
「がんにならない」「死なない」生き物から不老長寿の秘密を探る。ノンフィクション作家・河合香織氏の新連載「老化は治療できるか 鍵を握るネズミとクラゲ」を一部転載します。(月刊「文藝春秋」2023年4月号より)
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生物の研究の最前線から前回見たように、最先端の研究によると、健康寿命は延ばせても、最大寿命には「120歳前後」という絶対的な限界があるという。老化と死はあらかじめ遺伝子にプログラムされており、老化した細胞にもがん細胞の増加抑制などのメリットがあることがわかってきた。また、「寿命の延長」と「生殖」は二律背反の関係にあり、アンチエイジングのためには生殖を諦めなければならない可能性もあることが見えてきた。
だが、地球上には長寿と生殖を両立させている生物も存在する。今回はそのような生物の研究の最前線から、ヒトの寿命を延ばせる可能性を探ってみたい。
グーグルが15億ドルの投資をした老化研究所・カリコでは、ハダカデバネズミが研究対象とされている。ハダカデバネズミはその名のとおり皮膚に毛がなく、前歯が出ている体長10〜13センチの小型のネズミである。アフリカ東部に生息し、サバンナの地中にトンネルを掘り、コロニーを作って生息している。目はほとんど見えず、鳴き声によって序列の区別をしている。
注目は、その寿命である。ハダカデバネズミの平均寿命は約30年で、3年が寿命とされるハツカネズミの10倍も長寿である。
もし寿命を10倍延ばせるなら、人間の最大寿命120歳の10倍の1200年生きることも可能になる――と考える人たちもいると聞く。そんなことが実現できる鍵が、このネズミに隠されているのだろうか。
代謝が低いほうが長生きする熊本大学大学院生命科学研究部の三浦恭子教授の研究室では、約1200匹ものハダカデバネズミが飼育されている。デリケートな生き物で、強い香りが大きなストレスになってしまうということで、念のため化粧品も避けて研究室を訪れた。飼育室に入ると、ケージの中で5重にも6重にも折り重なって眠るハダカデバネズミの姿が目に飛び込んできた。
ハダカデバネズミが長寿な理由の1つに、「分業」が関連していると三浦教授は言う。餌を運ぶ係や穴掘りをする係、生まれたばかりの赤ちゃんを守るために布団のように上に乗る「布団係」まである。
なぜ分業制が長寿に関連するのかは昔から研究されてきた。昆虫の中にはハチやシロアリのように、繁殖は女王様と王様だけが担い、他の集団はそれを手伝うという真社会性の生物がいる。哺乳類ではハダカデバネズミとダマラランドデバネズミだけであると三浦教授は言う。
「真社会性を持つ種では、繁殖個体が長寿化する傾向にあることが知られています。繁殖個体が生殖細胞としての役割をもち、他のワーカーは体細胞としての役割をもち、集団全体があたかも1つの個体としてふるまっているかのように見えます(超個体)。そうなると女王を長生きさせる方が、集団が繁栄する可能性が高まるので、女王や王が長生きする方に進化していきます。ハダカデバネズミでも、ワーカーは20歳代が寿命ですが、女王は30年以上で、37歳まで生きている王の報告もあります」
女王はすぐに見分けがつくという。少し背骨が長く、見た目が他のハダカデバネズミよりも白くなる。ハダカデバネズミにおいては上位の個体のほうが色が白いのは、序列が上がるほど外に出る機会が少なくなるから、メラニンを喪失していくのではないかと言われているそうだ。
「ストレスの分散、リスクの分散という意味では分業がいいかもしれませんね」
だが、女王以外の個体も長寿なのは、これだけでは説明できない。そこにはハダカデバネズミ特有の機能があるのだという。
「ハダカデバネズミが長寿なのは、総エネルギーをあまり使っていないからです。空気の出入りが少ない地中に生息しているので、あまり酸素を使わないように進化しており、無酸素でも18分間生きられます。また、餌が少ない環境に適応しているので、生まれながらに省エネでもあります。総心拍数はマウスの3分の1くらいと少なく、体温も代謝も低い。体温は32℃ほどで恒温機能が弱く、外気温が低下すると動けなくなります。そもそも体温を維持するための熱の産生にあまりエネルギーを使っていないことも、長生きの大きな要因だと思います」
他の動物でも、低酸素環境になると長寿になるという報告もある。マウスを低酸素で高二酸化炭素の環境で飼うと、少し寿命が延びたそうだ。
代謝が低い動物種のほうが長寿だと三浦教授は言う。一般的には代謝すればするほど活性酸素が出るなど、様々な要因で細胞のダメージが進むからだと考えられている。ただ、これは種間で比べた場合の話であり、ヒトが無理やり代謝を下げるのはよくないかもしれない。むしろ適度な運動で代謝をあげるほうが体の恒常性の維持のためには良いというのが大半の研究の結果だ。
「低代謝の動物種の方が、歳をとる速度がゆっくりになります。例えば大きい動物の方が体重に対しての体表面積が少ないので、結果的に熱放散が減るから、寿命が長くなるという話はあります。あとは非常に水温が低いところにいる生物や深海にいるシーラカンスのような生物も寿命が長い種が多い」
そう考えると、あまり動かずにじっとしている人の方が長生きするのだろうか。
「同じ種の中で比べた場合、少なくともヒトの場合は、筋肉を保つために適度に運動した方がいいでしょう。でも、常にあまり代謝を上げ過ぎるとよくないでしょうね」
がんになりにくいメカニズムハダカデバネズミは、ゾウと同じようにほとんどがんにならない。それはDNAのダメージを受けた場合の修復力が強いことが一因だと考えられている。
「私たちの研究では、ハダカデバネズミとマウスの神経幹細胞(神経細胞の元となる幹細胞)を培養して、同じ量の放射線を当てた場合、DNAへのダメージがハダカデバネズミの方が低いことがわかりました。照射された次の日に死亡数を比べると、ハダカデバネズミの細胞はあまり死んでいない一方、マウスの細胞は4割くらいが死んでいました」
ハダカデバネズミは人類とは遠い生物のように思えるが、DNAの修復に関わるタンパク質は、人間と共通だという。「ヒトでもそういったタンパク質の活性を上げれば、もしかしたら寿命が長くなる可能性はあるかもしれない」と三浦教授は話す。
さらに、インフラマエイジング(炎症による老化)と呼ばれる、慢性的な炎症が続くことで身体の老化が加速するメカニズムについても、ハダカデバネズミでは起こりにくいことを三浦教授らは明らかにした。
慢性の炎症が起きる原因は多様である。前回紹介したように、老化細胞が炎症性物質を出すことも一因となるし、環境からのストレスも要因となる。さらにDNAがダメージを受けた場合に出す免疫細胞も、炎症の原因になる。
「炎症反応は紫外線や乾燥などの外部刺激に対する生体に必要な防御反応ですが、歳をとると体の組織の中で慢性的な炎症が持続し、線維化が起こったり、臓器の機能が低下するような変化が起こります。このインフラマエイジングががんや老化関連の病気、糖尿病や心疾患、動脈硬化などを促進すると言われています」
人間についてもインフラマエイジングは注目されており、化粧品会社は肌の老化を防ぐためのケアとしてその研究に取り組んでいる。
「ハダカデバネズミにインフラマエイジングが起こりにくい要因の1つとして、内因性の炎症が起こりにくいことが今回初めてわかりました。プログラムされたネクローシス(壊死)である“ネクロプトーシス”が起きにくい」
細胞の死にはいくつかの種類があり、細胞にあらかじめプログラムされたアポトーシスという「きれいに死んでいく」死に加えて、細胞が破裂しながら死んでいくネクロプトーシスというプログラムされた死がある。このネクロプトーシスは強い炎症を誘導するが、ハダカデバネズミではネクロプトーシスを誘導するマスター遺伝子の機能が変異によって失われている。
「マウスにネクロプトーシスを起こさないような薬を投与すると、発がん剤を投与しても組織の炎症が起こりにくくなって、がんができるのが遅くなることを明らかにしました。人間においても、ネクロプトーシスを起こさないようにした場合に、もしかしたらがん抑制や老化抑制につながるかもしれないですね」
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ノンフィクション作家・河合香織氏による「老化は治療できるか 鍵を握るネズミとクラゲ」全文は、月刊「文藝春秋」2023年4月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

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