韓国では日本のミステリー小説や映画の人気が高く、翻案やリメイクが活発に行われている。ファン・ジョンミンを主演に迎え戦慄の度合いが増した『黒い家』(07)は貴志祐介、ソン・イェジンの清新な色気が光った『白夜行 白い闇の中を歩く』(09)は東野圭吾、カン・ドンウォンが追走劇を繰り広げる『ゴールデンスランバー』(18)は伊坂幸太郎が原作で、いずれも韓国エンタメらしいエッセンスが加わったの特別な面白さがあった。先月17日に配信が始まったNetflixオリジナル映画『スマホを落としただけなのに』は、志駕晃による同名の小説を原作に、日本でも二度映画化されている人気コンテンツだ。本作が長編デビューという新人監督の作品にもかかわらず、配信スタートするや否や韓国のデイリーランキングで1位を記録するなど好評を博している。

【写真を見る】スマートなルックスのジュニョンを演じたイム・シワン。ジュニョンには恐ろしい素顔があった…!

ホラー映画のムード漂う日本版と、正統派サスペンスの韓国版

ベンチャー企業に勤めるイ・ナミ(チョン・ウヒ)は、酔った帰り道にバスの中へスマホを忘れる。翌日には手元に戻るが、拾い主のウ・ジュニョン(イム・シワン)によってスパイウェアが仕込まれ、個人情報や行動履歴などあらゆる情報が盗まれてしまっていた。刑事でジュニョンの父ジマン(キム・ヒウォン)は、息子がサイバー犯罪者であるだけでなく、何人もの命を奪ったサイコキラーであることを察知し、必死の捜査を続けていく。スマホの遠隔操作で人間関係が破壊されたナミは、平穏な日々を取り戻すためジュニョンと対決する。

現代社会の必需品であるスマートフォンの功罪をエンターテインメントを交えて描いた『スマホを落としただけなのに』は、2016年の原作小説発表以来、映画やドラマ、コミックスと多様なメディアミックスを展開してきた。改めて2018年に公開された日本版の第一作を観てみると、まだ連絡のメインツールがショートメールであったり、Facebookを思わせるウェブサービスでコミュニケーションを取るなど、より手短なLINEやtwitter、Instagramが主流となった現在から考えると懐かしさすら感じる。韓国版は、ネットワークをめぐる技術革新と、そのことで私たちの生活がどう変化したかをオープニングビジュアルだけで表現している。ネット社会のすさまじい速度と重なるかのようなスピーディで感覚的な表現はさすがだ。

ストーリー面で言うと、日本版ではスマホが人生の仮面であることと、人生そのものが仮面であるという複雑な物語構造と、『リング(1998)』などを手がけた中田秀夫監督らしい不気味なムードが見ごたえ満点だった。その上で本作がオリジナルを凌駕しているのは、冒頭ですでに犯人を明らかにした倒叙形のサスペンスにしたことで、ジュニョンの柔和さと凶行の二面性にフォーカスし、スマホを使ったサイバー犯罪を一層恐ろしく見せたところではないだろうか。私たちは普段スマートフォンを使ってオンラインでいとも簡単にやり取りをするようになったが、顔の見えない向こう側にどんな人間がいるのか保証はない。ハッキングの最中も、ジュニョンは堂々とナミに近づき、中古品の売買や野球観戦のチケットを渡したりと、何食わぬ顔でコミュニケーションを続ける。オンラインは匿名性が高いからこそ、素顔をさらけ出したところで真犯人だと特定されないからだ。これは、私たちの現実ですでに起きているのかもしれない。そんな想像が、視聴者の背筋を寒くさせる。原作者の志駕本人も「原作の解釈が日本版とはまた違っていて面白いです。確かに世界的には、こっちの方が受けるかも」と満足な様子だ。

■魅力的なヴィランに原作者も脱帽。イム・シワンが再び見せたサイコパス演技

特に、『非常宣言』(21)では航空機の乗客を狙ったソシオパスバイオテロ犯ジンソクの狂気を眼差しひとつで表現しきったが、本作はそうした悪役としての姿にさらなる磨きをかけた。演じるジュニョンは、一見どこにでもいる青年だが、初めてスクリーンに登場した瞬間に底知れない暗いオーラを放つ。インスタントラーメンを作る手つきにふと見える粗暴さと、それとは真逆に、犠牲者のスマホから抜き取った個人情報レターパッドに折り目正しい字体で手書きし、定規を使って線を引くほどの几帳面さだ。この狂気を、イム・シワンはまるで憑依したかのように完璧にこなしている。

イム・シワンが如何にジュニョンというキャラクターへ深い理解があったかを示すエピソードがある。劇中の序盤、被害者の一人のスマホに友人から電話がかかってくるシークエンスで、ジュニョンは偽の音声を利用し応答している。日本版では犯人が変成器のような物を使い、本作の台本でも当初は本人が返答する演出だった。しかしイム・シワンは「ジュニョンは几帳面に物事をこなす人間だから、自分の正体が分からないようにするだろう」と考え、正体を明かさないでほしいと監督に提案。他人の音声を録音して使う設定になった。『非常宣言』でのインタビューで、彼が役者として心がけていることについて、「常に“これは必ず起こるべきことなのかどうか”を探ること」だと答えている。日本版の原作映画では、犯行の動機に幼い頃に母親から受けたネグレクトという生い立ちがあったが、ジュニョンは特に理由もなく、いたずらのように殺人を繰り返す。『非常宣言』のジンソクの役作り同様特別なビハインドを付け加えることなく、「まるで芸術品を作るように犯行を重ねる人物」(イム・シワン)としてジュニョンを作り上げての怪演に、志駕晃も「サイコパスなのに魅力的過ぎる」と惜しみない称賛を送った。ちなみに、『非常宣言』で共演したイ・ビョンホンから「普段から目が狂っているね」とジョークを飛ばされたそうだが、チョン・ウヒも冗談まじりに「澄んだ瞳の狂人」と称えている。

■サスペンス韓国版『スマホを落としただけなのに』は、デジタル化の功罪に主眼を置いた珠玉のサスペンス

本作よりも以前、ストーリーの要素にスマートフォンを取り入れた『完璧な他人』(18)では、仲の良い男女が集まる酒席でほんの遊び感覚で始まった「スマホに届く電話、メッセージなどすべてをみんなにさらけ出す」というゲームが、人間関係を揺るがす一大事を引き起こしていく。人間は隠しておきたいやましい秘め事や後ろ暗い感情、軽々しく明かしたくない素顔を持つものだ。「スマホはブラックボックス」というセリフに表れているように、たとえ家族であろうと他者からなかなか覗き見られないスマートフォンには、その一部始終が集積していると言える。『完璧な他人』は、スマートフォンというパンドラの箱を開けることで明らかになる人間の愚かしさと不完全さを浮き彫りにした、秀逸なブラック・ヒューマン・コメディだった。『スマホを落としただけなのに』は、こうした過去作とはまた異なる。

韓国へ行くと、日本と比較にならないほどのデジタル化先進国であることに驚かされる。2016年に韓国で開始した動画配信サービスNetflixは世界規模にシェアを広げ、BTSを代表としたK-POPのワールドワイドな活躍にも、豊富なオンラインコンテンツが一役買った。メリットがある一方、人生の40%をネットに費やし、その時間は日本やアメリカに比べて格段に長いと指摘されている韓国社会では、スマホ依存が深刻化している。そして、ナミが警察に訴え出てもハッキングを証明できず為す術がないように、顔の見えない犯罪は巧妙化し被害者を増やしていく。また、指先一つで悪意を拡散するヘイトスピーチの横行も後を絶たない。2019年頃に社会を震撼とさせたテレグラム性搾取事件の後も、デジタル性犯罪は増加の一途をたどっている。

サイコキラーがスマホを拾うことは、映画の中だけの話かもしれない。だが、幼い頃からスマートフォンを扱う若者たちは、デジタル技術には慣れているのにデジタル倫理を学んでいないと嘆息する声もある。私たちは果たして、スマホの依存と危険から逃れることは可能なのだろうか?そんな警鐘を鳴らして、韓国版『スマホを落としただけなのに』映画は幕を閉じる。娯楽作品として完成しながら、フィクションが社会に為し得る役割を発揮した韓国映画らしい傑作と言えよう。

来たる5月には、イ・ソンギュンとチョ・ジヌンの追走劇に誰もが興奮させられた傑作アクション『最後まで行く』も岡田准一と綾野剛タッグによってリメイクされる。社会情況を反映した日韓の珠玉のサスペンスは、これからも観客を大いに楽しませてくれることだろう。

文/荒井 南

「自分もスマホに依存していて、映画のような恐怖は十分感じている」と語るイム・シワン/[c]Netflix