現在、テレビ朝日系の報道番組「スーパーJチャンネル」のMC(火曜~金曜)、「サンデーステーション」のメインキャスターを務める同局の森川夕貴アナウンサー。大学の就職活動時まで「アナウンサーになれるなんて1ミリも思っていなかった」という森川アナだが、入社1年目の4月から「報道ステーション」のレギュラーに抜擢された。しかし「悔しくてオンエア終わりに毎晩泣いていました」と明かし、先輩アナウンサー陣が親身になって支えてくれたことを振り返る。また、報道番組のキャスターとして、これまでで特に印象に残った取材は何なのかを聞くと、豪雨被害の現場で取材した、ある男性とのエピソードを明かした。

【写真】柔らかな笑顔…森川夕貴アナの撮りおろしショット

就職活動までは「アナウンサーになれるなんて1ミリも思っていなかった」

――まずは、アナウンサーになろうと思ったきっかけから教えてください。

アナウンサーになろう・なれるとはそもそも思っていなかったのですが…大学生の時に地元の観光大使の活動の一環として「題名のない音楽会」(テレビ朝日系)に出演する機会がたまたまあって。当時、番組の司会を本間(智恵)さんが担当していたのですが、テレビ以外でアナウンサーの仕事を間近で見て、「こういう仕事もあるんだなぁ。楽しそうだなぁ。」と思ったのを覚えています。

――大学生になるまで、アナウンサーになりたいとは考えていなかったのでしょうか?

まったく考えていなかったです。アナウンサーになれるなんて1ミリも思っていなかったですし、教師か地元に就職をしようと考えていたので、テレビ局を受ける準備は全くしていませんでした。そんな中親友から「テレ朝のアナウンサー試験があるから一緒に受けよう」と誘われて、本間アナのことを思い出し、「せっかくなら、タダだし?受けてみたい」と思いまして(笑)。慌てて2日でエントリーシートを書き上げ、父に冷やかされながらも速達で送ってもらいました。父上ありがとう。速達の制度ありがとう(笑)。

この時、同時並行でいくつか地元だったり、別の業種の企業を受けていたんですけど、テレビ朝日の入社試験が一番楽しかったんですよね。面接官…今となっては上司ですが、良い人ばかりで、皆さん、真剣に向き合ってくれる。1次、2次、3次と選考を重ねるにつれ、「絶対にこの会社に入りたい」という気持ちが強くなっていきました。進めば進むほど落ちたらどうしようと、選考通過の連絡が来る前は毎回、食べ物をみるとオエッ…となるほど精神的にやられていたのを覚えています(笑)。

■「毎日落ち込んでいた」アナウンサー新人時代

――その後見事合格され、2016年からテレビ朝日で働き始めるわけですが、入社してみてどんなことが大変でしたか?

大学時代、人前やカメラ前で話すことをほとんどしてこなかったものですから、先輩アナウンサーの方々がいとも簡単にやっているように見える「自然に振る舞うこと」が全然できなくて…。ロボット状態。もう、まさに。「キョウノオテンキハ、ハレっ!」という感じ。私全然だめだ……。と毎日落ち込んでいました。

――入社して間もなくの頃は、不慣れなことも多かったかと思います。その中で「やらかした」と感じるエピソードなどはありますか?

いっぱいあります!特に思い出深いのが、アナウンサー研修の初日です。私、大学時代は地元の静岡から東京の大学へ通っていた期間が長かったので、東京の電車に慣れてなくて、初めて研修を受ける日の朝、テレ朝の最寄り駅とは違う方向の電車に乗ってしまって…羽田空港の方までいってしまい(泣)。入社初日から遅刻をし、先輩アナからこっぴどく叱られました (苦笑)。

■「報ステ」の先輩キャスター陣に助けれた過去「大好きでした」

――一方で、新人時代、先輩に助けられたというエピソードはありますか?

報ステ」を担当していた当初は、オンエア終わりに毎晩泣いていました。「なんでこんなにできないんだろう、なんてぽんこつなんだ」と、もう悔しくて悔しくて。たとえば緊張して「明日は晴れの予想です」を「明日は晴れの予定です」と言い間違えてしまったり…。そんな時はよく、富川(悠太)さんや寺川(俊平)さん、小川(彩佳)さんが「気持ち、わかるよ」と寄り添ってくれました。「報ステ」の反省会って、夜の12時くらいに終わるんです。翌日にお仕事が控えている中、深夜に後輩のために時間を割くのはなかなか大変なことだと思うのですが、皆さん、親身になって相談に乗ってくれました。

――「報ステ」キャスター陣は、良いチームワークだったんですね。

報ステチーム、大好きでした。それぞれの誕生日は必ずみんなでお祝いしたり、仕事でも支えあう。あぁ懐かしい…。やはりチーム力がありましたし、みんなでああでもないこうでもないと話しながら真摯に番組作りに向き合っていました。

――その「報ステ」などで様々な取材を経験されている森川さんですが、これまでのキャリアにおいて、特に印象深い取材のエピソードなどあれば、聞かせてほしいです。

四国が豪雨被害に見舞われた時に、愛媛県西予市へ取材に行ったのですが、そこでの出会いが特に印象に残っています。西予市では野村ダムの決壊によって何人もの方が亡くなりました。家も流され、泣きながら立っている方々を目の当たりにして、大変な時に部外者の私なんかが取材していいのかという葛藤や、被災地にずかずかはいる報道番組ってなによ?という怒りや迷いがすごくありました。

でも会社にお金を出してもらって取材にきている立場。なんとかこの現状を取材しなければと声をかけた年配の男性がいて。その方の家も倒壊し大変な状況だったのですが、話を聞くうちに、「ダムの決壊はどこかに責任があること。責任の所在を明らかにした上でメディアを通して伝えてほしい」と訴えてくださって。この方のために私は伝えたいんだ。報道したいんだと思った瞬間でした。その後、継続取材で、再び現地にいったのですが、その方は私のことを覚えてくれていて「1年前の取材があったから裁判が動き始めている」と教えてくれたんです。この時に「真の報道ってこういうことなのか、この仕事をしていて本当によかった」と初めて心から思えました。

■生放送前の心がけ「ギャーギャーうるさい人だと思います(笑)」

――現在は「スーパーJチャンネル」でメインキャスターを務めていますが、生放送で心がけていることはありますか?

自分が情報をしっかり把握していないと視聴者の方に伝わらないと思っています。なので、資料を読み漁り自分の納得いくまで、しつこいぐらいに「これってこの言い方でいいんですか?」「これって合ってます?」と周りに確認するようにしています。生放送前にギャーギャーうるさい人だと思います(笑)。

――では、多忙な日々の中、プライベートではどんな息抜きをされていますか?

料理がすごく好きで、料理教室に通ったりしています。作って食べてばかりだと太るので運動も。もともと運動は50メートル走11秒ぐらいで大嫌いなんですけど、ランニングを始めました。でも、ほかのランナーの人にどんどん抜かされるんです。抜かされながらも「いつかあのおじいちゃんに追いつくぞ!」という意気込みで走っていますね(笑)。あとは買い物ですかね。自転車で色んなスーパーを回ったり、業務用の大型スーパーへ行って「いかに安いものを見つけるか」ということが大好きなんです(笑)。

――最後に今後の目標を教えてください。

今の報道畑でこのまま歩んでいきたいですし、これからも報道で生きていきたいです。また、個人的には“多様性”にすごく興味があって。当たり前のようにある昔からの制度や考え方をちょっと違う視点で考えてみたり、色々なバックグランドをもった人たちが、多様に生きていく社会づくりに関心があるので、そのあたりに携われたらなと思っています。

文=こじへい

森川夕貴/撮影:宮川朋久