戦後、日本にとってアメリカは、常に先を行く存在でした。今日、日本では経済の停滞が長引き、一部に偏狭な排外主義がみられます。翻って1980年代のアメリカ社会の状況をみると、現在の日本と奇妙に重なります。本記事ではNHKエンタープライズ エグゼクティブプロデューサーの丸山俊一氏が著書「アメリカ 流転の1950ー2010s 映画から読む超大国の欲望」より、映画を通して1980年代のアメリカを語ります。
自動車産業の衰退とジャパンバッシングー『タッカー』
日本経済脅威論は、80年代初頭から膨らみ続けていた。安くて性能がよい日本の小型車が市場を席捲(せっけん)し、アメリカの伝統と誇りを担ってきた自動車産業は、衰退の一途をたどっていた。
実はこの80年代に起きた自動車産業の低迷を40年も前に予見していた男がいた。その実在の人物を描いた映画が『タッカー1』だ。
※1『タッカー』(Tucker: The Man and His Dream) 1988年 監督:フランシス・フォード・コッポラ 出演:ジェフ・ブリッジス、マーティン・ランドー ▶プレストン・タッカーは、斬新で安全な自動車を作ることを夢見ていた。彼は経営に詳しいエイブや技術者の仲間を集め、資金集めに奔走、ついにシカゴに工場を手に入れる。しかし、自動車業界を牛耳るビッグスリーはタッカーを潰そうと画策するのだった。
監督はフランシス・フォード・コッポラ。製作総指揮はジョージ・ルーカス。ビッグネーム2人がタッグを組んだ。
プレストン・タッカーは、斬新で安全な自動車を作るため、仲間と工場を手に入れ新製品を発表する。だが、危機感を抱いたフォードやGM、クライスラーは自らの脅威となる前にタッカーをつぶそうと卑劣な手段に出る。
果敢に大企業に挑んだことで、陰謀によって詐欺呼ばわりされたタッカー。結果的に負けることになってしまう裁判の席で彼は言う。「アメリカが夢を失えばどうなるか。いずれ敗戦国からモノを買うようになるだろう」と。
アメリカン・ドリームを失いかけた80年代のアメリカ人に向けたコッポラの熱い思いが込められていた。コッポラは次のように言っている。
「自由競争の建前を守ってタッカーに活躍させていたら、現在のようなアメリカ車の衰退は無かっただろう」(「潮」1988年12月号)
かつてアメリカの自動車産業は先進的技術と巨大な資本力で全世界を支配し、GNPの50%を超えるアメリカ経済の主柱だった。しかし、80年代になると市場のおよそ4分の1を日本車が占めるようになる。
ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)をはじめ多数の関連会社が集まる自動車の町デトロイトでは、工場の閉鎖や縮小が相次いだ。
失業者も増大する中で、日本への憎しみは激しさを増し、日米貿易摩擦と言われる状況が生まれる。ジャパンバッシング、日本叩きが加速化した。日本は輸出については「自主規制」で対応したが、労働者たちが怒りに任せて日本車を叩き壊す映像が世界をかけめぐった。
反日感情が高まる中、不幸な事件も起きている。4カ月後に結婚を控えていた中国人のビンセント・チンが日本人に間違われてデトロイトで殴り殺されたのだ。
アメリカ社会は日本への反感を強める一方で、「日本に学べ」と研究を始めた。ビジネスマンに向けて、新たな敵国・日本を知るための特設コーナーを設置する書店も現れた。
人種問題の複雑さー『ドゥ・ザ・ライト・シング』
ただ、こうした反発の根っこは経済だけではなかっただろう。そこにはアメリカ社会に深く残る人種差別的な考え方があった。
黒人人口の70%が公民権運動を経て、中産階級になったとも言われる80年代。しかし、つぶさに見ると、景気回復の恩恵は富裕層に留まり、アンダークラスと呼ばれる層が増加。貧困問題と共に、様々な人種間での差別が根強く残っていた。
黒人だけでなく、ヒスパニックやアジア系が増える中で、人種問題はますます複雑に解きほぐしがたくなっていた。その様子を鮮やかな手法で表現したのが、スパイク・リーだった。
『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット2』(1985)のヒットで評価を得た彼が満を持して送り出したのが『ドゥ・ザ・ライト・シング3』(1989)だ。
※2『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』(SHE’S GOTTA HAVE IT) 1985年 監督:スパイク・リー 出演:トレイシー・カミラ・ジョンズ、トニー・レッドモンド・ヒックス、スパイク・リー ▶ブルックリンに住む、アーティストのノーラ・ダーリング。彼女は、3人の恋人と付き合っていた。束縛を嫌い、自由な生活を楽しんでいるノーラに、ある日、恋人の1人がこの恋愛ゲームへの結論を迫ってきた。
※3『ドゥ・ザ・ライト・シング』(Do The Right Thing) 1989年 監督:スパイク・リー 出演:スパイク・リー、ダニー・アイエロ ▶ブルックリンの黒人街に住む若者ムーキーは、イタリア系のサル一家が営むピザ屋で配達の仕事をしている。ピザ屋で起きたあるトラブルの混乱のさなかに、ラジオ・ラヒームが警察に首を絞められ死んでしまった。それをきっかけに黒人たちは暴徒となってサルの店になだれこむ。
スパイク・リー自身が演じる黒人の若者ムーキーは、ブルックリンのピザ屋で配達の仕事をしている。その店はイタリア系家族の経営だが、黒人街にあり、客は黒人ばかり。
オーナーであるサルの2人の息子はムーキーと同世代、兄ビトは黒人を嫌っているが、弟ピノはムーキーと仲良しだ。街には、イタリアやアイルランドなどのヨーロッパ系やヒスパニッシュ、韓国系の移民など多様な人物が住んでいる。
映画の象徴的な場面として、歴史家のブルース・シュルマン(ボストン大学教授)は次の場面をこう取り上げる。
「黒人を忌み嫌うビトに対して、ムーキーが言い返す場面が印象的です。ムーキーはビトに問います。『好きなスポーツ選手は?』『マジック・ジョンソン』『好きな俳優は?』『エディ・マーフィ』『好きな歌手は?』『ブルース・スプリングスティーン』『そうじゃない、プリンスだろ?』……そう、これらは皆黒人です。
『黒人たちに憧れているんだ』と指摘されたビトは言います。『彼らは〈本当は〉黒人じゃない。黒人を超えた黒人だ』この会話には、白人アメリカ人の他人種に対する態度と矛盾があぶり出されているのです」
映画は突然の暴力で幕を閉じる。うだるような暑さに街の人々の緊張は高まり、ついに小競り合いが大きな破壊へとつながってしまうのだ。スパイク・リーの映画はどこかコミカルで淡々としながらも、人種間の問題の複雑さを鮮やかに描き出している。
アメリカ文化にとって大きな意味を持つ80年代
とはいえ、80年代は映画界に次々と黒人スターが誕生した。
『ビバリーヒルズ・コップ4』で人気を博したエディ・マーフィや、『天使にラブソングを…5』で人気が爆発したウーピー・ゴールドバーグ。アパルトヘイト問題を描いた『遠い夜明け6』で注目されたデンゼル・ワシントンは、後の2001年に『トレーニングデイ』でアカデミー主演男優賞に輝いている。
※4『ビバリーヒルズ・コップ』(Beverly Hills Cop) 1984年 監督:マーティン・ブレスト 出演:エディ・マーフィ ▶デトロイト市警の刑事アクセルは捜査の腕はいいが問題児だ。ある時、ビバリーヒルズから出てきた幼馴染マイキーが訪ねてくるが、何者かに殺されてしまう。犯人を捜すため、アクセルはビバリーヒルズに乗り込む。
※5『天使にラブ・ソングを…』(Sister Act) 1992年 監督:エミール・アルドリーノ 出演:ウーピー・ゴールドバーグ、マギー・スミス、ハーヴェイ・カイテル ▶ギャングのボス・ヴィンスの愛人だったデロリスは、彼の殺人現場を目撃してしまう。その場から逃げたデロリスは身の安全のため警察に駆け込む。警察は彼女を修道院に匿(かくま)い、デロリスはそこで聖歌隊の指導をすることになる。
※6『遠い夜明け』(Cry Freedom) 1987年 監督:リチャード・アッテンボロー 出演:ケヴィン・クライン、デンゼル・ワシントン ▶1970年代、アパルトヘイト政策下の南アフリカに、スティーブン・ビコという活動家がいた。当初は白人憎悪を煽る人物と思っていた新聞記者のドナルド・ウッズは、ビコのことを知るに従い彼に共感していく。だが、ビコは逮捕され護送中に命を落とす。
保守化が進む一方で、人々の意識には変化の兆しも現れていたのだ。
そして政治の世界でも89年、デイヴィッド・ディンキンズが、ニューヨークで初めての黒人市長として選ばれた。その年、冷戦の象徴でもあったベルリンの壁が崩壊した。
時代の潮流は確実に変わりつつあった。
ソ連の新しいリーダー、ゴルバチョフは、改革開放を意味するペレストロイカを推し進めた。彼と共に宥和(ゆうわ)への道筋を作ったのが、かつてソ連を「悪の帝国」と呼んではばからなかったレーガンだったのは歴史の皮肉だ。
80年代とはどのような時代だったのか。シュルマンと、作家カート・アンダーセン(「ニューヨーク・マガジン」元編集長)は次のようにまとめる。
【シュルマン】
「1980年代は冷戦でも勝利を得て70年代の低迷を乗り越えて好景気に入り、レーガンが体現したように世界や歴史におけるアメリカの役割に自信が持てました。
ですが同時に水面下には批判的な声もありました。1980年代のアメリカ文化はこの2つの対立する声として理解する必要があります」
【アンダーセン】
「1980年代は全ての人が上り調子だったわけではありません。金持ちはうまくいっていましたが、多くのアメリカ人がそうでなくなりつつありました。そして90年代までには困っている人々が増加し、高すぎる大学の学費など、アメリカン・ドリームの終焉と停滞が見えてきました。
かつて50年代60年代70年代の中産階級の台頭と共に起きた素晴らしいことは全てストップしてしまったことが、1990年代に明らかとなるのです」
丸山 俊一
NHK エンタープライズ
エグゼクティブ・プロデューサー
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