アーティストはお金のことを考えるな——。美術教育で共通認識となっていた不文律を真っ向から否定するアートフェアが開かれた。出展の中心は若いアーティスト。来場者に自らの作品をPRし、商談、契約までその場でやってしまう。いわば美術品の「産直販売」ともいえるアートフェアが目指すのは、アーティストという仕事を「食える」ものに変えることだ。それは世界で急成長するアート市場で日本が巻き返すきっかけにもなり得る。

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(沢田眉香子:編集・著述業)

「アーティストはお金のことを考えるな」では続かず

 子供から「芸術系大学に行って、アーティストになりたい」と言われたら、多くの親は「食って行けるのか?」と不安になるのではないだろうか。

「美大芸大就活ナビ」を利用する学生を対象に行ったアンケート※1では、2022年6月末時点の内定率は21.1%。ほぼ同時期に、リクルートキャリアが一般の大学生対象に行った「就活プロセス調書」での就職内定率が68.5%であったのと比べて、美大・芸大生の就職内定率は圧倒的に低い。

※1:ユウクリ(東京都渋谷区)が運営する調査機関「クリエイターワークス研究所(CWL)」が行なったアンケートによる。

 就職せずアーティストを志す学生が多いことも一因だが、大学では「アーティストはお金のことを考えるな」という教育姿勢が根強い。このため、多くの美大・芸大生たちは制作と経済活動を両立させる心構えのないまま卒業し、とたんにお金と生活の問題にさらされる。

 アーティストという仕事が「食える」、つまり持続可能な仕事になりにくいこの状況は、日本のアートマーケットが欧米よりはるかに見劣りする原因になっている。それを変えるかもしれない試みが、京都で始まっている。

自ら作品を売る「産直」アートフェア

 2023年3月4〜5日に開催された「ARTISTS’ FAIR KYOTO (アーティスツフェアキョウト) 2023」。プレビュー初日の会場は、多くの来場者で賑わっていた。

 通常、アートフェアは複数のギャラリーが作品を販売する見本市だが「ARTISTS’ FAIR KYOTO」は違う。売り場に立つのはギャラリストではなく、アーティスト本人。ここは「産直販売」のアートフェアなのだ。

 会場ブースには絵画や彫刻、インスタレーションが並び、つくったアーティストが作品コンセプトを熱心に説明している。

 名刺やリーフレットを手渡しながら「SNSのフォローをお願いします」と、PRにも積極的だ。商談が成立し、茶封筒から契約書類を出しながら、発送の段取りを相談している作家もいる。

 早々と作品を完売させた出展者は、売り切れを残念がるコレクターに「お好きなサイズ、色で制作しますよ」と、コミッション・ワーク(依頼制作)を持ち掛けていた。

 作品につけられた値段は数千円から200万円。ギャラリーを通すと売り上げの数十%が差し引かれるが、ここでは全額アーティストの懐に入る。

「個人事業主になれ」と起業家意識を叩き込む

 これまでの美術教育の不文律「アーティストは金のことを考えるな」を真っ向から否定する、異色のアートフェア。ディレクターは、京都芸術大学教授の椿昇氏(70)だ。

 始まりは、2012年に同大学の卒業制作展を、学生たちが作品を展示・販売するアートフェアに変えたことだった。

「僕は、学生たちや若いアーティストに、『君たちはスタートアップの起業家と一緒。個人事業主として生きて行けるようになりなさい』と教えています」と椿氏は言う。

 美術品流通の仕組みと販売のノウハウを学生たちに開示し、卒展で実体験させた。賛否はあったが、作品が売れたことでアーティストとしての自信を掴んだ学生たちもいた。

 その手応えをふまえ2018年に「ARTISTS’ FAIR KYOTO」を立ち上げた。出展作家は、国際的に活躍する名和晃平、ヤノベケンジなどのアドバイザリーから推薦された作家のほか、公募枠もある。多くは20代から30代の若手だ。

「このアートフェアのコンセプトは、“トラストとダイレクト”」と椿氏は言う。その背景には、自分自身の直感でSNSなどを通じて作家から直接作品を購入する若いコレクターの増加がある。

ARTISTS’ FAIR KYOTO」に来場するのも、新世代のコレクターが多い。オープニングに訪れた30代の経営者の男性は「一生懸命コンセプトを説明してくれる作家とお話しすることが楽しくて、気がつくとハマって毎年来ています」と言う。

「彼らは作品をつくりながら、アーティストとして生き残るために頑張っている。ビジネスの世界も同じ。同じ世代として、インスパイアされる部分も大きい」。

9兆円のアート市場に乗り遅れる日本

 2021年のアート市場は、全体で推計651億ドル※2、日本円に直すと9兆円規模になるといわれる。

※2:“The Art Basel and UBS Global Art Market Report” (略称「The Art Market 2022」)より。発行元はArt Basel | UBS(アート・バーゼル、UBS)

 アジア市場も活況で、上海が2000年以降、アジアのアートマーケットの中心として頭角を現し、世界最大のアートフェア「アート・バーゼル」が、2016年から「アート・バーゼル香港」を開催。バーゼルに次ぐ規模の「フリーズ」が2022年に初めてソウルで開かれた。

自国アーティストを買う中国や韓国

 香港、韓国が短期間でアジアの重要なアート市場として存在感を高めたのは、国家政策としてアートを振興し、また、富裕なコレクターたちが自国アーティストの作品を買って値打ちを高める取り組みを進めた成果だ。

 比べて日本は、バブル期にさえ有名な西洋絵画を手にいれることしか眼中になかった。日本最大と言われるアートフェア東京の2022年の売り上げは33.6億円で過去最高と発表されたが、出展者には古美術、工芸品ギャラリーも含まれている。

ARTISTS’ FAIR KYOTO2023」の売り上げは約3200万円と、規模としてはまだ小さい。

 だが、今までの日本のコレクターになかった「買うことで、若い作家を応援する」という意識を育んでいることの意味は大きい。さらに、売り上げはアーティストにとって、自分の作品への、眼に見える評価だ。額の大小を問わず、それはプライスレスな価値になる。

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「ARTISTS’ FAIR KYOTO(アーティスツフェアキョウト) 2023」会場の一つとなった京都府京都文化博物館別館(写真:顧剣亨)