
ノンフィクション作家・奥野修司氏による「ルポ 農家が嘆く『有機栽培』の壁」の一部を転載します。(「文藝春秋」2023年4月号より)
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「虫が死んじゃうわけだからね」成田空港にも近い千葉県北部。見渡すかぎり灰褐色の畑が広がっていた。知人の農業関係者が運転する軽四輪は農道を駆け抜けると、一軒の家の前で止まった。ニンジンを中心に「慣行栽培」をしている農家だ。農薬や化学肥料を使わない「有機栽培」に対して、農薬や化学肥料を使う栽培法を「慣行栽培」という。
長年、私は農薬の害について取材を重ねてきた。病害虫を殺し、雑草を枯らす農薬が、人間の健康に良いと思う人はいないだろう。日本人の多くは安心安全な食品を求めているのに、国産の有機野菜は出回っている量の1%にも満たない。なぜなのか。その背景には、消費者には伝わってこない生産者の事情があるのではないか。東北から九州まで、畑を見ながら生産者の声に耳を傾けた。
まず訪ねたのが、巨大な消費地を抱える首都圏の農家だ。開口一番、農薬を手放せない理由は「連作障害だ」と言う。毎年、同じ畑で同じ作物を植えると土壌のバランスが崩れて病原菌などが増え、野菜が育ちにくくなることを連作障害という。これを抑えるのに農薬で土壌を消毒する。ただし、土壌消毒によく使われる農薬のクロロピクリンは、EUで禁止されているほど毒性が強いことは、消費者はもちろん農家にもあまり知られていないという。
「農薬を使わないと、市場が求める規格に合わないものができて安く買いたたかれるし、量が揃わなければ他の産地にシェアを奪われる。だから無理して使っているんです。土地を休ませればいいけど、耕地に余裕がないから無理でしょうね」
――連作するとどうなるんですか?
「ニンジンに黒いシミのようなものが出ます。食べても味は変わりませんが、シミが1個か2個だと見た目が悪いということで、等級が下がって買い叩かれ、3個以上なら捨てています。出荷する野菜には形や重さに細かい規格がありますから、つい農薬を使ってしまうんです」
連作がやめられない理由には機械化もあるという。農機具はとにかく値が張る。ベンツを買うほどの値段は当たり前の世界だ。人手が足りないから機械に頼り、その機械に合わせた単一品種を大規模に作付けするようになる。農作物を工業製品のように大量生産すると、どうしても病気など歪みが生まれるのだろう。
「前は畑で掘ったニンジンを箱詰めしていましたが、今は機械で掘ってフレコンという巨大な袋に落とします。落とす衝撃で割れるから、硬いニンジンを植えていますが、味は良くない。おいしい品種を作りたいのに、借金して機械に投資しているので、そうせざるを得ないんです」
――農薬についてはどんな思いで使っていますか?
「安全だと言われても、虫が死んじゃうわけだからね。体にいいとは思いませんが、基準値内で使用すれば安全だと思っています」
案内してくれた農業関係者が農協の作成したA4判の冊子を見せてくれた。野菜の栽培マニュアル、というか虎の巻である。どんな農薬をいつどれくらいの量を散布すればいいか懇切丁寧に綴られている。ニンジンはやはり土壌消毒から始めるようだ。ふる回数がもっとも多いのはナスで、冊子の指示通りなら年間に60回も農薬を撒くことになる。
「こんなに使っているんですか」と思わず声をあげる。「そうだよ、知らないのは消費者だけ」と、知人はそっけなく言った。「書いてある通りにするわけじゃないけどね」と笑うが、半分でも不安になりそうだ。この農薬が作物に残っていれば、私たちは農薬を食べることになる。
神経系に働く最新の農薬農薬の毒性で頭に浮かぶのは、おそらく「中国製毒ギョーザ事件」のような中毒症状ではないだろうか。戦後普及した「化学合成農薬」は当初、DDTなどの有機塩素系だったが、毒性が強くて70年代にほぼ使用禁止になった。代わって昆虫の神経系に働いて殺す有機リン系が登場し、90年代になると、さらにその効果が増強されたネオニコチノイド系農薬(ネオニコ)が登場する。
この農薬はどういう毒性なのか。ネオニコの研究では世界でもトップレベルの研究者である、神戸大学大学院農学研究科の星信彦教授に聞いてみた。
「医薬品も農薬も人に摂取されることが前提ですが、医薬品は実験動物と人とで安全性試験があるのに対し、農薬は動物でしか試験ができません。なぜなら農薬は『毒』だからです。人間で試験できないのですから、口が裂けても農薬は安全だなんて言ってはいけないのです」
農薬は、動物に投与しても毒性が見られない「無毒性量」の数値を定め、そこから食品に残留する基準値を決めている。その無毒性量をマウスに投与すればどうなるか……。
「ちょっとした環境の変化で不安になってマウスがチッチッチと鳴いたり、異常行動をとります。特に思春期のマウスを使うとこの障害が大きく出ます。また、腸内細菌叢を変えて免疫の暴走を制御する細胞を減らしてしまうので、自己免疫性疾患やアトピーなどアレルギーにつながる可能性があります。昔の農薬と違い、飲んで死ぬようなことはないですが、障害が目に見えにくいのです」
そんなデータがあるなら、なぜ問題にならないのだろうか。
「メーカー側の試験方法は我々とちがい、OECD試験ガイドラインという発展途上国でもできる古くて限定的な方法だから、神経毒性を調べるのは難しいのです。現行の試験に問題があれば安全基準がゆらぎます。さらにこの毒性は、感受性に左右される、つまり受ける影響には人によって差があるのです。自分は大丈夫だからといって、この農薬は安全と思ったら大間違いなのです」
データはメーカーまかせ問題があるのなら、農林水産省が試験をやり直すべきではないか。
「データは企業からいただいていると農水省の人は言っています。そこには我々のような学術論文は含まれていませんから、そもそも問題意識がないのだと思います。さらにメーカーは、国民の健康を担保する毒性試験のデータを公開していないのです。審査される側に情報をゆだねていることは完全に利益相反になっています。試験に問題があれば、安全性が根本からゆらぐということを真剣に考えるべきです」
神経毒性は目に見えないし、人体に悪影響を及ぼすことがわかったときは、取り返しがつかない。だからEUは「予防原則」という考え方にもとづき、ネオニコ系農薬の使用を厳しく制限しているのだが、日本では今も大量に使われている。そこでリスク管理機関である農水省へ聞いた。長文なので回答を要約する。
――農薬の使用基準はどんなプロセスで決定されるのか。
〈申請者(農薬メーカー)が病害虫に効果があるか、安全性が確保されるか等の試験を行った上で、その農薬の登録を申請し、農水省は関係法令に基づいた科学的な審査をして登録します〉
星教授の指摘したようにデータは農薬メーカーまかせなのだ。もっとも、これは医薬品も同じだから、農薬だけをやり玉にあげるのはフェアではない。問題はそのデータの正確性、中立性をどう検証したかだ。
〈データは、OECDの試験ガイドラインや、試験を行う施設が満たすべき要件に関する国際的な基準(GLP基準)に従って実施された試験によるものとされており、農林水産省は、試験がこれらのガイドラインや基準に適合して実施されたか等の確認を行っています〉
ガイドラインや基準に準じて試験しているから正確だという。OECDガイドラインそのものについては、〈OECD加盟各国による科学的議論の結果整理されたものであり、また科学の進展とともに、必要に応じて更新されている〉と、焦点をぼかした回答だった。
地域で異なる残留基準値驚いたのは、日本の残留基準値は諸外国よりゆるいのでは、という疑問に対する回答だ。
〈農薬の使用方法は、その国の気候、病害虫の発生状況や栽培実態を踏まえて定められている。同じ農薬で同じ食品であっても、我が国の基準値がアメリカやEUといった他国の基準値より高いものもあれば、低いものもあり、我が国の基準値が一概に緩いと言うことはできません〉
残留基準値は人体への安全性を担保するものだと思っていたが、栽培する場所で変わるというのである。高温多湿で虫や雑草の多い地域に暮らす人間が、そうでない地域の人より農薬への耐性が強いとは限らないと思うのだが。
農水省は、人体への影響も含めて科学的な審査をしているから農薬は安全だ、と繰り返す。しかし海外では農薬の安全性への疑問から、有機栽培が広がっており、この10年で栽培面積がほぼ倍増している。
なぜ、世界一、消費者が安全安心にこだわるとも言われる日本で、有機栽培が広がらないのか。さらに探るため、日本でも指折りの農業県である鹿児島の農業現場に向かった。
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ノンフィクション作家・奥野修司氏による「ルポ 農家が嘆く『有機栽培』の壁」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年4月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

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