ITの急速な発展と普及により、私たちの生活は格段に便利になりました。一方、以前はなかった様々な問題が噴出しています。興味深いことに、1990年代のアメリカ映画には、あたかも今日の状況を既に予見していたかのような作品がみられます。NHKエンタープライズ エグゼクティブプロデューサーの丸山俊一氏が著書「アメリカ 流転の1950ー2010s 映画から読む超大国の欲望」(祥伝社)より解説します。

インターネット時代の「リアル」とは何か―『マトリックス』

爆発的に広まったインターネットは、現実とは別の空間、もう一つの世界を作り上げた。現実と虚構とが共存する日常が当たり前となり、次第に何かが見失われ始めていた。

未知なるテクノロジーへの不安とインターネットの広大な情報の海に飲み込まれていく感覚が人々の間に広がっていく。

自分が生きていた世界が全て虚構だったことを知った、キアヌ・リーヴス演じる主人公ネオが、人類を解放するため、支配するAI・エージェント・スミスに戦いを挑む。そんなストーリーで世界的なヒットとなったのが『マトリックス1』(1999)だ。

※1『マトリックス』(The Matrix) 1999年 監督:ウォシャウスキー兄弟(ラリー・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー) 出演:キアヌ・リーヴス、ローレンスフィッシュバーン ▶ハッカーであるネオは、ある時謎のメッセージを受け取る。そのメッセージの発信者トリニティと会ったネオは、モーフィアスという男を紹介される。モーフィアスは「人間が通常見ているこの世界はコンピュータによって作られた仮想現実だ」と驚くべきことを言う。

現実に目覚め戦うのか、夢を見続けるのか。現実を夢が侵食する時代に、リアルとは何かという問いが突き付けられる。そうした人々の感覚を、歴史家のブルース・シュルマンボストン大学教授)は次のように分析する。

「パソコンとネットは政治、経済、文化、そして社会生活や人間関係を一変させるものであることを、人々は感じました。だからこそ、その世界に積極的に飛び込む人もいれば、不安を覚える人もいたのです。

キアヌ演じる主人公のネオは、抵抗軍のリーダー、モーフィアスから青いカプセルを飲むか、赤いカプセルを飲むかの選択、すなわちマトリックスの世界に入るかどうかの決断を迫られます。赤いカプセルを飲んで、現実に目覚め、闘う覚悟はあるのか、と。それはまさにネット社会の入口にいる人々に向けられた問いだったのです」

作られた「現実」に埋没する世界―『トゥルーマン・ショー』が見せる不安

今では当たり前だが、街に監視カメラが溢れ、人々がリアリティショーを楽しむようになったのもこの頃のことだった。そうした人々の姿を極限の形で描いたのが『トゥルーマン・ショー2』(1998)だ。

※2『トゥルーマン・ショー』(The Truman Show) 1998年 監督:ピーター・ウィアー 出演:ジム・キャリーナターシャ・マケルホーン、エド・ハリス ▶シーヘブン島で暮らすトゥルーマンは、島の外に出たことがない。実は、彼はリアリティ番組『トゥルーマン・ショー』の主役であり、島も住人も全てがセットなのだ。そのことを知らないのは彼だけだった。不審な点を見つけた彼は、何とか島を抜け出そうとする。

シーヘブン島で暮らす青年トゥルーマンは穏やかな日々を送っていたが、ある一つの綻びによって、自分が生まれた瞬間から人生を24時間・生放送されていたことに気づく。

作られた「現実」のなかに埋没する危険性

しかし、作家カートアンダーセン(「ニューヨークマガジン」元編集長)は、誰かによって作られた「現実」の中に埋没しているのは、トゥルーマンばかりではないと警告する。

「『トゥルーマン・ショー』は、私の言葉で言えば、『幻想・産業複合体3』による陰謀によって作り上げられた『現実』の中で生きている人の物語です。

※3「幻想・産業複合体」 カートアンダーセンによる造語。幻想(ファンタジー)と産業(商売)が密接に結びつき、アメリカ社会を動かしていく主体となっていることを指す。例えば、ハリウッドディズニーランドなど。

この映画がヒットしたということは、その時点で私たちがこうした世界を受け入れる素地ができていたということなのです」

一人の人間の私生活が途切れることなく世界に配信される恐怖を、主演のジム・キャリーはこう語った。

「この映画のすごいところは、二つの対照的なものが見事にミックスされている点。一つはトゥルーマン自身。みんなが持ちたいと思っている良き価値観そのもの。もう一つは、トゥルーマンの存在をみんなが無自覚に娯楽として楽しんでいるというリアルな怖さ」(「スクリーン」1998年12月号) 「この映画で描かれているようなことが現実に起こりうるかと聞かれれば〝あり得ることだ〞と僕ははっきり言うだろうね。今、現実に起きている。はっきりと自覚できる形でなくても、確かに類似したことはあるし」(「キネマ旬報」1998年11月下旬号)

1990年代とは何だったのか―文化は分断された

テクノロジーの進歩と共に、人々のプライバシーは監視され、晒され始めていく。

トゥルーマン・ショー』が公開された年、前代未聞の不倫スキャンダルが持ち上がる。

クリントン大統領がインターンだったモニカルインスキーと性的関係を持っていたというのだ。大統領はテレビ演説で「私はあの女性と性的関係は持っていません。ルインスキーさんと」と主張した。

全てをショーとして消費し、現実を虚構という商品に変える。90年代、大衆の好奇の目はいつの間にかいびつに歪んでいった。

トゥルーマン・ショー』の最後で、主人公はスタジオから脱出する。これまで彼の人生を、娯楽として消費し続けてきた視聴者は歓喜する。錯覚のような日常。しかし、膨張を続ける歪んだ欲望が噴出する時、現実は容赦ない。

アメリカの歴史における「90年代」の終わりとは

トゥルーマン・ショー』公開の翌99年、現実と夢の見境がなくなったかのような痛ましい事件が起きる。コロンバイン高校で学生が同級生ら13名を射殺し、全米を震え上がらせた。世界に敵なしとなったはずの冷戦後のアメリカ。

しかし代わりに、自らの心の内側に、新たな敵が芽生えつつあったのか? 次第にコントロールを失っていく超大国の不安は、過去のものではないとシュルマンアンダーセンの2人は口を揃える。

【シュルマン

「アメリカの歴史で1990年代はいつ終わったのか? と問う時、それにはっきりと答えることは難しいと感じています。2001年9月11日に終わったと明言した時も以前ありましたが、今では本当に90年代は終わったのか確信が揺らいでいます。

経済の世界同時不況の影響の大きさや暮らしに浸透したスマートフォン、ソーシャルメディアなどが人々の生活にいかに深く結びついているか。その文化的、経済的、社会的な影響は9・11のエポックよりももっと長く切れ目のない波かもしれないのです」

アンダーセン】

90年代以降現在にいたるまでは『誰もが揃って見るもの』がどんどん少なくなってきた時代です。いわば文化は分断されたのです。100万人が好きなものと100万人が好きなものとに分断されたのです。

全員に受け入れられるものは急速に減っていく一方です。皆が同じものを見て同じことを考える。今となっては懐かしい時代の話ですね。90年代とは私にとって文化的に本当に新しいことが起きた最後の時代でした」

ITが経済を牽引した90年代、ネットが世界をつなぐ万能感に人々は夢を見た。グローバル化は世界をつなげ、イデオロギー対立の影は薄まり、より良くするだろう。だが、地球上を市場とデジタルの網の目が覆うかのような大量消費社会がもたらした豊かさによって、世界は本当に良くなったのだろうか。

90年代の人々の心を象徴するようなシーンが、20世紀最後の年に公開された映画『キャスト・アウェイ4』(2000)にある。

※4『キャスト・アウェイ』(Cast Away) 2000年 監督:ロバート・ゼメキス 出演:トム・ハンクス、ヘレン・ハント ▶運送業界で働くチャック・ノーランドは、出張のために乗った飛行機が何らかの原因で大破し、墜落。無人島へ流れ着く。目覚めた彼は途方に暮れるが、次第に生活力を身につけ、バレーボールの「ウィルソン」を話し相手に何とか暮らしていく。4年が経ったある日、チャックはいかだを作って島から脱出することを試みる。

荷物を少しでも早く届ける1秒を争う競争の中にいたシステムエンジニアを乗せた飛行機が、太平洋で墜落。無人島に辿り着いた彼が、帰還するまでの4年間の物語だ。

『キャスト・アウェイ』に込められた問い

無人島で必死に生き延びる彼は、一緒に島に流れついたバレーボールにウィルソンという名前をつけ、心の友とする。バレーボールにひたすら話かけることで心の平衡を保つ男の姿を見ているうちに観客たちは、複雑な感慨に囚われる。私たちと彼は、一体どこが違うのだろう?

『フォレスト・ガンプ』から4年。再びタッグを組んだトム・ハンクスとロバート・ゼメキスは、主人公の運命に90年代を総括するような問いを背負わせた。

日々の慌ただしい流れに身を任せているうちに、私たちは、何かを失ってしまったのではないか? 一人、空虚な自己満足の言葉を、誰かれ構わず、投げかけるようになってしまっていたのではないか。

トム・ハンクスの姿に自分を重ね、アメリカという国が大事にしてきたものの喪失へと想いを馳せても、失った時は返ってはこない。

90年代アメリカは、綻びが出始めていた。

そんな時に冷戦が終息、歴史的な大きな物語に人々の目が奪われているうちに、国内で抱える不安、葛藤と向き合わずに済んでいたのかもしれない。それを覆い隠すかのようなITブーム、グローバル化の急激な進展とその過程で喪失した、アメリカの美徳。

だが、新たな世紀を迎えてすぐ、大きな危機がアメリカを襲うことになる。

丸山 俊一

NHK エンタープライズ

エグゼクティブ・プロデューサー

(※写真はイメージです/PIXTA)