「企業価値の向上」という言葉を耳にする頻度が増えてきた。経済価値だけでなく、ESGなどの社会価値も反映できることから、多くの企業がこの言葉を取り入れるようになっている。ここで重要になるのは、定量的な指標によって企業価値を表現することだ。その手法として注目されるのが「EV-KPIペンタゴンモデル」である。提唱者の大津広一氏にその効用について話を聞いた。(文/高橋秀典) 

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活動状況は社会価値も含めてすべてを会計指標に置き換える 

 「EV-KPIペンタゴンモデル」はペンタゴン=5つのカテゴリーからなる。「成長」「収益力」「キャッシュフロー」「投資収益率」「資本政策」である。それぞれのカテゴリーに対応したKPIによって各要素の状況を具体的に示すことで、企業が持つ企業価値や方向性をわかりやすく伝えることができる。 

 このモデルを考案したオオツインターナショナル代表の大津広一氏は、ビジネススクールでファイナンスに強いビジネスリーダーの育成にあたりながら、企業戦略や会計・財務のコンサルティングを行うとともに、上場企業の社外役員なども務める。同氏が多くの企業のKPIを研究する中で見出したのがEV-KPIペンタゴンモデルである。 

 「企業経営の目的は、企業価値を向上させ続けることであり、企業価値とは将来のフリーキャッシュフロー(FCF)を資本コストで割り引いた現在価値です。金融機関や株主から資金を調達し、それを原資に企業活動を行うことでFCFをしっかり生み出すことが求められています」と大津氏は語る。 

 企業価値の向上の源泉となるのは企業の持つ「経済価値」と「社会価値」だが、社会価値については漠然ととらえられがちだ。大津氏は「社会価値もESG指標などの定量化をすることが必要です。その上で、最終的にどう経済価値に結びついていくかを示していかなければなりません」と指摘する。 

 企業が持続的に成長するためには、FCFという分子を大きくする一方で、分母である資本コストを小さくして企業価値を向上させていく必要がある。企業経営の目的は企業価値の向上にあり、経営とは投資の意思決定と資金調達の意思決定に集約される。 

 「具体的な施策の提示がなく、ただやみくもに企業価値の向上というのは、経営として無責任です」と大津氏は指摘する。企業価値の向上のための活動状況はすべて会計指標に置き換えることが可能であり、その全体像を示すことがEV-KPIペンタゴンモデルの狙いだ。 

EV-KPIペンタゴンモデルで自社の戦略を明確化する 

 EV-KPIペンタゴンモデルでは、カテゴリーごとに適切な経営指標で活動状況を定量化する。「成長」を表現するには売上高成長率を使い、「収益力」には売上高営業利益率やEBITDAマージン、EPS成長、「キャッシュフロー」ではFCF、「投資収益率」ではROE、ROA、ROIC、EVAが使われ、「資本政策」にはDEレシオが使われる。 

「使われるKPIにダブりがないために、企業としての方向性をわかりやすく伝えることができます。重要なのはこの5つのカテゴリーのバランスをとることです」と大津氏。どのカテゴリーを打ち出すかは、戦略や業界、ビジネスモデルによって違ってくる。むしろこのバランスをどう表現するかによって、他社との違いを伝えることができる。 

 日立製作所の「統合報告書2022」では、「成長」、「収益力」「キャッシュフロー」「投資収益率」の4つのカテゴリーで、売上成長、Adjusted EBITA率、EPS成長、コアFCF、ROICといった業績目標を示しているが「資本政策」については触れていない。ただし、有価証券報告書には「借入により資金を調達する場合には、DEレシオ、有利子負債/EDBITDA倍率等の財務規律に照らし、適正な財政状態を維持する方針」と記載されている。 

 セブン&アイHOLDGSの新中期経営計画(2021年7月)では、連結KPIとしてEPS成長率、FCF水準、ROEとROICスプレッド、Debt/EBITDA倍率が取り上げられているが「成長」のKPIはない。「フランチャイズモデルであるため、売上高=ロイヤリティとなり、金額が少額になることから、連結売上高の成長率を示すことに対する意識が低いと見られます」と大津氏は分析する。 

 ニトリホールディングス決算説明会資料(2022年2月期)では、22項目にわたって主要経営効率の推移が示されている。総売上高増加率、総売上高総利益率、自己資本当期純利益率、総資本回転率などの“星取表”を公開しているが、「キャッシュフロー」について語っていないのは、積極的にM&Aや店舗開発、物流投資に取り組んでいるため、FCFは悪化するためとも見られる。 

企業価値向上に結びつく、ROICという経営指標 

 こうした経営指標の中で昨今注目されているのが、特定の事業にフォーカスした投資収益性の指標であるROICだ。算定式は「売上高営業利益率×投下資本回転率」であり、EV-KPIペンタゴンモデルでは4番目のカテゴリーである「投資収益率」を表す指標の1つだ。 

 大津氏は「ROICには企業価値を算定するためのすべてのコンポーネントが網羅されています。ROICを高めるための企業活動も、ハードルとなる資本コストを下げるための企業活動も、すべて企業価値の向上のための算定式に結びつきます」と解説する。 

 ROICが主な経営指標の1つに位置づけられるようになったのはここ6年程度のことだ。背景には政府の一連のコーポレートガバナンス改革がある。特に、2020年7月に発表された経済産業省の「事業再編実務指針〜事業ポートフォリオと組織の変革に向けて〜」の中で、事業再編のガイドラインとして示された「4象限フレームワーク」の影響が大きい。 

「資本収益性に関する指標としてROEとともにROICが推奨されました。ROICは単年度ベースで見る指標で短期指向になりがちですが、4象限フレームワークでは成長性という将来の指標と合わせて事業を評価することで、短期指向にならないように工夫されています。国が後押ししたことで、ROICを採用する企業が急増しています」(大津氏)。 

 神戸製鋼所の「統合報告書2022」では、企業価値向上の取り組みについて記載しているページに、ROICと加重平均資本コストWACCとの比較を重視する計算式を掲載し、成長率を算出するベースにROICを位置づけている。 

 多角的に事業を展開する日立製作所では、2024中期経営計画でセクターごとのROICと目標値を掲げている。「ROICを向上させる要素を分解し、具体的なアクションまで定義しているところが素晴らしい」と大津氏はその取り組みを評価する。 

ROICを定着させるにはトライ・アンド・エラーで自社独自の算定と施策を 

 全社的な投資収益性を評価する指標としてはROEがあるが、成長を牽引する源泉は個別の製品やサービスであり、ROICを併用することで事業ごとの投資効率を明らかにすることができる。ROICは、多角化を進める企業や幅広い分野の製品を提供する製造業で、事業構造を整理するために使われる傾向がある。 

 一方で、ROICには数多くの論点がある。「算出単位をどう定義するのか」「ROICの分母と分子をどう定義するのか」「どこまで開示するのか」「全社の共通費用や共有財産はどう取り扱うのか」などだ。 

 ROICは管理会計に基づいて算出される値であり、計算式はすべて企業が独自に設定しなくてはならない。経営指標としてROICを掲げるには、分母と分子の計算式を示し、ROICをブレークダウンした数値の動きと実現のための施策について、わかり易い説明が必要になる。 

「課題はありますが、悩んでいても前には進めません。トライ・アンド・エラーしながら何が適正かを見極めていくことをお勧めします」と大津氏。企業価値を向上させるためには、5つのカテゴリーを持つEV-KPIペンタゴンモデルで全体のバランスをとりながら、経営指標としてROICに取り組むことが求められている。 

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