“見た目はオトナ、中身はコドモ”の愛すべきヒーロー、シャザムが活躍するDCユニバース最新作『シャザム!~神々の怒り~』(3月17日公開)。前作からさらにパワーアップして帰ってくる本作を楽しむ前に、改めてシャザムがどんなヒーローで、どんな魅力を持っているのか?『シャザム!』(19)の物語を振り返っておこう。

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七つの大罪にそそのかされたヴィラン、サデウス

始まりは、“永遠の岩”に住む神々の力を持つ魔術師(ジャイモン・フンスー)が、自分の魔術を継ぐ“勇者”たる人物を探している状況から。物語冒頭の舞台となるのは1974年。そこに召喚されたのは、サデウス・シヴァナ(イーサン・プギオット)という少年だった。魔術師の後継者候補となりながらも、サデウスは純粋さの欠如と精神の弱さから永遠の岩に封印された七つの大罪の魔物にそそのかされてしまい、魔術師からは、後継者としての資格がないと判断されてしまう。この候補者選びが、一人のヴィランと新たなヒーローを生みだすことになるのだ。

そして、現代へと舞台を移す。そこでヴィランとなるのは、大人となったサデウス・シヴァナ(マーク・ストロング)だった。ヒーローの資格がないと否定されたあとも、再び永遠の岩に行く方法を探し続けていた彼は、大人になり、有能な経営者としての道を歩む一方で、様々な調査によって何人もの魔術師の後継者候補となった人々の体験談を分析。ついに永遠の岩へ行く方法を発見したサデウスは、英雄としての力を得るのではなく七つの大罪の魔物を解放して、その力を身体に宿す。

■純粋な心と精神的な強さを持った少年がスーパーヒーローに!

一方、その対となる存在として誕生したのが、主人公であるビリー・バットソン(アッシャー・エンジェル)が変身する勇者=ヒーローであるシャザム(ザッカリーリーヴァイ)だ。シャザムとは、S=ソロモンの知恵、H=ヘラクレスの剛力、A=アトラススタミナ、Z=ゼウスの万能、A=アキレスの勇気、M=マーキュリーの神速という、神々の頭文字を集めたもので、永遠の岩にいる魔術師の名だった。そういう意味では、ヒーローの名前ではなく、変身する際の掛け声なのだが、便宜的にここではヒーロー時の姿を「シャザム」と呼ぶことにする。

魔術師は、自身の身体が衰えていることから、サデウスを選ばなかったその後も、長年にわたって後継者探しをしてきたが、求めていた純粋な心と精神的な強さを併せ持つ人物がいなかったため、その能力を譲ることができずにいた。しかし、孤児であるビリーが純粋さと精神的な強さを持つことを知り、彼を自分の元に呼び寄せ、神々の力を託したのだ。

■『シャザム!』が「子どもに見せたいヒーロー映画」である理由

このヒーロー誕生のシチュエーションで対比されるのは、サデウスとビリーの“精神”だ。父と兄に抑圧された結果、心に復讐心を宿していたサデウスはシャザムの能力を継承することができず、一方純粋で優しい心を持ち続けたビリーは能力を授かることに。育った環境の違いはあれど、復讐心や恨みという“負”の要素が、ビリーとサデウスの運命を分ける分岐点となっている。この原点こそが、「純粋さとはなにか?」を問いかける対比構造だとも言えるだろう。

そしてこの対比は、ヒーローに憧れる子どもに対して、一つの示すべき模範が表現されているとも取れる。こうしたわかりやすい対比要素があるからこそ、本作は「子どもに見せたいヒーロー映画」という評価を得る作品となっているのだ。

■中身が“子ども”であるがゆえの弱点も…

優れた精神性を持っているシャザムにも大きな弱点がある。それは、ビリーが“子ども”であることだ。経験値に比例する判断力や冷静さ、情報分析能力が子どもであるがために低く、戦いのなかでは狡猾な“大人”であるサデウスに逆手に取られてしまう。この、身体は大人でも精神は子どもであるがゆえにピンチに陥るシャザムと、大人の狡猾さを戦いに取り入れるサデウスの戦いは「純粋な子どもvs邪悪な大人」という図式になっており、「どんな大人が、理想のヒーローなのか?」というヒーロー論にもつながっていて興味深い。

■少年ビリーの「分け与える」という選択が勝利につながる

さらに、この戦いの決着につながるのが、「能力を分け与える」というビリーの行動だ。最終的にシャザムの能力を自分のものにしようとするサデウスは、彼の優しさを利用してビリーのグループホームに一緒に住む兄弟たちを人質に取り、魔法の杖を介してシャザムの能力を自分に渡すように迫る。これは、「能力の独占」という強欲さの表れだ。それに対してビリーは、兄弟たちも自分と同じ純粋さと強い精神を持っていることを信じ、能力を独占するのではなく、「分け与える」という選択を取る。このビリーとサデウスの選択の違いも対比構造となっており、兄弟たちもビリーと同じヒーローになって団結し、勝利へとつながっていくのだ。

「子どもが変身して大人のヒーローになる」。その設定を聞くと、どうしても子ども向けの要素を強く想像してしまうが、「精神が純粋である子どもが主人公」だからこそ描くことができるヒーロー像があることを、『シャザム!』は真摯な作劇によって見せてくれた。こうした劇中に散りばめられた“対比”を意識すれば、作品の持つ「子どもが憧れるヒーローらしさ」の魅力をより深く理解することができるだろう。

続編となる『シャザム!~神々の怒り~』では、シャザムが“神々の領域”を冒したと激怒した父の命を受け、復讐に燃える“神の娘たち”がドラゴンや巨大モンスターを引き連れて地球に襲来する。前作で描いたテーマ性をどのように昇華し、進化させて見せてくれるのか?映像面だけでなく、作品性としてのパワーアップにも大いに期待したい。

文/石井誠

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