エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の強烈な登場人物たちの中で、ひとりだけ首尾一貫変貌を遂げないキャラクターが、キー・ホイ・クァンが演じたウェイモンド・ワンである。ロサンゼルス近郊でランドリーサービスを営むワン家、ウェイモンドとエヴリン(ミシェル・ヨー)は若いころに故郷の中国を離れ、成功を夢見て新天地アメリカにやってきた。小さいながらも地元民に重宝されるランドリー店を営み、Z世代の娘ジョイ(ステファニー・スー)と、頑固者のゴンゴン(ジェームズ・ホン、ゴンゴンは中国語で義理の父)と暮らす“人生”を、ウェイモンドは、優しさで支え続けている。日本公開直前、映画賞で多忙のなか、キー・ホイ・クァンがオンラインインタビューに応じてくれた。

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■「長い間、子ども時代の栄光を超えることができませんでした」

劇中でもカンフーを操る身体能力と変幻自在で憎めない姿が注目を集めたが、キー・ホイ・クァンが歩んできた歴史が紐解かれると、ハリウッドはこの“カムバック劇”に夢中になった。1971年ベトナム系中国人一家に生まれ、1979年にアメリカに移住。一家離散状態でベトナムを離れ難民キャンプに入った経験を、ポッドキャストで涙ながらに語っている。渡米後に通学する小学校で行われた『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(84)の子役オーディションで抜擢され、その後『グーニーズ』(85)に出演する人気子役となった。ちなみに『グーニーズ』の共演者の一人、ジェフコーエン(チャンク役)はのちにエンターテイメント弁護士となり、キー・ホイ・クァンの今作における出演交渉契約を担当している。

今年1月、映画賞レース序盤に行われた第80回ゴールデン・グローブ賞映画部門助演男優賞を受賞した際のスピーチで、会場にいるスティーヴン・スピルバーグ監督に対し、「私はルーツを忘れるなと育てられました。最初のチャンスをくれた人への恩を忘れてはいけない、と。スティーヴン、どうもありがとう!」と謝辞を贈っている。彼の映画出演は移民一家の運命を変え、収入を得たキー・ホイ・クァンは、13歳にして住宅ローンを背負うことになった。だが、ハリウッドにおける人種の壁は厚く、その後は苦汁をなめる状況が続き、南カリフォルニア大学で映画を学んだ後は制作の裏方で働くようになる。

「この仕事を始めた時、私は12歳でした。1980年代当時、アジア系は非常に疎外された存在で、ステレオタイプなキャスティングばかりでした。実際、スティーヴン(・スピルバーグ)とジョージ(・ルーカス)は、ハリウッドの大作映画にアジア系俳優を配した最初の映画監督でした。スティーヴンは1回だけでなく、2回も起用してくれたのです。それでも、もちろん、歳を重ねるにつれてアジア人の見た目でハリウッド俳優になるのはとても難しいことだと気づきました。でも時代が変わり、いまの風景はまったく異なるものになりました。この変化に貢献してくれたすべての人々に、本当に感謝しています」。

時代の変化を促したのは、2018年の『クレイジー・リッチ!』。妻役を演じたミシェル・ヨーも出演している。「この数年での変化の成果を見れば、彼らがハリウッドに対しどれだけ懸命に働きかけたのかがわかるでしょう。もしも『クレイジー・リッチ!』が作られていなくて、状況が変わっていなかったら『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』もなかったし、私のカムバックもあり得なかった。でも、今なら楽観的に将来への希望を持つことができます」。

ゴールデン・グローブ賞の受賞スピーチでは、こう続けている。「『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』で抜擢され、とても幸運でした。歳をとるにつれて、あれは幸運だっただけだと思うようになりました。それから長い間、子ども時代の栄光を超えることができませんでした。その時の子どもを覚えていた二人の監督が30年後に私のもとを訪れ、再びチャンスをくれました。それから起きたことはすべて、信じ難いようなことばかりです」。ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートの二人組によるダニエルズに対し、「ダニエルズは本当に才能に恵まれた、天才コンビだと思います。もしも次作に誘われたら?彼らのためならなんでもしますよ!彼らが次にどんな映画を撮るのか、楽しみで仕方ないです。彼らは私に2度目のチャンスというすばらしい贈り物を与えてくれただけでなく、すばらしい撮影環境で、今後さらに上を目指すために努力しなくては、という気づきを与えてくれました」と、賞賛を惜しまない。

■「キャメロンから『自分の人生を楽しむことですよ』と言われました」

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の北米公開は2022年3月。それから1年あまりの日々はどんな旅路だったのだろうか。キー・ホイ・クァンは、「この作品を誇りに思う1年でした。実際のところ、この1年間は私にとって非常に感情的なものでした。この映画を応援してくれるファンの方々の反応や、私が再び俳優として復帰することを応援してくれる方々の反応を見ていると、本当に信じられないほどありがたい気持ちになるからです。正直なところ、たった38日間の撮影で作った小さなこの映画が、ここまで注目を浴びるとは思ってもいませんでした。特に、映画賞を受賞したり、評価を受けたりするなんて」と告白する。

キー・ホイ・クァンにとって今作は30年ぶりの俳優復帰作で、ダニエルズによる奇想天外な脚本とアジア系俳優のレジェンドであるミシェル・ヨーとの共演に胸を膨らませたが、映画が公開されたあとの観客との交流が特別な作品に変えていった。「私たちが作った小さな映画が観客の心にどれだけ響いたか、彼らの人生にどれだけ深い影響を与えたか、それらを聞くだけで胸が熱くなりました。それが、この映画から生まれた最もすばらしいことのひとつです。ファンの方々と直接お会いして、彼らの話を聞くことができたこと。彼らが話してくれるエピソードのひとつひとつが愛おしいです」。

彼がインタビューで話すこと、受賞スピーチで述べる言葉は、同じような思いを抱える多くの人々に響いていった。彼の人生そのものが、映画の中で「ありえたかもしれない人生、選択していたかもしれない未来」のマルチバースにジャンプするエヴリン(ミシェル・ヨー)が、闘いの末に辿り着く境地と重なっていく。そして、「またカメラの前に立ち、大好きな仕事をすることができるなんて思ってもいませんでした。これは特別に与えられたもので、当たり前にあるものだと思ってはいけません」と語り、選択してしまった人生に後悔を抱える人々にこうアドバイスする。

「夢や希望があれば、『あきらめずに続けること』です。たとえ、長い時間がかかることがあっても、夢は叶うものです。私の場合、実現するまでに何十年もかかりましたが。そして、もう一つこの映画に感謝していることは、自分の体験談を素直に話す勇気を与えられたことです。素直に話してみたら、人々が『あなたの苦労がよくわかるよ』と共感を伝えてくれました。そして、悩んでいる人たちには、『あなたは一人ではない』と気づいてほしい。私たちは誰も、それぞれの苦悩を抱えているのです。妻はずっと私を信じてくれました。自分を本当に信じてくれる人たちに囲まれていてほしいと思います。だから、頑張りましょう!」と、エールを贈る。

同じように、キー・ホイ・クァンも映画賞などで会った人々からインスピレーションを得ていると言う。『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』のジェームズ・キャメロンからは、こうアドバイスされたそうだ。「『自分の人生を楽しむことですよ』と言われました。『あまり深刻に考えず、すべてを受け入れること』と。それがいま、すばらしいアドバイスとして私の中に残っています。この1年間は、信じられないような旅でした。自分の名前の接続詞に“オスカーノミネート俳優”と入るなんて、誰が想像したでしょう。ジェームズのアドバイス通り、この瞬間を楽しみ、この場にいられることに感謝しています」。

映画の撮影から3年あまり、公開から1年。長い“エブエブ・ファミリー”との旅路ももうすぐ終わる。撮影終了後に、キー・ホイ・クァンはウェイモンドがアクションシーンでぶんぶん振り回していたウエストポーチを記念に持ち帰ったそうだ。「数週間、アクションチームと共に練習をしていた際に、このウエストポーチを家に持ち帰って練習しました。家でポーチを振り回していたら、物にぶつけてしまったり、コップを吹き飛ばしてしまったりして、妻にこっぴどく叱られました。『裏庭でやってちょうだい』、と(笑)。そういったすばらしい思い出がたくさんつまった小道具は、この最高な映画の記念になりました」。

彼が保持したのは練習用で、実際に撮影に使われたウェイモンドのウエストポーチ(ファニーパック)は、A24が行ったチャリティオークションにかけられ、約48000ドル(約650万円)で落札。アジア系住民のメンタルヘルスケアを啓蒙する組織に寄付されている。

3月12日には第95回アカデミー賞授賞式が行われる。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の10部門11ノミネートのうち、キー・ホイ・クァンが候補となった助演男優賞は、例年だと授賞式の最初に発表される。「オスカーが終着地点だとは思っていません。私たちはこの映画によって永遠に絆を深めていくことになるでしょう。私たちは生涯家族のような存在です。長いこと彼女の出演映画を観てインスパイアされていたミシェル・ヨーを友達や家族と呼べるようになったことを、とても幸運に思っています。そして、彼女は永遠に私のエヴリンであり続けるでしょう。オスカーでなにが起きるかはわかりませんが、私たちの映画にこれまでみなさんが与えてくれた評価に感謝しかありません。でも、願わくば…この旅が終わってほしくはないです。この先も、ずっと続いていってほしいですね」

取材・文/平井伊都子

恩人スピルバーグ監督との2ショット。キー・ホイ・クァンが山あり谷ありの俳優人生を語る/[c]EVERETT/AFLO