「当分の間、焼酎の値上げはありません」

JBpressですべての写真や図表を見る

 2023年2月27日、韓国の焼酎最大手、ハイト眞露はこのような声明を韓国メディアに出した。

「値上げする」という発表はよくあるが、「しばらく値上げしない」という声明は珍しい。それだけ注目を集めていたのだ。

定番の酒類焼酎は5000ウォン

 韓国の食堂で「定番」のお酒といえば、なんといっても韓国焼酎だ。

 2022年春に3年ぶりに値上がりしたが、360ミリリットル入りが1本3000~5000ウォン(1円=9.5ウォン)ほど。

 手軽に楽しめる種類として今も高い人気だ。

 メーカー側からは正式発表はなかったが、最近、「近く焼酎価格が上がる」という話があちこちに拡散していた。

 焼酎6000ウォン時代に突入か。こんな報道もあった。

 もちろんもっと高い店もあるが、多くの店は5000ウォン以下を維持して庶民のささやかな楽しみというイメージをかろうじて守っている。

「物価対策」を最重要課題に掲げる尹錫悦(ユン・ソギョル=1960年生)政権にとっても焼酎は見逃すことができない「重要品目」だったはずだ。

 原材料費、輸送費などの上昇で、他の食品、飲料の値上げが相次いだが、焼酎には踏みとどまってほしかったはずだ。

 お酒好きで知られる大統領にはとりわけ値上げの痛みが分かるはずだ。焼酎の価格は国会でも話題になった。

国税動員して実態調査

「焼酎の値段が1本6000ウォンになったら、庶民や会社員に心理的な圧迫になるとは思わないか?」

 2月22日、国会で野党議員が、秋慶鎬(チュ・ギョンホ=1960年生)副首相兼企画財政部長官にこう質問した。

 秋慶鎬副首相はすぐにこう応じた。

「私もそう思います」

 秋慶鎬副首相はこう答弁した後に素早く動いた。

 韓国メディアによると、物価対策の司令塔で秋慶鎬副首相が長官を務める企画財政部と、国税庁が、それぞれ焼酎や種類の価格動向の「実態調査」に乗り出した。

 詳細は不明だが、酒税を管轄して日頃から酒類メーカーとの関係が深い国税庁は、企業幹部を集めて「意見交換」の場を持ったという。

 企画財政部と国税庁が「実態調査」に乗り出す。韓国紙デスクはこう話す。

「市場動向の調査や把握は常日頃からやっていることだが、メディアが報じるような形でこのタイミングで国税庁まで動員して実行するというのは珍しい」

「企業に対しては、しばらく値上げは控えてほしいという強力なメッセージだったはずだ」

「実態調査」についての報道があった直後に、「当分の間、焼酎の値上げはない」という声明になった。

税金が上がったから値上げするのか?

 焼酎だけではない。2月22日の国会での野党議員とのやり取りで、秋慶鎬副首相は「ビール」についても踏み込んだ発言をしていた。

「税金がちょっと上がったからといって商品価格を引き上げなければならないのか。業界とこの点について話をしてみたい」

 韓国政府は、4月にビールに対する税金を1リットル当たり30.5ウォン引き上げることを決めている。

 これを機にビールメーカーは「価格改定」つまり値上げを検討していた。だが、副首相にこうまで言われて値上げができるか。

 ビールメーカーも2月27日、「酒税の引き上げはあるが、値上げは当面考えていない」という声明を出した。

「酒税の値上げはあるが」という部分に、苦渋の決断がうかがえる。

 ビールメーカーからすれば、原料費、輸送費に加えて税金まで上がる。それでも値上げはダメだとなれば悲鳴を上げたくなるだろう。

 さらに、ミネラルウォーターの大手メーカーも、「値上げしない」方針を明らかにした。

 つい1か月ほど前まで、韓国では、食品や飲料などの値上げが相次いでいたことを考えれば、様変わりだ。

非常対策会議と物価対策ドライブ

 いったい何が起きたのか?

2月15日の会議の前後から一気に物価対策にドライブがかかった」

 韓国紙デスクはこう話す。

 この日、尹錫悦大統領ソウル・龍山(ヨンサン)にある大統領室で開いた「非常経済民生対策会議」で経済閣僚や秘書官などを前に強い口調で物価対策を指示した。

「物価上昇による国民の苦痛を和らげるために公共料金の引き上げを最小化せよ」

 この2週間ほど前に発表になった1月の消費者物価上昇率は5.2%だった。3か月ぶりに反転してしまったのだ。

 この会議で、道路、鉄道、郵便など政府が管理する分野の料金引き上げ時期の先送りが決まった。

 さらに、電力、ガス料金などについては、引き上げ幅をできるだけ抑えるように指示した。

 会議を受けてソウル市は、4月にも予定していた地下鉄料金の値上げを下期(7~12月)以降に遅らせることを表明した。

 ソウル地下鉄(1~8号線)を運行するソウル交通公社は2年続けて1兆ウォン前後の営業損失を計上した。ソウル市長は、8年ぶりの値上げを繰り返し予告していた。

 保守系の与党「国民の力」所属の市長としては、大統領がここまで強い意志で「値上げの先送り」発言をしたからには従わざるを得ない。あっさり、方針転換となった。

 まさに大統領の「ツルの一言」だった。尹錫悦政権の「剛腕ぶり」はこれだけにとどまらない。

公取委の現場調査

 2月28日、朝刊各紙はいっせいに、公正取引委員会が大手銀行と通信会社に対する「現場調査」に着手したと報じた。

 調査対象となった銀行は、新韓、KB国民、ハナ、ウリィ、NH農協、IBK企業の6行だ。預金、貸出金利、手数料などの「談合」があったかどうかの調査だという。

 通信会社は、SKテレコム、KT、LGユープラスの3社。端末機に対する補助金や各種顧客支援サービスを提供する際に系列の販売店と独立系の販売店に差をつけて対応する不公正取引がなかったのかの調査だ。

 今の時期になぜ?という気がするが、この調査にも伏線があった。やはり2月15日の会議での大統領発言だった。

 尹錫悦大統領はこう切り出した。

「通信と金融分野は公共財としての性格が強い。寡占状態である許認可産業でもある」

 通信と金融会社は特別な地位にあるのだから法に触れないきちんとした経営をすべきだ。そういう意味もあるが、その次の発言で真意がはっきりと分かる。

「(通信と金融は)庶民家計に大きな影響を与える事業でもある。政府が制度改革に努力するとともに、業界も物価安定のために苦痛を分担してほしい」

「物価安定」という言葉が登場するのだ。つまりは、これも「物価高対策」の一環なのだ。

 銀行には手数料と貸出金利の引き下げ、通信会社には通信、端末機料金の引き下げを求める。そのための調査だというわけか。

「朝鮮日報」は、公取委の調査を「容疑を立証して処罰することより、貸し出し金利や通信費の引き下げを圧迫するため」と報じている。

政策の優先順位は経済、民生だ

 政府の経済政策に詳しい大学教授はこう見る。

大統領の頭の中にある政策の優先順位は何よりも経済、民生だ。なかでもいまは物価高対策を最も重視している」

 この教授は背景をこう説明する。

「2022年5月に消費者物価上昇率が5%台に乗って以来なかなか下がらない。そうこうしているうちに景気後退が鮮明になってきた」

「中央銀行(韓国銀行)は2022年以来利上げを続けてきたが景気後退に備えて2月には金利を凍結した。ならば政府が物価対策の先頭に立って強いリーダーシップを見せようということのようだ」

 物価ファイターである韓銀の金利政策が一服したのなら、政府が強い行動に出て補うというわけだ。

 それにしても国税庁や公取委まで動員しての物価対策には産業界でも驚きの声が上がっている。

小さな政府のはずが焼酎価格まで…

 大企業役員は「尹錫悦政権は、市場経済、小さな政府を基本哲学として発足した保守政権だ。焼酎価格まで介入するとは…」と話す。

 大統領室は一部で出てきた「官治経済批判」を「(金融や通信以外の)他の業種に介入を拡大する考えはない」と一蹴する。

 同時に、批判を浴びても尹錫悦政権としては強い経済政策を譲れない事情がある。

 2022年の大統領選挙で、尹錫悦大統領は前政権の不動産対策など「経済失政」を強く批判して当選した。

 2024年には政治決戦といわれる国会議員選挙があり、ここでは「経済」が最大の焦点になる可能性が高い。

 ロシアによるウクライナ侵攻など物価上昇には外部要因も多く、大統領や副首相の発言、政府機関による圧迫で解決するわけはないことは十分に分かってはいる。

 それでも、どんな手段を使ってでも、「経済政策」で実績を上げたいのだ。韓国デスクはこう話す。

「エネルギー代金、原材料費、人件費の上昇が収まる兆しがなく、この先も極めて難しい経済政策のかじ取りが続く」

 そうなれば、これからも何度も驚きの「剛腕」を見ることになる可能性も高い。その効果がいつまであるのかは分からないが。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  韓国の通信最大手KT、異例のCEO選び直し

[関連記事]

物価高が家計直撃の韓国で、高齢者優遇の議論再燃

まさか! 韓国の経済成長率が日本より低くなる?

原材料価格も税金も上がったのに焼酎は値上げできない?