持たない経営を貫いた伊藤氏、自前主義にこだわった中内氏

「お客さまは来て下さらないもの、お取引先は売って下さらないもの、銀行は貸して下さらないもの」

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 これが3月10日、老衰で98歳の生涯を閉じたイトーヨーカ堂創業者で、同社の持ち株会社セブン&アイ・ホールディングスの名誉会長、伊藤雅俊氏の口癖だった。

 黙っていては客は来ない。ではどうするか。伊藤氏はその答えは「信頼」しかないと考えた。客が店を信頼してくれて初めて来店し、商品を買ってくれる。取引先が商品を卸してくれるのも、銀行が融資してくれるのも、会社や店、そして経営者や社員への信頼があってこそ。それを徹底したからこそ、東京の下町でわずか2坪の店から始まったヨーカ堂(現イトーヨーカ堂)を、日本を代表する流通チェーンにまで成長させることができたのだ。

 2歳年上で、ともに日本のチェーンストア業界を牽引したダイエー創業者の中内功氏と比較すると、伊藤氏がいかに相手を信頼し、そして信頼を得るために努力してきたかがよくわかる。

 中内氏の場合、苛烈な戦争体験が影響したこともあり、非常に猜疑心の強い経営者だった。だからこそ、他人を容易に信用することがなく、自前主義にこだわった。出店するにしても、まず店舗で使う倍ほどの土地を抑える。ダイエーができることによって、周辺の土地価格が上がると、半分の土地を売って次の投資に回すというように、自前主義だからこそできる錬金術によってダイエーは成長していった。

 一方の伊藤氏は持たない経営。出店するにしてもテナントとして入居、自ら不動産は所有しようとしなかった。今でこそ「アセットライト」という言葉は一般的になっているが、伊藤氏は地価は下がらないという「土地神話」のあった時代からアセットライトを実践。そのためバブル崩壊によっても大きく傷つくことはなかった。

セブン-イレブンがコンビニトップの座を維持している理由

 出店だけではない。大手流通業者なら必ず物流拠点を持っている。問屋やメーカーからの商品はいったん物流拠点に納品され、そこから各店舗へ配送される。ダイエーはこの物流拠点を自前でつくった。そして仕入れ業者から物流施設の利用料を徴収した。中内氏に言わせれば、各店舗に直接配送するよりはるかに効率がいいのだから、その対価をもらうのは当然、ということになるが、仕入れ先からの評判は悪かった。

 セブン&アイにももちろん物流拠点はある。ただし自前ではつくらず、問屋やメーカー、そして物流業者につくらせ、それを利用した。伊藤氏にすれば、自分たちは物流会社ではないためノウハウもない。だったら他社を信頼しアウトソーシングしたほうが効率がよく、しかも仕入れ業者や物流業者が主体的に動いてくれると考えた。

 商品戦略でも同様だ。中内氏率いるダイエーは、かつて松下電器(現パナソニックホールディングス)と全面対決したことがある。昔の家電製品はメーカーが定価を設定、小売店は自らの裁量で値下げをすることができなかった。しかし中内氏は「価格決定権は消費者にある」と値下げ販売を断行したのだ。

 その結果、松下電器から取引を停止される。これに対抗して中内氏は、家電メーカーのクラウンを買収、自ら家電製造に乗り出した。結果的にクラウンは大赤字を出すのだが、「売らぬなら作ってみせよう」というのは、いかにも中内氏らしいエピソードだ。

 だが、セブン&アイはまるで違う。収益の柱は、言うまでもなくコンビニエンスストアセブン-イレブンだ。このセブンが、ローソンファミリーマートより収益力に勝るのは、ひとえにプライベートブランド(PB)戦略に秀でているためだ。ここでもセブン&アイは徹底的に外部の力を利用する。

 商品企画や商品チェックに関して、セブン-イレブンが徹底的に関与するが、製造するのはあくまで第三者。メーカーにとってみればセブン-イレブンは口うるさい存在だが、協力すればヒット商品が生まれる確率が高いことをメーカー側も知っている。この信頼関係があるからこそ、セブン-イレブンはコンビニの頂点に輝き続けている。

セブン&アイの「精神的支柱」であり続けた伊藤氏

 そして何より、人との信頼関係を大切にしたのが伊藤氏だった。

 伊藤氏が亡くなったことを報じる記事の中には、「鈴木敏文氏を見出したのが最大の功績」と書いたものがあった。鈴木氏とは書籍取次のトーハンからイトーヨーカ堂へ転じ、セブン-イレブンを立ち上げた日本コンビニ界の父であり、7年前までセブン&アイに君臨していた実力者だ。

 多くの創業者が、自分の立場を危うくするような社員の存在を許さない。現に中内氏にも下に優秀な社員はいたが、中内氏が台頭を許さなかったため、いずれも中内氏から離れていき、最後は息子にバトンを渡すことで自壊への道を進んでいった。

 その点、伊藤氏は鈴木氏を全面的に信頼した。特に1992年に総会屋事件の責任を取ってイトーヨーカ堂社長の座を鈴木氏に譲ってからは、鈴木氏に全権を渡し、後方から支援し続けた。

 日本企業史には、ソニーの井深大氏と盛田昭夫氏、ホンダの本田宗一郎氏と藤沢武夫氏などの名コンビ経営者がいる。しかしソニーホンダも、創業者である井深氏および本田氏の夢を実現するために盛田氏と藤沢氏が経営を差配したが、伊藤氏は創業者でありながら、鈴木氏の夢のサポートに回った。

 ここに一度信頼した人間を信頼し続ける伊藤氏の人生哲学をみることができる。つまり、伊藤氏の最大の功績は、鈴木氏を見出したことではなく、見出した上で信頼し、全権を委ねることができた懐の深さにあると言っていい。

 もちろん2人の間で意見が食い違うこともあった。そんな時でも伊藤氏は、「お客さまにとってどうか」を判断基準として、意見をすり合わせていった。決して自分が創業者だからという理由で、鈴木氏の行動に反対することはなかった。

 こうして社業のほぼすべてを鈴木氏に任せたことによって、セブン&アイは、伊藤氏の会社から鈴木氏の会社へと変わっていった。しかしそれでも、伊藤氏はセブン&アイの精神的支柱であり続けた。

一時代が終わったことを物語るイトーヨーカ堂の大量閉店

 現在、日本チェーンストア協会会長を務める三枝富博氏(イトーヨーカ堂会長)は、中国のイトーヨーカ堂を大成功に導いた人物だ。しかし、中国事業を担当させられたのは、三枝氏にとって決して本意なことではなかった。その時、伊藤氏は三枝氏を呼び、冒頭に記した商人としての心構えをこんこんと説いたという。そうやって三枝氏を励まして中国へと送り込んだ。三枝氏はそれを意気に感じ、中国事業を一から立ち上げた。

 鈴木氏は論理的でデータを重視し、仮説→検証を繰り返して顧客のニーズを探っていく。非常に理知的であるとともに、セブン-イレブンセブン銀行など、誰もが反対することをやり通す腕力もある。しかしそれだけでは組織は動かない。鈴木氏の後ろにいる伊藤氏が、情によって社員を優しく包み込んだことで、社員の心を一つにまとめることでできたのだ。

 それだけに、2016年にセブン&アイの社長人事をめぐって伊藤氏と鈴木氏が対立したことは、お互いにとって不幸なことだった。これまで鈴木氏の決断にほとんど異を唱えてこなかった伊藤氏だが、どうしても看過できないことが、この人事の裏側にあったということなのだろう。

 1963年に鈴木氏がイトーヨーカ堂に入社した時から、半世紀以上にわたって続いた信頼関係が、この時途絶えた。信頼を信条にしてきた伊藤氏にしてみれば断腸の思いだったはずだ。

 それから7年で、伊藤氏はこの世を去る。亡くなる前日には、イトーヨーカ堂の大量閉店と、祖業である衣料品事業からの撤退が明らかになったばかりだった。一つの時代が終わったことを物語っていた。

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3月10日に亡くなったセブン&アイホールディングス名誉会長の伊藤雅俊氏(1992年当時/写真:Fujifotos/アフロ)