日本においては、物価高にも関わらず賃金がほとんど上がりません。この状況が作り出された原因とは一体何なのでしょうか。本連載では、元IMF(国際通貨基金)エコノミスト東京都立大学経済経営学部教授の宮本弘曉氏が、著書『51のデータが明かす日本経済の構造 物価高・低賃金の根本原因』(PHP研究所)から日本経済の問題点について解説します。

こんなに給料が上がらない国は日本だけ

はじめに、日本の賃金が他の先進諸国と比較してどの程度なのかを確認しましょう。

[図表1]は2021年の年間平均賃金額をOECD(経済協力開発機構)諸国で比較したものです。

日本の賃金は4万848ドルで、OECD平均の5万2,436ドルよりも2割以上低くなっています。日本の順位は調査対象の34か国中24位となっています。

もっとも賃金が高い国はルクセンブルクの7万5,304ドルで、次いで、アメリカの7万4,737ドル、アイスランドの7万2,434ドルの順になっています。年間の平均賃金額が7万ドルを超えているのはこれら3か国だけです。

日本の賃金はアメリカの半分強でしかありません。主要7か国(G7)のなかでは、日本の賃金がもっとも低くなっています。また、日本の賃金は、2015年に韓国に追い越され、現在では、韓国よりも1割程度低くなっています。

このように現在、日本の賃金は他の先進諸国と比較すると低くなっていますが、昔はそんなことはありませんでした。後に詳しく説明しますが、日本の賃金は1997年ピークにその後、減少傾向にあります。

そこで、1997年の年間平均賃金額のデータを確認しておきましょう。

1997年における日本の賃金は3万8,395ドルで、OECD平均の3万9,391ドルとほぼ同じでした。順位は35か国中14位と、真ん中よりも若干上でした。アメリカの賃金は5万119ドルで、日本の賃金はその約77%の水準となっています。

2021年のアメリカの賃金に対する日本の賃金の割合は55%なので、この20年余りで大きく差が開いたことがわかります。また、当時の日本の賃金は、フランスの3万7,193ドルやイギリスの3万5,830ドルよりも高い値でした。

このようにかつての日本の賃金は他の先進諸国と比較して、決して低いものではありませんでしたが、今は状況が違っています。この25年間の賃金の動向をみると、先進諸外国では賃金が大きく増加したのに対して、日本の賃金はほぼ変わらない状況が続いています。

[図表2]は年間平均賃金の推移を、1997年の値を100として示したものです。

多少の変動はあるものの、日本ではこの25年間、賃金がほとんど変わっていないことがわかります。これに対して、アメリカやイギリスでは賃金は約1.4倍に、カナダフランスは約1.3倍に、ドイツも約1.2倍になっています。

ここからわかることは、賃金は上がらないものではなく、むしろ上がるものだということです。そして、日本だけが「一人負け」と言っても過言ではない状況にあるのです。

日本の賃金の動向

ここであらためて日本の賃金の動きを確認しておきましょう。

厚生労働省「毎月勤労統計調査」によると、2021年の給与額(現金給与総額)は月額31万9,461円、年額383.3万円となっています。

就業形態別にみると、一般労働者の月給は41万9,500円、パートタイム労働者の月給が9万9,532円となっており、両者の差は年間で約384万円にのぼります。

次に、賃金がこれまでどのように推移したのかをみましょう。

[図表3]には1997年の賃金を100としたときの、「現金給与総額(月給、名目)」の推移が示されています。

日本の賃金は1997年までは上昇し続け、その後は2000年代初頭のITバブル崩壊や2008年のリーマン・ショックなどがあり、2009年まで低下傾向にありました。ここ10年ほどは横ばい、あるいは若干上昇していますが、2021年の数字は89とピーク時よりも10%も低くなっています。

また、この数字は1990年代初頭のものとほぼ同じであり、日本の賃金は30年前とほぼ変わっていないことがわかります。

また、月給は労働時間によっても左右されます。そこで、月給を月の労働時間で割った「時給」についても、その動きを確認しておきましょう。

時給をみることは、正社員とパートやアルバイトといった非正社員の賃金を比較する際に特に重要です。というのも、正社員の多くは月給で賃金を受け取っており、基本給が労働時間や日数によって左右されないのに対して、非正社員の賃金は時給ベースで、労働時間に応じて支払われることが多いからです。

[図表3]の「時給(名目)」の動きから、時給でみても日本の賃金は1997年ピークを迎え、その後、しばらく低下傾向にあったことがわかります。

しかし、2012年を底に再び上昇し、2020年には1997年の水準まで回復しています。このように月給と時給では賃金の動向に若干の差がありますが、賃金が25年前から大きく上昇しなかったという点は共通しています。

さて、毎月勤労統計調査の現金給与総額は、大きく、定例給与と残業代を合わせた「毎月決まって支給する給与」とボーナスなどの「特別給与」の2つに分けられます。[図表4]は時給ベースの現金給与総額とその内訳の推移を示したものです。

毎月決まって支給する給与の動きは1990年代後半までは上昇、その後は長期にわたり停滞し、コロナ禍前の数年間は再び上昇傾向にありました。

それに対して、特別給与は1997年ピークに15年ほど減少し続けました。2012年以降、増加傾向にありますが、2021年の数字はピーク時よりも15%ほど低くなっています。

ここからわかる重要な視点として、現金給与総額が増えている局面では、その裏で、毎月決まって支給する給与が増えていることがあげられます。これは、賃金が上がるためには、毎月決まって支給する給与が持続的に上がる必要があることを意味しています。

実質賃金と賃金成長率

ところで、賃金をみる際には、「名目賃金」と「実質賃金」を区別することが重要です。名目賃金とは労働者が受け取る額面の賃金そのもののことです。

たとえば、毎月の給与が30万円であれば、名目賃金は30万円ということになります。これまでに紹介した日本の賃金はすべて名目賃金です。これに対して、実質賃金とは、名目賃金を物価水準で調整したものです。

実質賃金は、労働者が受け取る賃金で実際にどれだけのモノやサービスが購入できるかを表しています。

私たちの生活水準の変化をみる際には、名目賃金ではなく、実質賃金の動きをみることが重要です。例えば、昨年、毎月30万円の賃金をもらっていた人が、今年は毎月30万6,000円の賃金をもらうことになったとしましょう。この場合、名目賃金はこの1年間で2%増えたことになります。

では、この人の生活水準はその分、上がったと言えるでしょうか? 答えは物価の動向に依存します。もしこの1年間で、モノやサービスの価格が2%上昇していれば、この人の生活水準に変化はありません。

しかし、インフレ率が2%より高ければ、名目賃金は増えていても、生活水準は低下することになります。つまり、人々の暮らしが豊かになるかどうかは実質賃金がどのように変化するかにかかっています。

そこで、実質賃金の動きを確認しておきましょう。再び、[図表3]をみてください。

[図表3]の「時給」の項目には、名目賃金の推移に加え、実質賃金の推移も示されています。ここでは、時給の名目賃金を物価水準の指標である消費者物価指数で割ったものを掲載しています。

また、1997年の実質賃金を100として基準化した指数で表しています。

[図表3]からは、実質賃金と名目賃金の動きに大きな差はないことがわかります。実質賃金は1990年代後半まで上昇傾向にありましたが、1997年ピークに下落に転じています。ただし、その下落幅は名目賃金よりも若干ですが小さくなっています。

これはこの間、デフレで物価上昇率がマイナスだったためです。その後、実質賃金は2015年を底に再び上昇していますが、ピーク時の値までは回復していません。

また、ここまでは賃金の動向をレベル別に注目してみてきましたが、賃金の成長率についてもみてみましょう。[図表5]は時給の賃金成長率を名目と実質、ともに示したものです。

賃金成長率は1990年代初頭には高い値でしたが、その後、低下し続け、90年代後半にはマイナスとなりました。2000年代の平均成長率は名目賃金でマイナス0.5%、実質賃金でマイナス0.2%となっています。

アベノミクスが始まった2013年から新型コロナウイルスによるパンデミック前の2019年までの間では、賃金成長率の平均は名目で1.1%、実質で0.3%となっています。

宮本 弘曉

東京都立大学経済経営学部

教授

(※写真はイメージです/PIXTA)