
来週最終回をむかえるテレビ東京系のドラマ『今夜すきやきだよ』は過小評価されている。しかし、これまで不可視とされてきた人々や関係性に目を向け、「特別なもの」と扱うのではなく当たり前のものとして写し出し、さらに、新たな共同体の可能性が模索されている、進歩的かつ地に足のついたドラマだった。
かつて同級生だった絵本作家の浅野ともこ(トリンドル玲奈)と内装デザイナーの太田あいこ(蓮佛美沙子)はある日、高校時代の旧友の結婚式で再会し、その後、思いがけず同居することになる。
「恋愛が嫌いってわけじゃない」「他人にそういう感情をまったく持たない人」とだけ説明して、自分はアロマンティックだと伝えるともこ。一方、「ガッと燃え上がっちゃうタイプというか、グッと入れ込んじゃう人間というか」という恋愛体質のあいこ。
そんな二人の生活を主軸に、女性、男性という属性に紐づけられたジェンダー規範、異性に恋をするのが当たり前だとする異性愛規範、恋愛・結婚・子育てがひと続きになった「家族を作るのは自然なこと」とする凝り固まった家族主義を、あいことともこは問い直していく。
派手な演出や奇想天外な設定ではないけれど、たった30分で新しい景色に連れて行ってくれるドラマだ。
ともこが作る料理が二人にもたらすものまずこのドラマの大きな魅力は、ともこが作る料理だ。サクサクの「深夜のとり天」、とろとろになるまで煮込んだ具入りの「光輝く牛すじ肉まん」、サッと作られて出てくる「鶏とレモンのクリームパスタ」。作中に出てくる献立が各回のタイトルになっている。
ふたりが同居することになるのは、あいこを魅了した、ともこが狭いキッチンの一口コンロで作った「魔法の8時間肉」(1話タイトル)がきっかけだ。
ふたりは、再会した結婚式で、旧友たちとの輪の中で微妙な感情を共有する。割り切れない仕事観、結婚観、子育て・家族観。
散歩しながらの夜の帰り道、あいこは恋人とうまくいってないことを、ともこは恋愛に興味がないことを、ささやかに打ち明けあう。
あいこは、「仕事もあるし、結婚しても苦手な家事はしない」と婚約相手に言ったところ、「じゃあ俺は一生奥さんのごはん食べれないってこと?」と、妻が家事を負担するのが当然かのように返されて、噛み合わない夜を経験したばかり。ともこは、絵本の新作が描けず、光熱費の支払いにも余裕がなく、貯金も少なく、先行きが見えないなか、「恋愛とか結婚とか、そういうのもわかんないしな」と思っていた。
そんなふたりは1週間後、近所のスーパーで再会する。あいこは「俺の家族みたいな普通の家庭を築きたい」と婚約相手から別れを告げられ、やけになっていた。泣きじゃくるあいこをひとまず自分の部屋に連れ帰って話を聞くともこ。
婚約破棄されたばかりで自己卑下に陥っているあいこに、ともこは「あいこちゃんの言ってること、わがままじゃないよ。傷ついたとき、自分のせいにしないで」と声をかける。
直後、あいこが気づいたのは、前の日にともこが8時間茹でた豚を温め直していた香り。サンチュらしき瑞々しい葉っぱに豚を乗せ、味噌やキムチを巻いて食べる晩ごはんの味で、あいこは元気を取り戻す。
坂元裕二脚本のドラマ『カルテット』(2017年1月17日~3月21日)で、「泣きながらごはん食べたことがある人は生きていけます」というセリフがあったが、ともこの料理を画面越しに見ているこちらもそそられ、活力が湧いてくる。とにかくおいしそう。
その『カルテット』や、同じく坂元脚本のドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』にも参加している飯島奈美をはじめ、4人のフードスタイリストの作る料理が毎回楽しみになる。
さらにこのドラマの中で料理は、傷ついた側が回復するカギになるだけではない。「普通に結婚すればいいじゃん」と言ってくる、妹や母らしき人物の幻影を見るほどに“普通は恋愛して結婚するもの”という呪いに縛られていたともこも、力を得ていた。おいしそうに食べるあいこの姿を見ることで、「わたしずっと誰かの心の栄養を作れる魔法使いみたいな人になりたかった」と、自分を発見できたのだ。
『今夜すきやきだよ』がこれまでのドラマと“違う”部分食事を作る側と食べる側という関係でいうとドラマ『作りたい女と食べたい女』(2022年11月29日~12月14日)を、また、ともこと同じくアロマンティックや、アセクシュアルなどAスペクトラムである人々を描いたドラマといえば『恋せぬふたり』(2022年1月10日~3月21日)を想起させる。
しかしこの2作とは違って、『今夜すきやきだよ』はあいこがアロセクシュアル(他者に性的に惹かれるという性的指向)であるという点で、はじめから「終わり」を予感させる。異性愛規範の強固なこの社会に生きている視聴者側も、恋愛体質というあいこが結婚を夢見ている以上、いつかともことの生活から出て行くのだろうと考えるのが「自然」だからだ。
異性と恋愛をして、結婚をし、子どもを作って生み育てるのが当たり前という異性愛規範の家族主義を内面化している人たちがほとんどの日本社会で、ともこのように「早く恋愛できるといいね」「まだ運命の人に出会ってないだけだよ」そんなふうに言われて傷ついた経験は、ゲイやレズビアン、バイセクシュアルやパンセクシュアル、アセクシュアルなど、性的マイノリティの人々にもきっと多くあるだろう。
このドラマは、ことさらに差別や偏見を描かないけれど、そういった苦みを取りこぼさない。
『恋せぬふたり』の主人公たちは、「男女がいっしょにいたら恋愛や結婚をする関係」と、外側から見なされる一方で、逆にその点さえ我慢できれば社会に同化できてしまう。もちろん決めつけられるのは不当で、社会側がその「当たり前」を問う必要がある。
『今夜すきやきだよ』でも、ある日ともこが、専門学校時代からの友人でライターの村山しんた(三河悠冴)と歩いているとき街頭アンケートに声をかけられ、見た目だけで「カップル」「夫婦」と判断され、憤るエピソードがあった。
また、『作りたい女と食べたい女』は、おいしそうな食事のシーンがあり、(別々の部屋に住んではいるものの)困ったときに支え合える関係性が描かれる。しかし、女性から女性への親密な感情が示唆され、レズビアン、あるいはバイセクシュアルやパンセクシュアルの女性としての共同体の可能性が描かれているという点で、『今夜すきやきだよ』と同じようで、微妙に異なる物語だ。
想像してみてほしい。トイレットペーパーは無くなったら買わなければいけないし、磨かないと浴槽には水垢が残るし、シンクやゴミ受けだけでなく排水管も定期的に掃除しないと詰まるし、寝床のシーツや枕カバーも洗わないと汗や皮脂から雑菌が繁殖して臭いも出てくる。生活にまつわる雑貨や食材がネット注文で配送されたり、家事代行という外注もできる時代とはいえ、それも誰かが担ってくれている。人は、ひとりでは生きていけない。
愚痴をこぼしながらでも、なにを話してても作れるのがいいところだと言う、料理好きのともこだが、フリーランスで収入が不安定なこともあって、広くて充実したキッチンの部屋に引っ越す金銭的な余裕がない。一方、家事が苦手なあいこが、2LDKで一部屋空いている自分の家での共同生活を持ちかけるのは、決してありえない話じゃない。
ドラマの序盤、同居するうえでの家賃・光熱費の負担割合や家事分担を、あいことともこは話し合う。生活に関わる金銭や家事を労働として可視化するような会話がされる点で、『今夜すきやきだよ』はドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年10月11日~12月20日)の延長線上にある。
また、フェミニズムの議論における、異性愛規範の家族主義を支える家父長制の形態として、男性を稼得者とし、女性を、稼ぎに出る夫を支えるためのケア労働の担い手として不可視化してきた、社会構造上の差別を批判し、暴いてきた歴史にも連なるドラマだともいえる。
婚約破棄後に、仕事を通して知り合い、しばらくして付き合うことになったばかりの杉浦ゆき(鈴木仁)からも、「手料理が食べたい」とあいこは言われる。あいこが葛藤するのは、元婚約者との破局のきっかけになった話題であり、伝統的に「女性は料理を含む家事(・育児)を担うのが当たり前」という価値観にずっと自己否定をされてきたからでもあるだろう。
家事というケア労働が女性にばかり課されてきたジェンダー規範について、このドラマは、あいことゆきの価値観の差と対話によって、乗り越えようとする姿を見せてくれる。
このふたりのやりとりが、あいことともこの共同生活とも影響し合うから、さらに深みが増す。
あるエピソードで、皿洗いや植物の水やりといった作業の細部が気になってしまうゆきに対して、あいこは家事代行を提案する。ゆきはときどき頼む程度の想定で承諾する一方、家事が苦手なのにがんばった結果キャパオーバーになって、毎日お願いしたいくらいのあいこは疲れを感じていた。一方ともこは、お互いの仕事が多忙な時期に同じ提案をされると、すぐ「ありかも。実際どんな感じなんだろう」と応じる。
恋愛・結婚を夢見るという点では規範的なあいこが、一方で、その規範に苦しめられてきた自分の話を聞いてもらえた、許容して肯定してもらえたという面でも、あいこにとってはきっとそういう返答が必要だったようにわたしには見えた。
女性同士の違い、男性の苦悩…誰も取りこぼさない物語さらにこのドラマでは、あいこの会社の先輩である女性たち、ともこの担当編集者や憧れの絵本作家らを通して、経済格差、世代、正規雇用と非正規雇用といった境界にふれながら、同じ「女性」であっても違いがあり、ひとつの万能な解決策がないことをきちんと見据えている。
ジェンダー役割規範に縛られているのは、女性だけではない。
ある日ゆきは、偶然しんたと知り合う。「頼りない」「男らしくない」とフラれたとボヤくしんたに、ゆきは「まあ、そんなもんじゃないですか。男なんだから」「将来設計しっかりできてないならすればいいし、泣くのは我慢すればいいし、弱音は耐えればいいだけの話じゃないですか?」と返す。これはまさに、家父長制を支えるジェンダー規範における、男性性の表れだ。
男性と見なされた人たちに対し、健康で、しっかり働き、経済力があり、家族を支えるが弱音は吐かない、といった自立と自律が求められてきた/いる。しんたは、そんな規範を「男らしさ地獄」と呼び、異論を唱える。
あいこも、しんたについて「男同士、仕事とかいろいろ積もる話もあって、意気投合しちゃってさ」と言うゆきに不満を抱く。同じ内装デザイナーであるにもかかわらず、仕事の悩みや愚痴を共有してくれないのは、女には本質がわからないということなのか、とあいこは問う。「我慢するとか勝手に自己解決してさ。あたしは話し合う相手にも値しないってことなのかよ」と。
同じ男性なのに、違う価値観のしんたや、ひとりの人間同士としてのコミュニケーションを求めるあいことのやりとりを通して、ゆきは自分を省みて、少しずつ変わっていく。あいことともこが、互いの違いや楽しさを共有しながら、変わっていくように。
「参鶏湯」に詰まった愛ある夜ともこは、あいこと楽しみに見ていたドラマの主演ふたりの“熱愛報道”に、「怪しいと思ってた」「“友達としか見られない”って言ってるときはだいたい何かあるパターン」と決めつけてかかるあいこに、偏見だと憤る。
「恋愛は正義、恋愛は絶対って空気やっぱりあるよなあって。すべての人がそれで幸せになれるわけじゃないのにさ。もちろん素敵なことだってのはわかってるんだけど。だからこそ複雑っていうか」と悩んでいたともこは、しんたといた日中、カップルだと決めつけられる経験をして、不満を募らせていた。
あいこはその場では反発したが、お風呂に入ってから謝ったところ、ともこも八つ当たりだったと謝り返す。理解して見守ってくれるだけでいいのにと、ともこは割り切れなさを吐露する。
そんなともこが愚痴ってから、あいこに出した献立が参鶏湯だった。このメニューを選んだのは、あいこが風邪をひきそうだったから。「見てたらわかる」そのともこの一言からは、生活を支えるのは、相手を思いやること、よく観察することだという示唆がうかがえる。丸鶏の中にもち米を詰めて、にんにく、生姜、長ネギ、ナツメなどといっしょに煮込む参鶏湯を食べながら、あいこが声をかける。
「ともこさ、別に欠けてなんかないからね。愛はいっぱい詰まってるよ。いつもありがと」
クサいセリフだけど、蓮佛美沙子が作り上げる気安く誠実なあいこの言葉は、料理と響き合うようにスッと飲み込ませてくれる。きっと“普通”とは違うと自分を責めたり、他人を信じられなくなったり、愛とはほど遠い欠落した人間なのではと感じてしまう経験を積んできただろうともこに、しっかり響いてるように見えた。そして新作の絵本で描きたいテーマに気づかせてくれる。
「なんていうか、新境地に行くんじゃなくて、今ある生活の中で描けるものを探したいっていうか。自分の手元にあるものでじゅうぶんな気がしてて。わたし、今の生活を愛してるんです」
そう編集者に伝える、慈しむような顔のともこを演じるトリンドル玲奈がすばらしい。
『今夜すきやきだよ』は身近な誰かの話生活の楽しさや喜びだけじゃなく、そのあいだ/中でのすれ違いや葛藤を無理やり解決せずに含めているところも、このドラマの誠実さだと思う。誰かと親密になったり共に生活をしたりすると、信頼しているからこそ無防備に出てくる素直な会話の豊かさの一方で、どうしたってタイミングの悪さや配慮のない言葉で怒らせてしまうことはあるだろう。何かがおかしいと思ったときにきちんと伝え合い、変われるところは変わろうとする関係性が、あいことともこの生活には漂う。
あいこがゆきと付き合うことになっても、結婚の話が出てきても、結婚や恋愛で結びついていないあいことともこの共同生活が終わるという、安易な展開には着地しない。
現実にはまだまだ見る機会がほとんどない、多様な関係性やコミュニティのあり方を提示しようと、問い続け、踏みとどまり、希望を模索し続けてくれる。その忍耐が、終わりのない日常、生活の描写を通して伝わってくるのがこのドラマのすばらしい点だ。
これは奇想天外な話なんかじゃない。わたしたちの生きている現実に、街のどこかにあいこやともこのような人は暮らし、食事や家事をしたりしなかったりしながら、生活をきっと営んでいるはず。
(鈴木 みのり)

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