作為的誤報を機械のせいにしたツケ
米保守層の視聴者を独占し、ドナルド・トランプ前大統領の2020年大統領勝利を今なお確信している保守派層にとってはプライムメディアともいえるFOXニュース(ならびに親会社のFOXコーポレーション)を相手取った名誉棄損裁判の大陪審が4月17日始まる。
原告は北米の各種選挙を取り仕切ってきた大手投票集計機メーカーの「ドミニオン・ヴォーティング・システム」*1である。
同社は、2021年3月、2020年11月に行われた米大統領選をめぐる一連の報道で名誉を傷つけられたとしてデラウエア州高裁に提訴していた。
(IN THE SUPERIOR COURT OF THE STATE OF DELAWARE)
*1=ドミニオン・ヴォーティング・システムは、トロント、デンバーに本社を置く全米第2位の自動投票集計システムを製造・提供する会社。デラウエアにも支社があることから同州高裁に提訴した。
FOXニュースは、別の投票集計機械メーカー「スマートマティック」からも傘下の「FOXビジネスネットワーク」の2人のジャーナリスト*2が名誉棄損で提訴されている。
賠償請求額は27億ドル(約3600億円)だ。公判開始時期は未定。
*2=報道記者のマリアナ・バーティロモ氏とオピニオン・ジャーナリストのルウ・ダブズ氏。米国には「政治的公正」をテレビ・ラジオに義務付ける「放送法」はなく、とくに主義主張を公けにするオピニオン・ジャーナリストには偏った政治的見解を述べることが許されている。表現の自由などを保証する「憲法修正第1条」で保証されているとの解釈からくる。ただ報道記者には報道内容を裏付ける根拠および公平性が求められている。
訴訟理由はこうだった。
「選挙で敗れたトランプ前大統領側の陣営が、我が社が不正行為に関与したと主張し、FOXニュースは番組内でこうした主張を繰り返し取り上げた」
「我が社は、同局に対して30回以上、事実無根だとして訂正を求めたが、対応しなかった」
「FOXニュースはトランプ氏がミシガン、ジョージア各州一部の郡で負けたと報じたのは、我が社の機械に不具合があったからだと断定的に報道、解説したことで著しく名誉を傷つけられた」
「FOXニュースが虚偽の主張を広めたことで、我が社は米国の民主主義のなかで信用を失い、従業員や顧客の安全が脅かされた」
「我が社は、約16億ドル(約2100億円)の損害賠償を求める」
今回の訴訟を受けて、FOXニュースは2021年2月、以下の声明を出していた。
「我々の2020年の大統領選報道は、米国のジャーナリズムが求める高水準を満たした内容であり、誇りに思っている。事実無根の訴訟には法廷で徹底抗戦する」
(US election 2020: Is Trump right about Dominion machines? - BBC News)
FOXの視聴者数は1日135万
2021年2月の段階では、ルパート・マードック氏率いるメディア王国FOXコーポレーションに「一介の投票集計メーカー」がどこまで立ち向かえるか、冷ややかな目で見られていた。
なにせ、FOXニュースは、3大ケーブルテレビネット(FOX、MSNBC、CNN)のうち、視聴率は他の追随を許さぬトップランナー。
3大ケーブルテレビの1日の視聴者数はニールセンによると次の通りだ。
FOXニュース:135万人
MSNBC:70万3000人
CNN:52万4000人
出演するアンカーがストレートに政治的な偏重見解を披露するパーセンテージはMSNBCが85% 、次いでFOXニュースが55%、CNNは46%だ。それがまた視聴者に受けている要因でもある。
FOXニュースの高視聴率に貢献しているのがFOXニュース三羽がらすだ。プライムタイムの視聴者は以下の通りだ。
タッカー・カールソン:350万人
ショーン・ハニティ:224万人
(ちなみにリベラル派のトップはMSNBCのレイチェル・マドー氏の245万人だ)
カールソン氏は、2020年7月には433万人とキャスターとしては史上最大の視聴者数を記録している。
(Fox News And ‘The Five’ Top January Ratings; MSNBC and CNN Show Slight Gain – Deadline)
トランプ氏の信頼も厚く、大統領当時は毎日のように電話をかけてカールソン氏に助言を求めていたという。
カールソン氏とともにハニティ、イングラハム各氏もトランプ氏にとっては政権外のブレーンだった。それを許していたのはマードック氏はじめFOXニュースの最高幹部だった。
このFOXニュースにどう立ち向かうか、ドミニオン社は考えあぐねたに違いない。
まず優秀な弁護士を集めることだった。そして雇った弁護士チームは、FOXニュース社内のEメールはじめ交信記録を徹底的に集め、「疑惑の報道」をめぐる社内の動きを一つひとつ精査してきた。
追及は2020年大統領選挙結果報道だけでなく、2022年の米議会襲撃事件報道にも及んだ。
そして、トランプ氏を支持するあまり歪められた報道や解説に終始してきたスターたちの背後に、実は経営トップ主導の、組織絡みの「非ジャーナリズム」的体質があったことを突き止めたのだ。
公判では、FOXコーポレーションの会長兼CEO(最高経営責任者)のラクラン・マードック氏(ルパート氏の長男)やFOXニュースのスザンヌ・スコットCEOら最高幹部も証言台に立つ。
それにカールソン氏やハニティ氏も当然証言することになる。拒否すれば、法廷侮辱罪になる。
日本や欧州の多くの国には、「Fairness Doctrine」(公平原則)」と呼ばれる原則があり、テレビ・ラジオ放送業者に対しては「政治的公平」を義務づけた法律がある。
しかし、米国にはない。
米国にも、かつては、地上波放送を対象とした「公平原則」があった。
米政府の独立行政委員会である米連邦通信委員会(Federal Communications Commission)が放送の公平性を保証するために1949年に制定し、のちにケーブルテレビ事業者の自主制作番組も対象となった。
ところが、ケーブルテレビの普及やメディアの多様化などの影響を受けて、共和党のロナルド・レーガン政権時代の1987年に廃止されてしまった。
民主党政権では何度か「公平原則」の立法化が図られたが、実現していない。
(FCCのフェアネス・ドクトリンの廃止と、トークラジオの隆盛 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所)
今回のFOXニュース対ドミ二オン社の裁判では、この「公平原則」が隠れた「主役」として躍り出ている。
これまでにドミニオン社の弁護団が入手したFOXニュースの内部文書から次のようなことが分かったからだ。
「ドミニオンの自動投票集計機が不具合だったから我々は誤った選挙結果予想を出してしまった」という前に、FOXニュースには「トランプは勝つ、勝たねばならない」という編集方針が存在していたようなのだ。
それを守らない編集者、キャスター、記者は排除する、といった暗黙の了解があったことが浮き彫りになったのである。
これを前提にすれば、2021年1月6日に起きた米議会事件を報じたカールソン氏が、自分の番組で、トランプ支持のデモ隊が「平和裏に」議事堂内をぶらぶらと歩く様子が映っている映像しか流さなかったのも合点がいく。
MSNBCはじめ他のテレビがデモ隊が警官に襲い掛かり、議会のドアや窓ガラスを破って侵入する映像を流しているのとは全く異なっていた。
FOXニュースはあくまでもトランプ氏の勝利を信じた市民の平和的な抗議デモだったという印象を視聴者に印象付けていたのだ。
それもそのはず。
これらの映像は放送に先駆け、共和党のケビン・マッカーシー下院院内総務(当時)がカールソン氏に対し、議事堂内の防犯カメラに記録された事件当日から4万時間以上に及ぶ映像へのアクセスを許可した。
その中から非暴力的なデモ風景だけをピックアップしていたのだ。
その後、米議会襲撃事件の解明を行った下院特別委員会の徹底調査で「フェイクニュース」だったことが一目瞭然となる。
日本や欧州先進国では考えられないことなのだが、米国のテレビではアンカーやオピニオン・ジャーナリストが持論を展開する場合は「客観報道」を義務付けられていない。
どうやらFOXニュースは会社全体、組織ぐるみで「トランプ支持」が周知徹底されていた疑いが強いのだ。
これまでのドミニオン社の弁護団の調査では、ジョー・バイデン候補のジョージア州当確を他局よりもいち早く打った選挙担当デスクを左遷したり、トランプ発言の「ファクト・チェック」(事実かどうかをチェックする報道)した一線記者をはずすなど目に余るパワハラが行われていたことも明らかになっている。
(Tucker Carlson Went Too Far and Even Republicans Know It)
(Column: If only Tucker Carlson's treatment of woke snowflakes were aimed at Fox News viewers)
(Records in Fox defamation case show pressures on reporters | AP News)
(Tucker Carlson’s Private Contempt for Trump: ‘I Hate Him Passionately’ - The New York Times)
トランプが好きか嫌いかは問題ではない
FOXニュースはなぜそこまでするのか。
米公共放送NPRのメディア担当記者でマードック一族についての著書もあるデイビッド・フォルケンフリック氏はこう指摘している。
「ラクラン・マードック会長の最優先企業方針は、ビジネス・ファースト(商売第一主義)だ。顧客、つまり視聴者、読者の思っていることを最優先に考えてメディアは報道せねばならないというのが方針だ」
「その方針を土台に、政治、影響力、イデオロギー、そして最後にジャーナリストであることを旨とするというわけだ」
「その意味では、トランプ氏が好きだとか、嫌いだとかはどうでもいい。トランプ氏を支持、擁護するマーケット(視聴者、読者)がどれだけあるかが問題なのだ」
マードック一族は、英豪でも新聞を発行している。高級紙も大衆紙も所有している。
英国では記者がセレブや王室のメンバーの電話を盗聴したとして逮捕されている。
オーストラリアでは名誉棄損罪で記者が起訴された。現地メディアに「マードックは不起訴共謀者だ」とまで書かれている。
何と言われようと、マードック経営のメディアは隆盛を誇っている。
それだけに当初は甘く見ていたドミニオン社の提訴はFOXコーポレーションにとっては想定外の展開になりそうだ。
前出のフォルケンフリックス氏はこう見る。
「ラクラン氏は泥沼に足をとられてしまった。スター・アンカーたちの自惚れが叩かれるぐらいに思っていたのが、出てくる内部データには、自身の指紋だらけであることが明らかになったからだ」
「公判が長引けば、自分もお白洲に引き摺り出されることになる。ビジネス・ファーストのメディア経営のツケが回ってきたといっていい」
(Fox News erupted in civil war after 2020 election : NPR)
そうした中で大陪審開始前からFOXニュースは和解に持ち込むのでは、といった観測が出始めている。
「世紀の裁判」嫌うFOXに示談和解の動き?
訴訟問題の専門家、マーク・ハーマン氏はこう分析している。
「FOXニュースにとって公判が何か月も続くこと自体ダメージになる。水面下で和解交渉がすでに始まっているとみるのは勘ぐりすぎか」
「FOXニュースにとっては3億、4億ドルでケリがつけば御の字だ」
「困るのは、延々と続く公判で御大のルパート・マードック氏やポール・ライアン重役(元下院議長)らが証言台に立たされること」
「それに自惚れの強い(Muckety-muchs)カールソン、ハニティ各氏ら『FOXニュースの顔』が法廷で詰問されるとなると、これはまさに『世紀の裁判』(Trial of Century) になる」
「他のメディアは書きたてるだろうし、FOXニュースの名声は地に堕ちる。名誉棄損うんぬんよりもそっちの方がマードック一族にはダメージだ」
一方でトランプ氏の訴追案件は水面下で着実に動いている。
そのトランプ氏の最大の後ろ盾だった「FOX帝国」は同氏をビジネス・ファーストのために利用した代償を突きつけられている。
(The April Trial Of Dominion v. Fox - Above the LawAbove the Law)
不思議なのは、FOXニュースに対する大陪審開始の報を受けてカールソン氏の番組の視聴率が急増していることだ。
野次馬的なリアクションなのか、あるいは危機に際して保守層視聴者が全面支援に立ち上がったのか。
保守vsリベラル対立の一断面を見せつけていることだけは間違いない。
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