(筆坂 秀世:元参議院議員、政治評論家

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自らの意思で離党した

 JBpressに原稿を書き始めて10年以上経過した。この間、240本を超える原稿を書いてきた。1本3000字として72万字以上書いてきたことになる。つまらない原稿も多々あったと思うが、付き合って添削していただき記事を掲載し続けてくれたJBpress編集部に感謝申し上げたい。

 私は55歳の時に参院議員を辞職し、2年ほどは共産党中央委員会で1人の勤務員として働いていた。しかし、党外では「共産党ナンバー4」などと週刊誌で書かれていた私が、いきなり一勤務員となって、政策委員長を務めていた政策委員会に所属した。周りは扱いに困ったと思う。それまで党中央委員、常任幹部会委員、政策委員長、書記局長代行、参院議員という肩書きがあったのだからそれも当然だ。

 中央委員は中央委員会という組織に所属しているが、一党員になれば必ずどこかに支部に所属しなければならない。普通は政策委員会の支部に所属するのだが、声がかからないのだ。“危険物”扱いだった。党費を納める組織がないという状態だったのだ。

 仕方がないから政策委員会担当の常任幹部会委員に声をかけた。だが、それでも明確な話はなかった。共産党の専従者というのは、こういうところがあるのだ。「筆坂と話して何か責任を問われたら困る」ということなのだ。

 党本部の食堂で一緒になったある女性衆院議員に「一緒に食べようよ」と声をかけたら、無視されて、別のテーブルに行ってしまった。私が失脚する前は、よく飲食を共にしていた人だったのだが、態度が一変した。

 この人は近畿ブロックの比例で当選していたのだが、この後、近畿ブロック事務所に戻った際、「本部の食堂で筆坂に『一緒に食事しよう』と言われて参ったよ」とこぼしていたという。私は役職を罷免になっていたとしても共産党員であった。共産党流の言い方で言えば「同志」のはずなのだが、そうではないことを思い知らされた。

「同志愛」などという言葉が共産党の中で使われたものだが、そんなものは無くなってしまったのだろう。いま共産党は、党首公選論をめぐって松竹伸幸氏、鈴木元氏を除名処分にしたために、大騒ぎになっている。

 別に自慢するわけではないが、私は除名にされたわけではない。自らの意思で離党したのだ。政策委員会に所属といっても仕事は何もなかった。いつ出勤しようが、いつ帰ろうが誰にも文句は言われなかった。我慢さえすれば、これほど楽なことはない。給料も多くはないが、生活できる程度にはもらっている。だが私はこれには我慢できなかった。だから何の展望もなく、共産党に離党届けと退職届けを提出した。2005年のことである。

 以来、政治評論家としてテレビの出演、雑誌への寄稿、本の出版などを行ってきた。JBpressへの寄稿もその1つだった。そして経歴上、日本共産党について多くを語ってきた。今回がその最後である。

噴出した党改革の要望、2人の除名で終わるのか

 党首公選論を求めて本を出版した現役の日本共産党の党員2名が党を除名された。

 1人は元共産党中央委員会の政策部門で安保外交部長を務めていた松竹伸幸氏。もう1人は共産党が強い京都で活動してきた党歴60年の古参党員鈴木元氏で、同氏は志位和夫委員長の退陣を求めている。

 松竹氏は志位氏の退陣を求めてはいないが、全党員による選挙が実施されれば、自分が立候補するというのだから、志位氏らに不信任を突きつけているのと同じことだ。こんなことはこれまでの共産党にはなかったことだ。

 除名処分に対し、もちろん2人は反論し、共産党との間で激しい論争が行われている。これまで“一枚岩”と言われてきた共産党でなぜこんな異例なことが起こったのか。

 根底にあるのは、共産党の組織的、理論的な行き詰まりである。それだけに、事は深刻である。松竹氏のブログを見ていると同氏に共感する声が多く寄せられているようだ。離党するという党員に、松竹氏が党に残るように説得しているケースもあるという。松竹氏も、鈴木氏も、党を破壊しようというのではなく改革しようという提案を著書で行っているのだから、当然のことなのだ。

 だがこの2人への処分が与える影響は、今後じわじわと広がって行くように思う。特に鈴木氏の著書は、ある意味、志位指導部の無能ぶりを見事に、かつ的確に突いているからだ。この指導部が出す方針を、果たして多くの党員が受け入れるのか。興味深い。

9年前の党大会で共産党は何と言っていたか

 実は9年前、第26回党大会についての論稿をJBpressに寄せていた。タイトルは、「お気楽すぎる共産党『党大会』」というものだった。

 実は前年(2013年)の参院選挙で共産党は久しぶりに議席を増やしていた。それをなんと言っているか。「参議院選挙では、自公政権が参院でも多数を握る一方、野党のなかで日本共産党がただ一つ躍進を果たした。(中略)1960年代終わりから70年代にかけての“第1の躍進”、90年代後半の“第2の躍進”に続く、“第3の躍進”の始まりという歴史的意義をもつものとなった」というのだ。

 これを読んだ途端、何という愚かさかとあきれた。第1も、第2もすぐに終わったから第3が来たのだ。次は第4を待つということか。実際、第3はすぐに終わり、今長い“冬眠状態”に入っている。

 それだけではない。日本共産党第26回大会決議では次のように述べている。

自民党日本共産党との間の自民党批判票の「受け皿政党」が消滅した。「二大政党づくり」の動きが破たんし、「第三極」の動きがすたれつつあるもとで、日本共産党自民党への批判を託せる唯一の党となっている〉

〈こうした政党地図は、戦後日本の政治史でも、かつてなかったものである。1960年代終わりから70年代90年代後半に日本共産党が躍進した時期にも「自共対決」ということがいわれたが、この時期には、自民党日本共産党との間に自民党批判票の「受け皿政党」が存在していた。支配勢力は、その後、それらの政党を反共的に再編し、日本共産党抑え込みのシフトをつくりあげていった。しかし今回は、そうした中間的な「受け皿政党」が存在しない。「自共対決」という政党地図が、かつてない鮮やかさをもって、浮き彫りになっている〉

 民主党も、日本維新の会の存在も無視する傲慢さだ。「自共対決」がどこにあるのか。もはや、共産党はあって無きがごとくになっている。恥を知る指導者ならこれだけ現状認識が間違っていたら潔く退陣するだろう。

無責任な党勢拡大目標に痛みを感じないのか

 党勢拡大の目標についても、第26回党大会では、「50万の党員(有権者比0.5%)、50万の日刊紙読者(同)、200万の日曜版読者(2.0%)──全体として現在の党勢の倍加に挑戦することを提起する」としていた。

 減り続ける中で倍化を決めるなどというのは、まともではない。現に今では倍化どころか、党員26万人、「赤旗」読者90万人になっている。ところが今年(2023年)1月、志位氏ら共産党指導部が打ち出したのは、これからの1年間で現在の勢力を130%増にしていこうというものだった。

 こんなものは無理に決まっている。誰でも分かっているはずなのだ。だがこんな目標が立てられてしまう。目標を決める会議に出ているのは、共産党から給料をもらっている専従活動家ばかりだからだ。ただ志位氏らの提起をそのまま認めているだけなのだ。

 ここまで落ち込んでしまった国会議員数や党員、「赤旗」の現状は、志位氏だけの責任ではない。中央委員など専従活動家の責任でもある。無責任な党勢拡大運動に参加する党員も激減している。

 そのツケは、地方議員に回ってくる。間もなく統一地方選挙だが、共産党の地方議員に大いに頑張ってもらいたい。共産党にとっての最後のよりどころは地方議員だからだ。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  「党首公選」提唱の松竹氏を除名処分、党改革を拒む日本共産党の理不尽な論理

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