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2月19日(日)17時。大阪市西成区にある大衆演劇の「梅南座」。本日夜の部の演し物は、二代目市川おもちゃ(45)率いる「おもちゃ劇団」の人情劇。第一部の芝居が終わり、太夫元(興行主)の市川恵子のご挨拶となる。

「これから、今日の特別ゲストさんの登場。ほんまの、おばあちゃんとお孫さんのラップのコンビです。その名も“赤ちゃん婆ちゃん”。

私、感心したのは、本番直前まで、楽屋で熱心に2人でラップの稽古をしてたこと。お孫さんが21歳で、おばあちゃんは72歳! 人間、死ぬまで勉強やなと思いました」

やがて幕が上がり、スモークが焚かれるなか、赤ちゃん婆ちゃんのステージが始まった。ラッパーには定番の、お揃いのダボダボのツナギ風の衣装で歌い始めたのはオリジナルの『大目に見ろよ』。

〈♪ボロボロ人生歩むより レッドカーペット歩こうよ 音楽で変える明るい未来 世界も変える明るい魅力〉

70年代にアメリカで生まれ、韻を踏んだリリック(歌詞)を語るように歌うラップは、大衆演劇とは対極のイメージだが、人生の年輪を感じさせるしゃがれ声の祖母“MCでこ八”と、溢れる若さでリズムを刻む孫“MC玄武”の息もぴったりの組み合わせに、満座の場内も大いに盛り上がる。ちなみに、MCとはラッパーのこと。

15分ほどのパフォーマンスを終えると、座長のおもちゃが再び登場。改めて2人の紹介を始めた。

「大衆演劇とラップを同時に楽しめるのは、世界広しといえどうちの劇団くらい(笑)。評判を聞きつけて、今日も昼の部には地元テレビ局が撮影に来てました。実は夜の部にも、あの『女性自身』さんが取材中。みなさん、拍手!

もっと驚くのは、今や世界から注目されるお2人なんです。ねっ、でこ八さん」

「そうなんですよ。今、イギリスの通信社からオファーが来てるんですわ。オファーだけに、挨拶は“オッハー”かね。もう、イギリスでもどこでも行くよ!

こんなわたしでも、家に帰れば、ひ孫もいるばあちゃんやからね。みなさん、これからも、赤ちゃん婆ちゃんをよろしく頼みます」

滋賀県大津市在住の赤ちゃん婆ちゃんは、今年で結成5年目のラップユニット。

2人の人生が投影されたリリックと、和のテイストも感じさせる楽曲にラップ界も注目。『金くれよ』『天国と地獄』といった人気曲のYouTubeなどでの再生回数は29万回を超え、大衆演劇風に言えば「目下絶賛売出し中」のご両人なのだ。

でこ八の人生は、行商、漫才、祇園、そして2つの重病などなど、ラップのリリックにするのに困らないほど波乱に満ちていた。

「まさか、通院しながら、この年で孫とラッパーになるやなんてね。ほんま、人生って、何が起きるかわからんからおもろい」

■漫才師、ショーパブ経営、スーパーの精肉部門とケ・セラ・セラな半生ののち、ダブルで重病に

でこ八は、1950年昭和25年11月26日京都市の生まれ。

「自分でも変わった子やったと思います。屋根から傘持って飛んだら、傘がパラシュートになるやろうかと、本当に飛び降りたり。よう、大ケガせんやったもんや。

保育園に入っても、すぐに脱走する。行く先は映画館。美空ひばりちゃんが憧れでした。

父は、行商人。半纏など衣類を売ってましたが、口の達者なわたしをよくお供にしてたね」

家計を助けて、小3から、うどん屋で出前持ちも。

「6杯積んだおかもちを運んでたから、チビでも鍛えてるんで、貧しいのをからかわれてケンカしても、必ず勝ってました」

それでも高校まで進学したが、入学早々に退学してしまう。

「1年の1学期でやめたのは、芸事をしたかったから。もともと教室の授業も、じっと聞いてられへんタイプやったし」

まず落語家の門を叩いたが入門は許されず、次に夫婦漫才で大人気だった今喜多代師匠のもとへ。

「師匠にかわいがられて、そのうち『養女に』という話もあったんやけど、お断りして居づらくもなったりで、師匠宅を出るんです」

15歳で、養成所の明蝶芸術学院時代に出会った相方と、女性漫才コンビ“ヨウコ・マキコ”を結成。

「ヨウコがわたしで、ボケ担当。千日劇場に出演したり、大阪城中之島の路上でも漫才したな。そのうちファンもついて、ジュースを差し入れてもらったり」

その後、相方が代わっても漫才を続けていたが、23歳で出産。

「未婚で娘を産みました。それが玄武の母です。なんで未婚か? まっ、人生いろいろやから(笑)。でも、わたしは、今で言うシングルマザーで芸人や水商売しながら子育てしましたが、うしろめたさも、しんどいと思ったことも一度もないんです。

ケ・セラ・セラ、なるようになる。ギスギスしても1日、ニコニコしても1日、同じ1日過ごすなら笑ってようと思って、今日まで来ました」

京都の祇園で水商売の世界に入ったのが、30歳のとき。

「自分が企画したショーを見せるラウンジをやりたかった。ショーパブの走りやね。ただ、場所が格式のある祇園やったから、いわば異端児で、5年間は赤字続き。

そのうち常連さんもついて、店は連夜にぎわうように。いちばんの店のウリ? そりゃ、わたしのトークやろうね(笑)」

20年続いたラウンジを閉めたのは、いわば時代の流れだった。

「そのころから、女子大生短大生ホステスが急増するんやけど、まともにトークもできひんコばかりで、高い時給を払うのがバカバカしくなって。

で、店は畳んだけど、この性分やから、じっとしてられへん。そんなとき、近所のスーパーの精肉部門で募集があって、面接を受けました。最初は、『祇園のラウンジオーナーにスーパーなんて務まらん』と言われるんやけど」

ここでも、持ち前の粘り強さと祇園で培った経営センスで、すぐにマネージャーに昇格。ニューヨークへ研修で派遣されるまでになる。また、孫の玄武も、この間の’02年に誕生している。

しかし、人生、好事魔多し。

「最初は、足の裏の痛みからで、これがマッサージしても何しても消えん。で、精密検査受けて、お医者さんに『うち、アウトかセーフか?』と聞いたら、なんと『アウトです』と。見つかりにくい肺がんで、ステージ1やった」

手術をして、2カ月の入院後、治療も一段落して、ホッと安堵していた。

「よそへの転移もないと聞いて、ようやく退院できると思っていたら、今度は、汗と唾液が出なくなってるのに気づいて。調べたら、なんや聞いたこともない難病やったんです、それもダブルで」

このときばかりは、でこ八の座右の銘「ケ・セラ・セラ」も、さすがに封印されるしかなかった。

■「人生経験と度胸だけは、ぎょうさんあるから」。ユニット“赤ちゃん婆ちゃん”が爆誕!

「難病指定のシェーグレン症候群と末梢神経症候群という2つの重病を、同時に患っているとの診断。シェーグレン症候群は、自分の細胞で自分の細胞を攻撃してしまう免疫性の疾患やと。症状は口の中のひび割れや、全身の痛みで、一時は寝たきりにもなったり。

もうスーパーにも迷惑をかけたくないから、14年勤めたけど、仕方なしに辞めました」

がんに続いて難病まで患い、人生で初めて弱気になり、また、隠居生活を余儀なくされていた70代手前のでこ八だったが、そこに生涯最大の転機をもたらしたのが、当時15歳の孫だった。

中3になっていた玄武は、地元の駅近辺で行われているサイファーストリートで輪になりラップを競い合う)に参加しており、でこ八もラップに興味を。その思いを伝えると、孫は「おばあちゃん、そうせやるなら一緒にやろう」と背中を押してくれた。

やがて、MCネームも決まった。

「“でこ八”というのは、末広がりで縁起がいいだろうという、ほんま、思い付きから」

ユニット名も、また祖母の発案。“赤ちゃん婆ちゃん”という一度耳にしたら忘れられないユニークなネーミングだが、バトルに2人で出演したときには、対戦相手から、「いい大人が“赤ちゃん”かい」と突っ込まれることもあった。

そんなとき、でこ八は、もう韻もリズムおかまいなしに、こう応戦。

〈♪何言わしとんねんアホが。婆ちゃんにとっては、いつまでたっても、かわいい赤ちゃんじゃ。それが、わからんのか〉

この強烈なでこ八のマシンガントークと、それを隣で温かく受けとめる玄武という、かつてないラップユニットのスタイルができあがっていった。大阪のクラブでのデビューは、’18年2月。

孫15歳、祖母68歳だった。

■舞台に立ちラップしていると体の痛みが消えてる。骨を痛めてもコルセットしてステージに上がった

初ライブから1年後には、ファーストCD『異策〜傑作の自作〜』をリリース。デビュー曲となる『天国と地獄』には、関西ラップ界の大物も制作陣に名を連ね、話題を呼んだ。

〈♪68年 人生経験 御迎えまだまだ 全然けえへん……辛いとき悲しさわかる 今この歳でラップができる〉

この曲では、MV(ミュージックビデオ)も制作された。

「今は、自分で作ったMVをユーチューブなどに上げて、すぐに見てもらえるでしょう。すごい時代になったもんや。

デビューした当初は、やっぱり祖母と孫というんが珍しかったんやろうね。出演依頼や取材も押し寄せたんですわ」

順風満帆に見えた滑り出しだったが、意外な落とし穴が待っていた。玄武が語る。

「コロナです。初CDが’19年5月でしたから、半年ほどして、ようやく名前が浸透してきたと思ったら、年明けからコロナ禍に。

イベントやバトルの主催者の方も、でこ八は、間違いなく高齢者なので、出演依頼するのを躊躇しているのがわかりました」

しかし、コロナ禍の間も、でこ八はリリックを書き続け、玄武はソロとしての活動もスタートするなど、「できることを続けた」2人だった。そして今年の年明けあたりから、また出演依頼が来るようになったという。

冒頭の梅南座へのゲスト出演など、再び慌ただしい毎日を送るなかで、でこ八はあることに気づく。

「舞台に立ちラップをしてると、体の痛みが消えてる。ノリよく跳びはねる曲も多いし、リリックを頭に入れるのに必死で、痛がってるヒマもないのがホンネ(笑)。

こないだも、家で洗濯機を移動させていてポキッと背中の骨を痛めたけど、コルセットしてステージに上がりました。

主治医の先生も、『ストレス発散で症状が抑えられているのでしょうね』と驚いてはる」

あるバトルで、でこ八は、自分がラップを続ける真意を、こんな言葉で伝えた。

〈♪わたしが、なんで年寄りになって、こんなことしてるか知ってるか。(腰や肩をさすりながら)あっち痛い、こっち痛い、言うババアになりたなかったからや。ただそれだけや、負けへんぞ!〉

【後編】祖母と孫、年の差51歳の驚きのラップユニット・赤ちゃん婆ちゃん爆誕秘話へ続く