戸川の「鉄道王国」

もともと城東電車が走っていた城東区(現在の江東区の東半分)と江戸川区は、1932(昭和7)年に東京市に編入されるまで南葛飾郡に所属する郊外でした。都心に近いにもかかわらず、市電として整備されることもなかったのです。

そこで沿線自治体の有力者が中心となり、錦糸町から小松川を経て今井を結ぶ電気鉄道を建設するために設立されました。しかし資金不足にくわえ、東西地域を分断する新たな人工河川「荒川放水路」(現在の荒川)の建設計画などの影響で難航します。

結局、渋沢栄一系の経営者が参加することで、錦糸町~亀戸~小松川間に区間を縮小して開業しました。これは当時、城東地区に渋沢系の工場が多かったことも関係していると考えられます。

新経営陣は、人口の少ない江戸川地区への延伸は、莫大な費用を要する荒川放水路への架橋に見合った成果が得られないと考え、近郊工場地帯として発展著しい大島、砂町に活路を見出します。

1921(大正10)年1月に水神森から小名木川(小名木川を跨ぐ新開橋付近)まで砂町支線を開業し、1924(大正13)年に仙氣稲荷(現在の南砂三丁目交差点付近)まで延伸。1927(昭和2)年に現在の南砂緑道公園を辿り、東陽公園前(現在の東西線東陽町駅付近)まで開業すると、その後は徐々に線路を延ばしていき、1930(昭和5)年に市電の洲崎停留場(現在の東陽三丁目交差点付近)に接続し、錦糸町と並ぶもうひとつのターミナルとしました。

当時、東京市の意向で国有鉄道と市電以外の都心乗り入れは一部を除いて認められておらず、押上駅を発着した京成押上線をはじめ、現在の大手私鉄もほとんどが市の境界近くから各方面に延長する形で開業しています。城東電車もそうした私鉄のひとつでした。

街に眠る「城東電気軌道」の記憶

都電時代の姿を知っている人にとっては、緑道に転用された区間以外はいずれも道路を自動車と共有する「併用軌道」だったと思いがちです。しかし実は、さらに昔の開業時点では、ほとんどの区間が専用軌道で建設されていました。

これは当時、城東地区には併用軌道を設置できるだけの幅員を持った道路がなかったためです。関東大震災後、周辺郡部に跨る復興事業が進むと、現在の京葉道路国道14号)や明治通りなど幅約22mの近代的な街路が整備され、1930年代にはその街路に飲み込まれる形で、順次併用軌道化されました。

都電廃止時に際しては、鉄道整備が遅れた江東区の南北交通を確保するため、砂町線を中心とする一部路線の存続論が浮上したこともありますが、結局、全面的なバス転換が決定。併用軌道跡は亀戸緑道公園、大島緑道公園、砂町緑道公園に転用されました。大規模団地や高層マンションを縫うように緩やかなカーブを描く緑道には、ここにレールが敷かれていた面影を残しています。

時代に翻弄されて消えていった城東電気軌道ですが、もしも大正期のうちに荒川放水路を越えて江戸川区、さらに千葉県方面に進出し、城東地区が専用軌道のままで改良していれば、東京東部のもうひとつの大手私鉄として生き残る道もあったのかもしれません。

江東区・江戸川区を走っていた城東電気軌道(画像:江戸川区)。