2008年、千葉県の犬吠埼からおよそ350km沖の太平洋で、碇泊中の漁船「第58寿和丸」が突如水没した海難事故。4名が死亡し、13名は今も行方不明という大規模な事故であるにもかかわらず、調査報告書が公表されたのは3年後で、しかもそこに書かれていたのは、3名の生存者をはじめとする関係者が首をかしげる内容だった――。『黒い海 船は突然、深海へ消えた』は、偶然この事故のことを知ったジャーナリスト・伊澤理江さんが、途方もない労力と時間をかけて調査・取材を重ねてまとめ上げた、渾身のノンフィクション。どんな想いで書き上げたのか、伊澤さんに聞いた。

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(剣持 亜弥:ライター・編集者

ちょっとした偶然から始まった壮大な取材活動

 伊澤さんが第58寿和丸のことを初めて耳にしたのは、2019年の秋。“ちょっとした偶然”だった。

福島県いわき市に『日々の新聞』という地域紙があって、ネットメディアで紹介することになり、その編集長を取材したんです。インタビューが終わったところで、編集長が私に、『これから福島県漁連の会長のところに取材に行くんですけど、一緒に行きませんか』と。

 せっかくだから彼らの取材風景を撮影しておこうかな、くらいの気持ちでついて行って、出会ったのが、福島県漁連の会長であり、漁業会社、酢屋商店の社長の野崎哲さんでした」

 取材後の雑談を聞くとはなしに聞いていた伊澤さんの耳に、「てっちゃんの船」「沈んだ」「いまだに原因が」「納得できねぇよな」という言葉が入ってくる。

 関心を示した伊澤さんに説明をするように、編集長と野崎社長は話を続けた。そして、「潜水艦にぶつかったんでねえか、っていう人もいるんだけど」という言葉。

岩礁もない洋上で突然1隻だけ、一瞬で転覆、沈没

「え? って。事故調査も不自然で、と聞いて、自分の中に引っかかるものがあった。これは何かとんでもないものに行きあたりそうだという直感ですね。太平洋の只中、岩礁もない洋上で突然、船団の中の1隻だけが、一瞬で転覆、沈没したんです。

 生存者は3名のみ、4名が死亡し13名は今も行方不明のまま。これだけの大きな事故だというのに、私自身、まったく記憶になかったし、おそらく世の中のほとんどの人も覚えていない。そのことにも疑問を感じました」

 そこから3年にわたる地道な取材活動が始まったのである。

 生存者をはじめとする関係者に話を聞き、事故調査報告書を読み込み、専門家を探して疑問を一つひとつ解き明かしていく。事故から10年以上が経ったなかでの取材は困難を極めた。

「調べていくと、第58寿和丸の事故は、事故直後こそ注目されたものの、原因がはっきりしないまますぐに報道から消えていきました。事故に関する公表資料が限られていたため、事故の詳細を資料からたどれない。助かった3名の証言が貴重なものとなりました。彼らは船体に2度の大きな衝撃があったと話しています。1回目は『ドスン』、2回目は『ドスッ』『バキッ』という構造物が壊れるような音」

海を覆う真っ黒でドロッとした油

 転覆直後から、海は大量の油で真っ黒になっていたという。その正体とは一体何なのか。

「生存者によれば、転覆直後から広範囲にわたり真っ黒な油が広がっていたと言います。仲間の船もすぐに現場に駆けつけていますが、遺体も真っ黒でヌルヌルと滑り、ロープを使わないと引き上げられなかったそうなんです。船の底には燃料油が積まれていますが、船の構造上、単純に転覆しただけでは大量の油が一気に漏れ出ることはありません。当事者たちも専門家も、何らかの原因で船体が破損して、船が沈んだと考えるのが自然だと考えていました」

「船底から突き上げるような衝撃があった」「船体が破損したとしか思えない」「海は船から漏れた重油で真っ黒になっていた」という生存者の証言。当時の新聞記事にあった、事故調査を担当した関係者の「状況から見て潜水艦による衝突以外の可能性は考えにくい」というコメント。それでも、事故から3年近く経った2011年4月、東日本大震災直後に公表された運輸安全委員会の事故調査報告書に記されていたのは、原因は「波」という結論だった。

「第58寿和丸は福島県いわき市の船です。船主である野崎社長は福島県魚連の会長も務めている。原発事故も起き、福島の漁業をこれからどうしていくのか、そんな大混乱の中心にいました。報告書が示す原因は、第58寿和丸の漁具の積み方が悪く、船がもともと傾いていたところに大波が打ち込んだ。さらには放水口も機能していなかったため転覆した可能性が高い、という内容です。関係者らはこの内容を見て、皆、唖然としたと言います。証言は聞き入れられず、『波』という結果ありきの調査だったのではないか、と」

「さらに船体破損を疑うに至った大量の黒い油に関して、国は『推定で約15リットルから23リットル』という計算を根拠に、船体破損を否定していました。当時、生存者や救助に当たった仲間の証言をもとに油の専門家が水槽で行った再現実験では、最低でも数キロリットルから十数キロリットルの燃料油が漏れ出ていたと推定されています。国の報告書とは100倍以上の差があるんです」

なかったことにされてしまう危機感

 執念とも言える緻密な取材。何が伊澤さんをそこまでかき立てたのか。

「まず純粋に、船にいったい何が起きたのを知りたいと思いました。ある日、突然、夫や父や息子を亡くした遺族たちも同じ気持ちだと思います。そして、当初は事件性も疑われていながら、なぜその可能性は消えていったのか。事故の調査に際し、どのような議論があり、生存者の証言はなぜ軽視されたのか。国は全ての事故調査資料の開示を拒んでおり、調査資料の標目(資料名の一覧)もほとんど黒塗り。事故調査のプロセスが全く不透明なんです」

「今、この事故のことを追いかけているのは、おそらく私しかいない。そして、十数年経っているとはいえ、まだ、実際に事故を体験した人の話を聞くこともできる。自分が今記録に残さないと、助かった人たちの証言が永遠に失われてしまう、事故の体験がなかったことにされてしまう、こんな大事故なのに・・・。当事者も仲間の漁師たちも誰も納得していない、矛盾の多い報告書が、唯一の『正史』として歴史に刻まれていく。そうしたことに対する危機感に突き動かされて、取り憑かれたように取材を続けました」

『黒い海』は希望の物語でもある

 日本の潜水艦のすべてを知るキーマンに取材した第10章は、本書のハイライトだ。核心に迫るやりとりは、スリリングですらある。しかも本書の真骨頂は、息もつかせぬ謎解きの展開にばかりあるのではない。

 遺族や生存者、野崎社長をはじめとする第58寿和丸の関係者と伊澤さんとの対話では、一人ひとりの人生そのものが浮かび上がってきて、それが読む者の胸を打つ。

「事故後、東日本大震災原発事故があって、船主の野崎さんたち福島の海で生きている人たちは、さらなる苦難を押し付けられている。それでも、次の世代のことを思いながら、なんとか希望を見出し、前を向いて必死に生きようとしています。だから、一つひとつの言葉が重い」

『黒い海』は、第58寿和丸の事故原因を追うミステリーでありながら、同時に「不条理」という苦境に立つ人々の人生や生き様も描いている。

「『国』と、国に翻弄される人々。そういう人たちの存在も、伝えることができればと思っています」

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