『ネット右翼になった父』著者の鈴木氏
ネット右翼になった父』著者の鈴木氏

今話題の新書『ネット右翼になった父』はコミュニケーション不全の親子の断絶を埋める方法を体当たりで模索した一冊だ。いつか、父親はいなくなる。だから、もっと良い関係を築きたい。そんな息子のための考え方や行動指針について著者の鈴木大介(ずずき・だいすけ)氏がじっくりと語ってくれた!

【写真】調整にかなりの時間がかかった鈴木氏の原稿

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ルポライターの「僕」は父が末期がんの診断を受けたのを機に毎月帰省し両親と顔を合わせるようになるが、父の変化にがくぜんとする。

書斎に置かれた「右傾雑誌」、そして口から飛び出す「火病(ファビョ)る」「マスゴミ」「パヨク」「ナマポ(※)といった差別的なネットスラング......。間違いない。父は「ネット右翼」になってしまったのだ。

(※)生活保護制度やその受給者を揶揄したネットスラング

社会的な困窮者に寄り添う文筆活動を続けてきた「僕」は父のこの変貌に耐えられず、心を閉ざしたまま看取(みと)ることになった。だが――これでよかったのだろうか? 父の最晩年に対話をシャットアウトしてしまった「僕」は後悔にさいなまれ、亡父の実像を追って取材を始める。

これが『ネット右翼になった父』(講談社現代新書)のあらすじだ。ネット右翼という言葉に目がいきがちだが、本書は父子間の葛藤という普遍的なテーマに真っ向から取り組んだ良著だ。

父親との間に大きな溝を感じて過ごしている人は、その溝を埋められるのか? それとも解消不可能な分断なのか? 鈴木氏に話を聞いた。

■父を変えた〝敵〟を探す前に

――鈴木さんはお父さまがいわゆるネット右翼になったと見なして以降、対話を拒絶しました。本書を読む限り、そのことを後悔されています。そうした「絶対に相いれない価値観」に気づいたとき、どのような態度で接するべきだったと思いますか?

鈴木大介(以下、鈴木 父はすでに死んでしまったので、その後にたどり着いた考えは結局、机上の空論でしかありません。「どうして生前にこうしていなかったんだろうな」という悔いも含めての話になりますが、そういう前提でお願いします。

父の没後に、僕がまず始めたのは〝敵探し〟でした。何が父をネット右翼に変えたのか、その犯人を見つけるのに躍起になっていた。しかし、これは父の本当の姿を理解するという目的に対しては遠回りだったと思っています。

大事なのは、自分は相手の言動の何に一番、拒否感応しているか、その感情の強さは妥当なものか、といった「自分側のバイアスを検証する」ことです。僕は父の言動から早い段階で「ネトウヨだ」と決めつけてしまったのですが......。

――確かに、本書を読んで正直「早急すぎないか?」と思いました。

鈴木 そうなんですよ。自分側のバイアスと言ったのはそういうことです。僕は、例えば父が「火病る」と口にした時点で「それを口にする人でネット右翼じゃないなんてことはありえない」と決めつけた。

その言葉を口にすることは、それで傷つく人たちへの加害性を容認することになるので、許せない、と。しかもそれが父親の口から出ると、機関銃で撃たれたようなショックを受けて冷静に考えられなくなっていました。

でも、今考えれば当然のことですが、スラングを口にしているからといって、その人のパーソナリティが丸々決まるわけではない。少なくとも、受け入れられない言葉を聞いたとしても、そこで対話をシャットアウトするのは悪手でした。

僕は父に月に何度か会う距離感でしたが、もし同居しているケースだったら、父親がそういう言葉を口にし始めた段階で、「それやめたほうがいいよ」と注意する機会があったでしょう。

――本書では結論として「分断の解消は可能」で「相手が生きているうちに解消した方がいい」と書かれていますね。

鈴木 はい。現代は「これ言ったらアウト」な基準がどんどん増えている時代だと思います。なおかつ、世の中の本当にきっぱり分断されてしまった層を見せられて「分断の時代だ」と印象づけられる。けれど、そういった像に振り回されて大切な人と分断してしまうのはくだらないことだと、自戒を込めて言いたいです。

鈴木大介氏は、「相手の等身大を見失うこと」がさまざまな分断の主因だと考える
鈴木大介氏は、「相手の等身大を見失うこと」がさまざまな分断の主因だと考える

■外郭を剥がして実像に向かう

――やはり「相手を知ろうとする努力」が大事なのかなと。お父さまの人物像を求めて、友人、親戚、お母さま、お姉さまに取材を重ねていった結果、知らなかった事実が次々と明らかになっていきますね。私たちは父親のことを知っているようで意外と知らないことだらけなのでは、と読んでいて身につまされました。

鈴木 その過程の内省でショッキングだったのは、僕自身が中学1、2年生の段階で父親に対し「僕の将来設計についてアドバイスを求めても無駄な人だ」と心の中で〝戦力外通告〟をしていたと思い出したことです。

自分の能力に激しい劣等感を抱いていた当時の僕に対し、父ははなから「これぐらいできて当たり前」という態度でいたので、悩みを相談しても無駄だと思ったのです。

思春期の脳でそう判断したまま今まで生きてきた、ということは、その間の父の人生や仕事や文化にまったく敬意を払ってこなかったに等しい。考えてみればずいぶん失礼な息子でした。

――鈴木さんのお姉さまはその間にもお父さまとの対話を試みていらっしゃったそうですね。

鈴木 姉は父のそばで生活していたから、モチベーションが違いました。父はシングルマザーである姉の前で「シングルマザーの自己責任論」を口にしたりしていたわけですから、彼女は自分と自分の娘を守るために、しっかり父と向き合う必要があったんです。

また、姉は「自分が子供を産んで、育てることによって父の中にある子供っぽさに早く気づけた」と言っていましたね。僕にはなかった父親像です。同様に、母には母なりの見方があった。

この本の最初の原稿は去年5月にはできていたのですが、そこから家族間でのチェックとすり合わせのために膨大なやりとりを重ねました。

例えば、母は姉がわが家を振り返ったときに「機能不全家族だった」という言葉を使うことに強く抵抗しましたが、一方で姉にとってのわが家は確かに家族として機能していなかった。

また一方で、僕にとっては母と息子の間だけでわが家は機能していた。そうした認識と事実確認を家族の中で丁寧に調整していくことが必要でした。

本書は原稿完成後、家族間での事実チェックとすり合わせが行なわれた。原稿に貼られた大量の付箋が端的に示すように、調整にはかなりの時間がかかったようだ(写真は鈴木大介氏提供)
本書は原稿完成後、家族間での事実チェックとすり合わせが行なわれた。原稿に貼られた大量の付箋が端的に示すように、調整にはかなりの時間がかかったようだ(写真は鈴木大介氏提供)

――取材を通じて「邂逅(かいこう)」(本書終章の表題)を果たしたお父さまは、どのような人物でしたか?

鈴木 ふたを開けてみると「誰だこれ?」っていうぐらい知らない父がいました。特に叔父(父親の弟)から聞いた、高校時代の父が孤立していたという話は、自分自身の姿を見るようでした。僕も学校にはなじめなかったので。

――生前に直接聞けていれば、とは望まれますか?

鈴木 そういうデリケートな話を本人から聞くのは難しかったと思います。僕は一度手紙で、どんな学生時代を送ったのか尋ねたことがありましたが、一方通行な感じの返事しかなくて、コミュニケーションは深まりませんでした。

でも、喜んで話してくれる話題もあったと思います。父が育った環境を叔父に聞くと、必然的に東京の、一地方の郷土史が語られるわけですよ。そういう話はめちゃくちゃ面白いし、父も話しやすかったと思います。自分の興味分野から、相手が持っている知見や歴史を聞くのはありだと思いますよ。

――今60、70代の父親たちは、息子には毅然(きぜん)と接するべきといった、どこか前時代的な「あるべき父親の姿」に縛られているところがありそうです。すると、やはり息子から歩み寄って、時には立ててやるのも有効なのではないでしょうか。

鈴木 そう思います。僕はなんでそれができなかったんだろうと悔いが残りますね。父のほうから歩み寄ってこられないのであれば、僕自身が父の持っている知識、経験、文化に好奇心を持つべきでした。それがあれば、ギクシャクした関係からの回復も可能だったと思います。

結局、父のネット右翼的な部分も前時代的な態度も、彼の実像を覆い隠す外郭に過ぎません。そういうものを全部ひっぺがすと、最後には父の素の人物が立ち現れてくる。

――本書ではそれを「可愛らしい人」と表現されています。

鈴木 はい。今では正直、父がネット右翼や差別主義者だったとしてもいいかなと思っています。人物として評価したら「けっこういいやつだ」というのが残るはずなので。

――ただ、話をひっくり返すようですが、そもそも対話なんてしないで過ごしていればいいや、という考え方もありますよね。面倒だし、父子はどこかギクシャクするものだと割り切って接するのも。

鈴木 ただ、父親と同じ家に住み、日々ストレスを感じている方は、やってみたほうがいいと思います。自分の側のバイアスを点検し、相手をひとりの人間として見て、それまで許せなかったことが「大したことでもないな」と思えるようになれば、ストレスの軽減や不安のマネジメントにつながるので。

その結果、たとえ対話が回復しなかったとしても一緒に過ごすのが楽になると思います。

いずれにしても、自分の父親とは生きているうちにたくさん対話を重ねたほうがいい。僕の父は日本全国の出張先でその土地のうまいものを食べうまい酒を飲んでいて、いい店を全部覚えていた。僕も旅先での食事が大好きだから、生きているうちにひたすら聞いておけばよかったです。

鈴木大介(ずずき・だいすけ 
1973年生まれ、千葉県出身。文筆家。振り込め詐欺組織の実態とプレイヤーたちを描いた『振り込め犯罪結社 200億円詐欺市場に生きる人々』(宝島社)や、若い女性や子供の貧困問題を追ったルポルタージュ『最貧困女子』(幻冬舎新書)などで知られるルポライターだったが、2015年に脳梗塞を発症。その後は高次脳機能障害の当事者としての自身を取材した闘病記『脳が壊れた』(新潮新書)などを執筆。2020年には『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院)で日本医学ジャーナリスト協会大賞を受賞 

■『ネット右翼になった父』講談社現代新書 
2019年7月、Webサイト『デイリー新潮』で発表され、大反響を呼んだ記事【亡き父は晩年なぜ「ネット右翼」になってしまったのか】。その著者が家族や父の親族、友人への取材、そして自身の内省を通して「亡き父は本当は何者だったのか」「父とどう向き合えばよかったのか」を問い直した痛切の書だ。私的なルポでありながら、歩み寄れない父子の間の氷を溶かすためのヒントが詰まった一冊

取材・文/前川仁之 撮影/高村瑞穂

『ネット右翼になった父』著者の鈴木氏